まじめなあとがき

前作の医療小説を完結させ、次の作品の構想を練っていた期間、たまたま「親」や「大人」について考える機会がありました。その折に、ふと「人はいつ大人になるのだろうか」と考えたのが、本作のスタート地点です。


とはいえ、「大人」について考えるのはとんでもなく難しかった。なぜなら「自分は大人だ」と言える自信が、筆者である私に無かったからです。そもそも大人とは何だろうか、どういう人が大人なのか。情けないことに、私はそれさえも分かっていなかったのです。


なので私は主人公であるセキレイの見たこと、感じたことを通じて、セキレイと一緒に「大人」について悩み、考えてみようと思いました。そうして出来たのが”彼の鳥は生きている”というお話です。


物語の最初の時点では、セキレイは完全な子どもです。自分本位で行動し、他人から何か指摘されても素直になれず噛み付いてしまう。でも自分の興味あることには人一倍好奇心を見せる、そんなガキです。しかしセキレイは博士たち、よろずやの二人といった大人たちに触れ、そしてオオカラスが自分にかけていた献身的な愛情を知ることで、少しずつ変わっていきます。

そしてセキレイは最後に一つの到達点に達してくれました。それが、


「だから、せめて、あいつに次会う時までには、少しだけでも大きくなっていたいんだ。俺は俺の人生を謳歌している、そんな姿をあいつに見せつけられる日が来るまで、せいぜい俺なりに足掻いてみるさ。」


というセリフなのです。


きっと、「大人」に絶対的な終着点はないのだと思います。一人ひとりが自ら描く「理想の大人の姿」を目指し、他人と関わり合う社会の中で足掻き、自らを磨き、成長し続けることが必要なのでしょう。そんな「ティーンエイジャーのようなガッツ」を忘れずにいる人が立派な大人になれるのではないでしょうか。

これが、私がセキレイと一緒に考えて導き出した答えです。


前作もそうでしたが、”彼の鳥は生きている”でもたくさんのことを学び、考えることができました。創作は良いものです。自分の知らないこと、考えの足りない部分に気づかせてくれ、自分の器を大きく深くしてくれます。だから創作はやめられない。


最後になりましたが、この作品を最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました。次回作があると思いますので、その時はまた応援よろしくお願いいたします。


小向涼太 拝



あ、「ふまじめなあとがき」が後日上がります。

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