第4話 アイローネ

美生は家に帰って来た。


「ただいま。」

「お帰り。」


母の一美ひとみが茹でたじゃがいもをつぶしながら答えた。

今日の晩御飯はコロッケかな? 美生の気分は上がった。母の作るコロッケは美生の大好物なのだ。


「お帰り、美生。」


ソファに寝っ転がりながらテレビを見ていた父の貴生たかおが体を起こした。


「おじいちゃんは?」

「ガレージじゃないか。」


美生は庭に面したサッシを開けるとサンダルを履いて、庭に出た。小さな家には似つかわしくない広い庭は、柿や柚の木がありハーブや大葉などが植えられている。元は庭いじりが趣味だった美生の亡くなった祖母の要望だったらしい。今では母の一美が手入れして、近所の猫たちの憩いの場となっている。


その庭の隅にスチール物置のガレージが置いてあった。その前にグレーのTシャツにベージュのチノパン。赤と黒のチェックのフランネルのシャツを羽織った老人がアウトドア用の折り畳みイスのカーミットチェアに座っている。


がっしりした体付きだが、髪はほとんど白くなって、だいぶ薄くなっている。視線はあてもなくガレージの中をさまよっていた。


「おじいちゃん、ただいま。」

「おお、美生。お帰り。」


和之は銀縁眼鏡の奥の目を細めた。手を美生の方に出したが、途中で引っ込めた。美生の頭を撫でようとして、美生がもう高校生であることを思い出したのだろう。


「もうすぐご飯だよ。」

「おお、そうかい。」


美生はふとガレージの中を見た。オートバイがぎっちり詰め込まれているはずだが、少し余裕がある。祖父は定年退職してから1台もオートバイを買ってない。いつもの顔ぶれを眺めながら、美生は気付いた。


あれ、アイローネがない?


アイローネは現存しているイタリア最古のオートバイメーカー、モトグッツィが1947年から1957年にかけて製造していたオートバイで、スーパーカブと同じ水平シリンダーの250ccの単気筒エンジンを積むクラシックな外観のバイクである。フライホイールがエンジンの外にむき出しで回転していて、その形状からベーコンスライサーと言われていた。ベーコンやハムの固まりを薄くスライスする丸鋸のような機械のことである。走りも単気筒の味わい深さがあって現代でも一般道のツーリングなら充分使える。現代でもイタリアの旧いオートバイの中では人気のある1台である。ちなみにアイローネとはイタリア語で『青鷺』の意味だ。


このアイローネは美生が物心ついた時からの祖父のメインのオートバイで、子どもの頃、北海道を始め、あちこちに連れて行ってもらった一番思い出のあるオートバイであった。ちなみに佳が初めて遊びに来た時、家の中でエンジンをかけて家の中が煙で真っ白になったというのも、このアイローネであった。


そのアイローネがガレージにない。まさか、、、美生は冷静さを装って尋ねた。


「おじいちゃん、アイローネは?」

「うん? 整備で店に預けてあるぞ。」


美生は心底ほっとした。自分に必要なお金のために売ってしまったのなら、いたたまれない。と同時にちょっと怒りがこみ上げた。


「おじいちゃんのオートバイはいずれ私が引き継ぐんだからね。勝手に売ったりしちゃダメ!」

「お、おう。わかったよ。」


美生はくるっと振り返ると、家に向かってすたすたと歩いて行った。和之はその後ろ姿をぼんやり眺めた。


「参ったな。」


美生ももう後ろに乗ってくれる年頃じゃないし、自分一人で乗るならもう少し軽くて小さなオートバイの方がいい。だったら処分して家計の足しにしてやろう。そう思っていたのだが、、、 和之はスマホを取り出した。


「店主さん? 村田です。アイローネの委託販売なんだけど、すまないが中止にしてくれないか。うん、孫がね、自分が乗るって言うもんだから。うんうん、申し訳ない、この埋め合わせは必ず。」


そろそろ晩飯か、和之は満足気な笑みを浮かべると立ち上がったのだった。

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