第4話 マジック

『某、幼い頃に両親を亡くして孤児となったところを、甲賀者に拾われてな』

 次郎丸はゆっくりと話した。歩きながら空を見上げると、深夜だからか織姫と彦星がいつもより真上に輝いて見える。

「孤児って……」

『戦ではよくある事じゃ。豊臣秀頼の子、国松様と外見が似ていたので、影武者として育てられた』

「秀頼って豊臣秀吉の子供だよね? てことは秀吉のお孫さんの影武者ってこと?」

『左様。拙者の方がひとつ年下であったがな』


「国松様はなぜ甲冑を着なかったの?」

 甲冑はずっしりと重く、質屋が朱漆塗の仕立てに興奮していたぐらいだから、逸品に違いなかった。

『元服されて半年も経たぬうちに8つの若さで斬首されたからじゃ』

「えっ、あんたは?」

『少し前に辻斬りに遭い、大事な局面に里で療養しておった。あの時の悔しさは今でも忘れられぬ』

 その話は美しい夜空と対照的に残酷で、私は知らないうちに泣いていた。


「うっ、ぐずっ、変なこと聞いてごめん」

 涙と鼻水が止まらなくなって、ポケットティッシュでは足りなかった。たった7つの子供が身代りに死ねなかった事を悔やむなんて到底理解出来ない。

『柊、そなたは不思議なおなごじゃ』

 次郎丸は柔らかな声で言った。

「ううっ、何が?」

『そなたが大口を開けて笑うと、まるで亡くなった母君のようじゃ。拙者は救われておる故、心を痛めるでないぞ』

 その言葉が心に沁みて、使用済みのティッシュで何度も顔を拭いた。


    ※


「えーであるからして、農民が武器を持つのを恐れて、刀狩を行ったわけである」

 翌日の授業中、外を見ていると珍しくカワセミが飛んできて枝にとまった。チィチチと囀る声をぼんやり聴いていると、担任が例の如くチョークを飛ばした。

「宇治原、聞いているのか!」

「はい」

「では今の説明の人物は誰だ?」

「豊臣国松……」

 気もそぞろに答えると鬼山田は色をなして怒鳴った。

「馬鹿モン、廊下に立っとれ!」


 賭けダーツに負けでもしたのか、彼はチョークを回収したついでに教科書を丸めて私の頭を叩いた。

「先生、彼女は豊臣秀吉と言ったんです。聞き間違いですよ」

 ところが天草が助け舟を出した。するとクラスメイトが「そうよ」「私も聞いたわ」と口々に援護射撃して、鬼山田の方が丸め込まれ、私は廊下に立たされずに済んだ。


「緋色くん、さっきはありがとう」

 天草緋色にちゃんと話しかけたのは初めてだった。栗色の髪は美しく、肌は透き通るように白く、端整な顔立ちは非の打ち所がない。

「どういたしまして。太閤の孫の名を知ってるなんて勉強熱心だね」

「偶然知ったの」

「それじゃ、大阪夏の陣の後、彼が生き延びたのも知ってる?」

 そう言って天草は右手を差し出した。一度拳を握り、再び手を開くと掌には五百円硬貨が現れた。


「すごい、どうやったの?」

 彼は瞳を繊月のように細めて笑うと、もう一度拳を握った。

「マジックさ。国松くんもこうやって世間の目をごまかしたんだよ」

「えっ……」

「知らなかった?」

「国松様は生きていたの? だって……」

 次郎丸はそんなこと言わなかった。

「そうだよ。それに彼の父、秀頼もまた生き延びた。まさにイリュージョンだね」

 彼が掌を開くと、五百円硬貨は2枚になった。

「どういうこと?」

「簡単なことさ。うまく隠れて逃げたんだよ。手助けした者がいて、二人は各々薩摩藩に亡命した。大阪城には脱出ルートがあったのさ」

 そう言うと天草は、今度は掌の五百円硬貨を消してみせた。


「……あなたは、何者?」

 得体の知れない、違和感のようなものを感じて後退りした。

「僕ね、君に一目惚れしたみたい。よかったら僕達付き合わない?」

 天草は壁に手をついて、私の行動を制御した。

「じ、冗談でしょう?」

 彼の顔が近くなり、夏なのに金木犀の花のむせぶような香りがした。 

「本気だよ。僕が嫌いかい?」

「私……バイトがあるし忙しいの」

 茶色がかった瞳の虜になって、身動きが出来なかった。


「学校にいるときだけで良いよ。仲良くなりたいんだ」

「学校にいる時、だけ?」

 頭がぼうっとして、うわの空で答えた。

「うん」

 彼は右手で私の左頬に触れた。唇が近づいてきて、吐息がかかる。

「それなら……」

 催眠術にかかったように瞼が重くなった。

「良かった」

 彼は微笑んで、私に口づけた。彼の唇は人間のぬくもりがして、近くの女子の小さな悲鳴が聞こえた。



 ゆっくりと目を開けると、クラスメイトの羨望の眼差しを感じた。

「私達付き合うの? あなたは誰?」

 背の高い彼を上目遣いで見上げた。

「あの甲冑の付喪神さ。君が捨てたお陰で僕は自由になれた。ありがとう、家主さん」

 その瞳に吸い込まれるように、段々と意識が遠退いていくのを感じた。




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