第15話 柳生但馬守、参上!

 猫江ねこえの部屋から追い出されたみどりは、思案しあんに暮れながらトボトボと大通公園に戻り、ベンチに腰かけると大きなため息と共に天をあおいだ。


『で、どうするのじゃ?』


 キャリーバッグから出てみどりのひざの上に丸まった馬琴ばきんが、心配そうに見上げながら聞いてくる。


「どうするって言われても……」


 チャラいホストになっていた猫江にお金をチラつかせて何とか言いくるめればいいや程度に考え始めていたみどりにとって、静香しずかの存在は予想外だ。

 思いがけずヘビーな状況に面喰めんくらってはみたが、結局のところ事態を解決するにはが必要なのは間違いない。


「まずは山下課長にお金の相談よ! 私たちだけで犬江からじんたまを取り戻せるわけないんだから、猫江さんになんとか協力してもらう他ないじゃない!」

『ふむ、まぁお金の工面くめんをしておる間に柳生やぎゅう但馬たじまめのお手並み拝見という所かの』


 呑気のんきそうに欠伸あくびをして目を閉じた馬琴の背中を撫でながら、取り出したスマホで山下に連絡を取ろうとしたが、思いとどまった。


(急に四億出せって言ってもあの山下課長がすんなりOK出す訳ないわね、何か理由をこじつけないと……。

 それにOK出たのに猫江さんに断られたら私の立場がなくなっちゃう、今晩もう一回お店に行ってなんとか説得しなきゃ!)


 そう思い直すと、現金なものでお腹が空いてきた。

 腹ごしらえとばかりにスマホで調べたで有名な札幌さっぽろ駅前の和食店に向かい、山盛りの新鮮なウニに舌鼓したつづみを打つ。

 膨らんだお腹を落ち着かせるように熱いお茶を飲んでいると、隣のテーブルにダークグレーのスーツに身を包みステッキを持った老紳士……と呼ぶにはややギラついた目をした六十歳前後の小柄な老人が腰を降ろした。

 浅黒い死人の様な肌艶はだつやは、目深まぶかに被ったシルクハットの陰になっているせいではなさそうだ。

 年齢の割にがっしりとした体格から言いようのない存在感を放つその男は、チラチラと様子を伺うみどりに気づいたのか鋭い視線を向ける。

 いや、正確にはみどりの傍らのキャリーバッグにと言った方がいいだろう。

 視線に気づいたのか、ウニのおこぼれに預かれずに不貞腐ふてくされていた馬琴がモゾモゾと身を起こした。


「やはり、貴様きさまであったか!」


 馬琴の姿を確認して、その男が馬琴に声を掛けて来た。

 目はギラついたままだが、表情には柔和にゅうわな笑みが浮かんでいる。


「馬琴ちゃん、知り合いなの?」


 驚いて問いかけるみどりに、馬琴は短くうなる様に答えた。


但馬たじまか、随分けたのぉ』

「えっ!?この人が柳生やぎゅう但馬守たじまのかみさん?」


 みどりは目を見開いてその老人を凝視した。

 剣術の師範しはんという響きから、和服を着た華奢きゃしゃな老人を勝手にイメージしていたが、目の前の柳生但馬守は表情こそ柔和だが、ギラギラしたと力強い目とスーツに隠された鍛えられた肉体からは隠し切れないエネルギーの様なものがみなぎっていて、馬琴が言う様な「」と思わせる要素は、死人の様な浅黒い顔色くらいのものであろう。

 驚愕きょうがくして二の句が継げないみどりを他所よそに、馬琴が但馬守に口を開く。


『但馬よ、この女子おなご滝沢たきざわじゃ』

「ほぅ、このむすめがのぉ」


 意外そうな表情でみどりの方に目を向けた但馬守に、慌てて名刺を取り出して挨拶をする。


「は、初めまして、総務局文書課の滝沢です!山下から協力する様にと承っておりますので、何かあればお申し付けください」

東京藩とうきょうはん剣術けんじゅつ指南役しなんやく・柳生但馬守宗矩むねのりじゃ、殿とのからそなたの事は聞いておる。

 それにしても、いくら父親てておやの事があるとは言え、かような荒事あらごとにこんな若い娘子むすめごつかわすとは、殿も何を考えておられるのか……」


(え?お父さん?)


 不意に飛び出した父親の話にみどりは思わず聞き返した。


「但馬さんは私の父の事をご存じなんですか?」

「う、うむ……、知っておると言っても職務上名前を知っておる程度じゃ、それより八猫士探しの方の首尾しゅびはどうなっておるのだ?」


 但馬守は平静を装ってみせたが、ギラついていた目には狼狽とわずかな憐憫れんびんの色が映っている。

 みどりにはその意味は分からなかったが、但馬守がこれ以上この事について喋る気がないのは分かった。

 

「八猫士の一人・猫江親兵衛の所在は確認して、現在任務について交渉中です。

それと、偶然ですが敵の八犬士の一人・犬江親兵衛も発見しました」

「うむ、山下殿より報せが届いておったな、彼奴きゃつめ猫江と同じで働いておるそうではないか、左様な所で働くとは猫江とやらも胡乱うろんな奴よ!よもや犬江とつるんでおるのではなかろうな?」


(ば、売春茶屋!? どうして時代劇口調だとこうも生々しくなっちゃうのかしら?)


言葉の響きに赤面しながらも、みどりは但馬守の疑いを否定した。


「猫江さんが八犬士の仲間って事は無いと思います、私が話すまで犬江親兵衛の事は知らなかったですし、彼にも色々事情があるみたいで……、仕方なくあんな所で働いてるんだと思いますよ」

「そうか、じゃが知った上でこれから仲間に加わるという事もある」

「そ、そんな!」

「事情があるとそなたも言うたではないか、彼奴きゃつかねが入り用なのであろう?」

「それはそうですけど……」

「いずれにせよ、充分に注意いたせ。くれぐれも無理はするでないぞ、生きておればこそ親父殿に再び会う事も……」

「えっ!?」


 また父親の話をしかけた所で邪魔が入る。


「お待たせしました!ウニ丼ダブルです!!」

「おぉ、これは美味そうじゃ!早速頂くとしよう!」


 これ幸いと丼を書き込む但馬守からはこれ以上話を聞けそうにない。


「それでは私たちは失礼します、何か分かりましたらご連絡いたします」


 残念さを押し殺す様に席を立つと、間の悪い店員の背中に恨めしそうな視線を浴びせてから、伝票を引っ掴んでレジへと向かった。

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