掛け違えたボタン
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朝、花屋『ピスティール』の店内で店主のフローラ=ピストが開店の準備をしている。朝の空気を店内に入れるために店の扉を開け放って作業をしていると一人の男が店先に現れた。
「やあ、おはよう」
「これは……宰相秘書官殿、おはようございます。どうなさったんですか? こんな朝から……」
フローラが開店準備の手を止めて店先に出る。
「庭でね……砂利の多い所に花を植えたんだが、枯れてしまってね。ここで貰った花だったから……申し訳ないとは思ったんだが、報告に来たよ……」
その言葉にフローラは悲しそうに俯く。
「……そう……ですか……。何も……残せなかったのでしょうか?」
「一応、花粉は採れたから……」
「そうですか……花粉は……。ちゃんと……
「……ええ、大丈夫そうですよ」
「なら……良かったです……」
フローラの返事を聞くとルインは軽く一礼し、宰相公邸に向けて歩き出した。
花屋ピスティール。この店は諜報機関の出先機関だった。諜報員からの暗号文書が送られてくる施設の一つであり、二人の間で交わされた会話は隠語で行われていた。
『花』が『敵地に潜入した諜報員』を表し、『花粉』が『諜報員からの情報』、『実を着ける』は『情報を有意義に利用する』を表している。そして、『ピスティールから貰った花』が表す言葉は『フローラの弟』だった。
一日の始まりに誰にも気づかれることなく弟の死を知らされたフローラは一人残された店内で堪えることができずに大粒の涙を溢(こぼ)すのだった。
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「マティスはまだ戻らないのか!?」
男物の服に身を包んだ女は苛立たしげに机を叩く。女の前で背筋を伸ばして立っていた男が報告する。
「ハッ。同志マティスは我が支部に潜入していた間諜を発見・追撃しておりましたが、未だに連絡もありません。同士が任務について四日経っており、あの同士から連絡が一切ないのは異常です!」
「そんな事はわかっている!」
女は再度机を叩いた。女は正面の男から視線を外すと横の壁を睨みながら親指の爪を噛む。
(どうする!? 捜索隊を出すか? いや、日数からして間諜は王都に戻った可能性が高い。そうすると……マティスがやられた可能性も視野に入れなければ……。あいつを撃退するほどの人間が衛兵や騎士団にいるのなら計画の変更が必要になってくる……)
慌てて入室してきた男が女を思考の渦から引き揚げる。
「た、大変です! 同志が! 同志が王都で捕縛されたとのことです!」
「何だと!?」
女が勢いよく立ち上がる。
「誰だ!? 捕らえられたのは誰だ!?」
「詳細まではわかりません! 王都に潜入している同志から『同志一名が捕縛』との連絡があったのみです。ただし、支部内の人員を確認したところ……可能性があるのは……」
「……マティス……か」
「ハッ……その通りであります」
最初に報告を行なっていた男が青ざめた顔で女を見る。これから行われる計画で重要な役目を果たすマティスが捕らえられた可能性があるからだ。
「計画の準備はどこまで進んでいる?」
「報告では、後三日ほどで完成だったかと……」
女はその報告に決意を固めた。
「急がせろ。作戦を決行する」
女の指示に周りの男達は狼狽える。
「同志マティスが捕縛されているかもしれないのですよ!?」
「だからだ! マティスを奪還すれば、王都の警戒は強まる。マティス奪還と計画の実行は間髪入れずに行わなければならない!」
女の言葉に男達の表情に感嘆の火が灯る。
「では!?」
「前哨戦だ! 捕縛された同志の奪還作戦を行う!」
その言葉に男達は雄叫びをあげると奪還作戦準備のために部屋を飛び出していった。
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朝起きて粗末な食事を摂る。その後はひたすら取り調べだ。取り調べをする者は最初の男とも途中から来たスキンヘッドとも違う男になった。そして、その内容は取り調べというよりも拷問だ。俺は吊るされ、殴る蹴るや鞭打ち。挙げ句の果てには呪文まで撃ち込まれる始末だ。
まあ、俺にはまったくダメージがないので意味はないのだが、鬱陶しいことこの上ない。それでいて聞いてくるのは毎回同じ質問だ。
「仲間はどこにいる!?」
俺の答えもいつも決まっている。
「知るか!」
当たり前だ。両親にまで危害が及ぶかもしれないのだから、言うはずがない。それにしても……勇者は極悪人だったのか?何故、勇者の血筋というだけで犯罪者扱いされなければならないのだろうか?
そんな事を考えているうちに今日も深夜まで続いた無駄な時間が終わり、牢へと戻る。俺が捕縛されてから三日経つが、進展しない取り調べに衛兵達も
「オマエ、本当に『資格外活動』で捕まったのか?」
牢に戻ると向かいの女が声をかけてきた。
「最初はそうだったんだがな」
俺はベッドとは名ばかりの板の上に寝転がる。
「普通、捕まった奴は牢の中で決まった期間を過ごして終わりなんだ。オマエみたいに何回も牢から出される奴はいないぞ」
その情報に溜息を吐く。
「取り調べ……というか拷問を受けてる理由は別だよ。勇者の血筋であることが問題らしい」
「ん? 勇者の血筋? 違うだろ? 『勇者の血族』だろ?」
女の奇妙な訂正に俺は起き上がる。
「いや、同じことだろ?」
「名前が違ったら別モノだぞ」
「名前? どういうこと……」
俺の言葉は轟いた爆音にかき消された。
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