第14話 猫江の事情

(誰よこの女の人!? 部屋間違ってるんじゃないの?)


 無言の抗議をドアの影で毛づくろいしている八房やつふさに送るが、八房は我関せずと呑気のんきに毛づくろいを続ける。


「あんた、Jinじん太客ふときゃく? たまに居るんだよね、ストーカーみたいに家を調べ上げてくる女」

「ちがっ! わたしはこの八房ちゃんに教えてもらって、猫江ねこえさんに会いに……」

「はぁ? やつふさぁ?」


 名前を呼ばれた八房がドアの影から出てくると女の声色が変わった。


「あら、っちゃんじゃないの~」


 女はしゃがみ込んで八房を手招きで呼び寄せる。


「あんた、猫江って言った? しんちゃんお店では絶対本名明かさないって言ってたのに、なんであんた親ちゃんの本名知ってるの?」

「だから! わたしは客じゃなくて仕事の依頼しに来たんです!」


 女はいぶかしむ様にしばらくみどりの全身を見ていたが、馬琴ばきんの入ったキャリーバッグを抱えるみどりをホストクラブの客じゃないと信じたのか、表情をゆるめる。


「あんた、猫関係の人か何か? ま、いいわ、今親ちゃん居ないんだけど、話ならアタシが聞くから、上がって」


 そう言うと、みどりを招き入れる。


「あ、いや、猫江さん居ないならまた来ます」

「親ちゃん、いつ戻るか分かんないわよ、それまでその猫ちゃんバッグに入れとく気?」


 みどりはバッグの中の馬琴をを見ながら一瞬の戸惑いをみせたが、意を決した様に中に入る。


「お邪魔します」


 この女の言う様に、いつ戻るかも分からないか相手を待って喫茶店で時間を潰すのも退屈だし、戻るまでの間にこの女から色々と事情を聞けるかもしれない。


「あんた、名前は?」

滝沢たきざわです、滝沢みどり、で、この子は馬琴ばきんちゃん」

「ふうん、変わった名前だね、アタシは静香しずか、で、親ちゃんの仕事って何?」


「あ、あの……、実は東京藩に戻ってやって貰いたい事があって……、報酬は仕事の段階にもよるので、一度その話し合いに東京藩に来て貰いたくってお迎えに上がったんです」


 事態が事態だけにあまり多くを話すのはまずいだろう、みどりはなんとも要領を得ない話で煙に巻く。


「東京藩!? あの人が東京藩から来たのは知ってたけど……」


 呟いたまま黙り込んだ静香に、沈黙に耐えきれなくなったみどりが質問をする。


「あの、静香さんは猫江さんとはいつ位から?」

「三年前くらいかなぁ、アタシ、キャバやってるからさぁ、その店に親ちゃんが来たのよ、その頃は親ちゃん、ジムのインストラクターやっててさ……」

「そうなんですね〜、じゃあ、今のお仕事はお付き合いされてから……」


  何気なく呟いたみどりは、静香の様子を見て激しく動揺した。


「アタシが……アタシが親ちゃんの人生を狂わせちゃって」


 静香は大粒の涙をとめどなく流して号泣し始める。


(わ、わ、地雷踏んじゃった?)


 号泣する静香を放っておくわけにもいかず、みどりは背中に手を回し優しく手を握る。

 静香はその手を強く握り締めながら、しばらく感情のままに泣いていたが、ようやく落ち着いたのか、握りしめた手を緩めた。


「ごめんね、急に……、驚いたでしょ?」

「え、まぁ、ちょっと」


 ドギマギしているみどりがおかしかったのか、静香の顔に微笑みが戻る。


「みどりさん、いい人だね、アタシはいい人に助けられてばっかり……」


 そう言う言い方をされると、みどりとしても続きを聞かない訳にはいかない。


「あのぉ、何があったんですか?」

「ウチの親父がね……借金残して消えたのよ」

「借金ですか……」


 ありがちといえばありがちな理由だが、いざ目の前でそういう話をされると返す言葉も浮かばない。

 みどりが黙っていると、察した静香が話を続ける。


「最初は親ちゃんには隠してたのよ、でも、次第に仲良くなって、付き合い始めた位の頃に借金取りが家に来ちゃってね」

「……」

「それで、親ちゃん、『どうして黙ってたんだ!』って怒ってくれてさ、一緒に借金返すってジム辞めてホストなんか……」


 後悔のせいだろうか、静香は言葉に詰まり目を伏せる。


「止めなかったんですか?」

「止めたに決まってるでしょ! でも親ちゃん『借金返すまでの間だから!返し終わったら二人でネコカフェでも始めよう』って……アタシ、弱い女ね、それにすがっちゃって」

「仕方ないですよ、静香さんは悪くないですよ」


 再び号泣を始めた静香の背中をさすりながら、みどりは慰めの言葉をかける。


(そうだ! 山下課長に話して借金を藩で肩代わりする代わりに猫江さんに来てもらえばいいじゃん! わたしの二千万だって出してくれたんだし)


「あ、あの……聞きにくいんですけど、借金てお幾らくらい?」


 静香は鼻をすすりながら指を4本立てて見せる。


「よ、四千万ですね、もしかしたらなんとかなるかも」

「違うの!」


 みどりの話を遮る様に静香が首を振った。


「え? 違うって……、四億?」

「うん」


 四億など場末のホストとキャバクラ嬢が返せる金額ではないし、いくら財政に余裕のある東京と言えども、予備費の中からそう簡単に融通できる金額ではない。


(で、でも、東京藩の一大事なんだから、知事の……殿の鶴の一声で大丈夫よね?)


 静香を慰めながらも必死に頭の中でそろばんを弾いていると、玄関のドアが開いて猫江が顔を覗かせる。


「ただいま~、お客さん来てるの? ……って、お前!?」


 猫江は静香の様子を見るなり、血相を変えてみどりに詰め寄る。


「お前、静香に何吹き込んだんだよ!!」

「違うの、親ちゃん! みどりさんはアタシの話を聞いてくれてただけだから!!」

「お前、俺らの事話したのか?」

「うん……」


 静香に制されて怒りを収めた猫江は、所在無げにみどりに告げた。


「事情聞いたんならもう帰れよ、今俺が下手な事に首突っ込んで働けなくなる訳にはいかないんだよ」

「あ、あの、猫江さん、わたし藩の上役に掛け合ってみますから……借金の事!」


 猫江は返事をせずに目線を玄関に動かし、無言で『出て行け』と告げる。

 みどりは空気を察して馬琴をキャリーバッグに詰め込むと、部屋を出た。


「また来ますね」


 去り際に言葉を残したが、返事は無かった。

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