エピローグ 彼の鳥はここに在り
鵺島が記録的な大噴火を起こしたあの冬の日の暮れ、俺達はどうにかアンインエリア北港に戻ってきたのだが、その後のことは実はよく覚えていない。薄暮の空より火山灰が降り注ぎ、お祭りの日ように興奮し騒ぎ立てるフレンズやヒトが埋め尽くす港の道を、俺達7人は粛々と足早に通り抜けた。あの時は皆疲れていたんだと思う。お調子者のアルマーでさえ、港について以降は一言も喋ろうとしなかったくらいだから。
その日の夜は”よろずや”の事務所でみんなで休むことになった。事務所につくと、皆すぐにソファーや床に身体を放り投げ、寝入ってしまった。俺もオオカラスの隣に腰を下ろして目を閉じると、すぐに意識が遠のいてゆき眠りに落ちた。
そして翌朝起きて隣を見ると、そこで眠っていたはずのオオカラスはどこにもいなかった。
以来、俺は
***
あれから数ヶ月経ち、雪が融け、ジャパリパークの草木が桜色に染まり始めた頃。セキレイは一人、キョウシュウエリア第2病院の診察室のドアの前に立っていた。ドアをノックして診察室に入ってきたセキレイを見るなり、中で仕事をしていたヒイラギは目を点にして、
「今日って診察予定の日でしたっけ?」
「いや、違う。」
「だったら、どこか具合が悪くなったとか?」
「いや、元気だぜ。用もないのに病院来るとすぐこれなんだよな、医者は。」
心配を顕にし椅子から腰を浮かせたヒイラギを見て、セキレイは苦笑いする。
「キョウシュウエリアの図書館に用事があって、それはさっき済ませてきた。ここに来たのにはまた別の理由があってね・・・」
セキレイはポケットから機械油の染み付いたグローブを取り出して、それを両手につけた。そして、
「約束だ。車、直しにきた。」
ヒイラギに連れられてセキレイは病院の敷地内にあるガレージの前にやってきた。ガレージのシャッターを上げると、以前病院から図書館に行く時に乗ったドクターカーが姿を現した。
「そうそう、この車。」
外から差し込む陽光でキラキラと光る車をセキレイはぐるりと一周観察すると、持ってきた大きな鞄から工具を取り出して早速作業に取り掛かった。車体の下に身体を潜り込ませ、軽やかな作業音を奏でながら点検や修理をするセキレイにヒイラギは話しかけた。
「図書館に用事があったって言ってましたけど、何があったんですか。」
「急に博士から仕事場に電話がかかってきてな、渡したい物があるから来いって言われたんだ。それで博士がいる図書館に行ったら検査結果を渡されたよ。」
「検査結果?」
「DNA鑑定。ヨウと俺が親子関係にあるかどうか調べた検査さ。開封するかしないかは俺に任せるって。」
「・・・それで、どうしたんですか。」
「開けたよ。ヨウって男は俺の父さんの可能性がかなり高いってさ。予想通り。」
あっけらかんとして答えたセキレイを見て、ヒイラギはほっと息をつき、着ていた長白衣を脱いでガレージの床に腰を下ろした。
「先生。その部品取ってくれないか。バネみたいなやつだ。」
「これですか?」
「ああ、それそれ。」
ヒイラギは部品を手にとってセキレイに手渡した。この部品はサスペンションという、車の乗り心地に直結するパーツだとセキレイは説明する。
「本当は、もっと早く修理に来たかったんだよ。でも新品のサスペンションがなかなか手に入らなくてね。だからあの二人に依頼して仕入れてもらった。」
「あの二人?」
「よろずやのセンとアルマー。あいつら本当に何でもやるんだなって感心したよ。報酬がっぽり取られたけどな。」
セキレイは大きく口を開けてガハハと笑い飛ばした。それにつられてヒイラギも吹き出した。そんなおしゃべりをしているうちに古いサスペンションが1本、2本と外され、セキレイの手により新しいものに付け替えられていく。
作業をしながら、またセキレイが思い出したようにヒイラギに話しかけた。
「あと、オオカラスの行方が分かったんだ。」
「良かったじゃないですか!」
それを聞いてヒイラギは嬉しそうに手を叩いたが、一方でセキレイは不機嫌そうに舌打ちした。
「つい先日、博士と助手とあいつで食事に行ったらしい。そこで今のあいつの居場所とか、何をしているかとか、聞けたんだってさ。でもこの話は俺には言わないでくれとあいつが言ったらしくて、細かい話は全然教えてもらえなかった。ともかく、あいつはジャパリパークのどこかで今もしぶとく生きていやがるってことさ。」
「まあいいじゃないですか。それより、オオカラスさんはどうしてセキレイさんの元を去ったんでしょうね。」
「それはわからない。俺にはもう子守は要らないと思ったのか、俺がヨウの生まれ変わりだってことを変に意識するようになっちまったか。理由は色々あると思うけど。」
ドライバーを回しながらセキレイはニヒヒと笑う。
「でもあいつが生きているって聞いて俺はちょっと安心したよ。便りがないのは良い報せっていうのは本当なんだな。ま、いずれ俺の方から会いに行くさ・・・よし、終わったぞ。」
軽妙な作業音が止み、車の影からセキレイが工具を抱えて出てきた。セキレイは今一度車を一周ぐるりと観察して、それからヒイラギに近づいてきてグローブで首筋の汗をゴシゴシと拭った。
「前のサスペンションは老朽化していたからな、交換しておいたぜ。これでだいぶ乗り心地がよくなるはずだ。」
「助かりました。正直ガタガタ揺れて気持ち悪かったんですよ。」
ヒイラギは頭を下げ礼を言った。その後何かに気づいたようにセキレイの身体をじろじろと見つめ出したので、セキレイはどうしたのかと尋ねた。ヒイラギは顎に手をやりながら、
「いや・・・なんとなく、背丈が伸びたなと。」
「身長? ターナー症候群の治療を受けて数ヶ月経っているわけだし。それに先生自身がさ、毎度の診察の時に身長測ってくれているじゃないか。」
セキレイが真面目に返すと、ヒイラギは意味ありげにニヤリとウインクした。
「背中が大きくなったなと、言いたかったんですよ。」
ちょっとの間セキレイはぽかんとした顔でヒイラギを見つめていたが、じきに耳が赤く熱くなっていき、それを誤魔化すように歯を剥いて大きな声で笑い出した。
「あはははは! そうかい、そう言ってくれてありがとよ!」
そう言って足元に散らかった工具を手早くひとまとめに鞄に放り込んで、鞄のチャックを勢いよく閉じた。
「俺もな、ここ最近身長が伸びてるなとは感じている。でも背丈は急に高くならないんだ。周りの大人から見たら、俺はまだまだ子どもなんだと思う。」
セキレイは鞄を担ぐと、風とともに桜の花びらが舞い込むガレージの出口へと向かっていった。暗いガレージの床と、外に広がる眩しい春の空の境界でセキレイは足を止め、息を吸って吐き、二歩三歩と歩き出す。そしてまた足を止めて空を見上げ、背中でヒイラギに語りかけた。
「だから、せめて、
それを聞いたヒイラギはフフッと肩を揺らし、手に丸めて持っていた長白衣をまとい、前のボタンを閉じて身なりを正した。それから春の光の中に立つセキレイの背を真っ直ぐに見つめて手を振った。
「ありがとうございました。また会いましょう!」
セキレイはヒイラギを振り返り、
「おうよ! 今後とも、この修理屋セキレイをご贔屓によろしく!!」
と、白い歯を見せ快活に笑った。
その顔は父親に似て逞しく、母親に似て明るく、そして誰かに似て正直な笑顔だった。
彼の鳥は生きている。今ここに。
完
☆ご愛読ありがとうございました!
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