第十五篇 心臓の居場所

ここまでのオオカラスとセキレイのやりとりを遠巻きに聞いていたヒイラギたちは、セキレイの申し出に対し各々反応を見せた。

オオカラスよりも先に言葉を発したのは博士であった。博士はセキレイや周囲に目配せしてタイミングを計った後、前へ進み出た。


「実際のところ、それが最も賢い方法なのでしょう。残された大量のヘロイン、火器、それからヘロイン中毒に囚われた子どもたちの亡骸。それら全てを一掃するにはマグマに沈めて洗い流してしまうのが合理的ということです。」

「そうでしょうが、しかし、それによってオオカラスが受ける精神的ダメージも決して無視できるものではないのです。」


今度は助手が博士を横目に見て意見を述べる。


「絶対辛いよなぁ。神様が自分の土地を焼かなきゃならないなんて。」


助手の意見に同調したアルマーはオオカラスの背後で小さく呟き、それから更に続けようとしたのを、センが制止し引き下がらせた。

ヒイラギはオオカラスをびっくりさせないよう静かに近づいて、横からオオカラスの表情や仕草をつぶさに見守りつつ、そっと話しかけた。


「オオカラスさん。あなたが語ってくれた過去のことや、今抱えている苦しみは、僕なりに理解しているつもりです。どうか安心して、今のあなたの気持ちや、セキレイさんが言ったことについてどう思ったか、お話ししていただけませんか。」


オオカラスは白い面をゆっくりとヒイラギに向けた。ヒイラギは大丈夫と微笑みかけ、オオカラスを優しく見つめる。


「ここにいるみんなは、あなたの背を押そうとしたり、手を引こうとする、あなたと同じおせっかい焼きばっかりですから。」


このヒイラギの言葉かけが功を奏したのか、オオカラスの頬に紅みが戻ってきた。オオカラスは息を吐いて肩の緊張を解し、いつもより高く柔らかい声色で話し出した。


「セキレイ様や博士が言ったことは、かなり前から私も気づいてはいたのです。この島にかけられた鵺の呪いは想像以上に深いものでしたから。ですがそれを私は認めたくなくて、一人で島を焼かずに済む方法を模索していたのです。けれども私には思いつかず・・・それで博士たちにも協力をお願いしたのですが・・・予想は覆りませんでした。」

「・・・力になれず申し訳ないのです。」


博士はすまなそうに目を瞑る。


「いいんです。博士にお願いする以前から私自身も半ば諦めていたんです。島を焼いて、島の歴史を再スタートさせる道しかないと、私も分かっていた。その道へ踏み出す勇気を持てなかった、私が悪いのです。」

「だったら、どうして?」


セキレイが低く抑揚のない声で発した問いに、オオカラスの顔にかかった前髪の下の口はキュッと一文字に硬直した。


「それは・・・」


何か言いかけて目を逸らすオオカラス。


「それは、所詮私個人の気持ちですから。」

「遠慮しないでくれ。俺はお前の気持ちが聞きたいんだ。」


今度はセキレイが促し手を差し伸べた。するとオオカラスは胸の内の葛藤を乗り越えるように短く息を吐き、目を開いた。


「それでも私は、この島を今の形のまま残しておきたかった。ここは生まれ土に帰って行ったたくさんの島民たちと暮らしてきた場所。そしてヨウやセキレイと素晴らしい日々を過ごした場所。この島は私の思い出の場所であり、たった一つの私の居場所なのです。それに、彼らや彼女、全ての島民たちはこの島を愛していましたから。

この島を焼き捨ててしまえば、彼らの墓も含めて全ての形ある思い出や、彼らが島に注いだ愛さえも永遠に失われてしまう。そんなこと・・・どうしても私にはできなかった。」

「そっか・・・」


セキレイは一言呟き、鼻先を赤くして目を潤ませているオオカラスの顔を見て、小さく頷いた。


「ヒトに荒らされ“鵺島“なんて蔑称がつけられてしまったけれど、お前にとってこの島は、親友だった俺の父さんや母さんと思い出を紡いだ土地に変わりはなかったんだ。だからお前はこの島に新たな楽園を築くことを夢見ながら、一方で今の島にも固執した。それくらい、お前にとって父さんや母さんは大切な親友だった。」


オオカラスはコクリと頷く。


「そしてそれ以上に、オオカラス・・・


———お前、俺の父さんのことが好きだったんだ。」


途端にオオカラスは目を広げ息を呑んだ。そんなバレバレな態度を見せたオオカラスを、セキレイは顔色ひとつ変えず静かに見つめ続け、そしてやれやれと大きくため息をついた。


「お前さ、フレンズたちを守るために“鵺島伝説“みたいなとんでもない虚構を騙るくせに、自分に対して嘘をつくのは本当にどヘタクソだよな。どういうわけか俺も嘘つくのが苦手なんだけど、これは一体誰に似ちまったんだろうな。」


その言葉に、顔を伏せていたオオカラスはゆらりと頭を上げ、赤くなった顔に微笑みを浮かべた。


「ほんと、どこの誰に似てしまったんでしょうね?」

「全くだ。こんな要らねェモン寄越しやがって。」


ツンとそっぽを向いて悪態をついたセキレイは、なぜだか急に可笑しくなってケラケラと笑いだした。そんなセキレイにつられてオオカラスも同じように声を上げ、肩を揺らして笑った。珍しく大笑いしたオオカラス。その笑顔にはかつての眩しさや明るさが確かに還ってきていた。ヒイラギたち周囲の人たちも最初は面食らっていたが、次第にオオカラスの太陽のような明るさを持った笑い声につられ、自然と微笑みを浮かべていった。

セキレイは言う。


「父さんも母さんも、そんなに明るく笑えるお前のことが、きっと大好きだったんだ。俺も大好きだ。」


そして座っているオオカラスの前に歩み寄り、オオカラスの顔の前に手を差し伸べる。差し出された右手をキョトンと見つめるオオカラスに向けて、セキレイは穏やかに微笑みかけた。


「天に昇っていった父さんと母さんの代わりに俺が伝えるよ。今までこの島と全てのフレンズたちを守ってくれて、感謝する。約束を果たしてくれて、感謝する。そして、を大切に育ててくれて、本当にありがとう。」


瞳を潤ませるオオカラスは、口に左手を当てて漏れ出る咽び泣きを押し殺しながら、とんでもないと首を振った。しかしセキレイは少しかがみ込んで空いていたオオカラスの右手をぎゅっと掴んだ。


「いいんだ。もう十分なんだ。思い出から自由になる時が来たんだよ、オオカラス。火山を噴火させたら島は一度死んでしまう。でも必ず蘇るさ。そしていつの日か、ヒトやフレンズであふれる楽園をここに作ろう。」

「・・・」

「それにさ、思い出の全てが灰になってしまうわけじゃない。前を見ろ。」


頭を上げ前を見たオオカラス。その瞳には両手を大きく広げて立つセキレイの姿が映っていた。


「ここには俺がいる。100年の時を経てこの島で生まれたこの生命いのちは、お前のお陰で、今ここに生きている。生きてお前のそばに立っている。」

「・・・セキレイ様ッ!」


とうとう我慢できなくなったオオカラスは大粒の涙をこぼしながら目の前に立つセキレイを抱きしめた。言葉にならない声を発しながら、顔全体を赤く染めたオオカラスはセキレイの身体を強く強く抱いた。

オオカラスの指先が背中にめり込んで少し痛かった。でもセキレイは何も言わず、熱くなったオオカラスの頭をそっと腕で包み、まるで親が子を抱くように、熱をこめ、愛を込めて、その頭を優しく撫でた。


しばらくの間、二人は抱き合ったままでいた。お互いの気持ちが充足し、落ち着くまで。



「もう大丈夫です。」


耳元でオオカラスの囁く声が聞こえた。セキレイが手を解くとオオカラスは自ら立ち上がり一同を見回して礼を言った。


「皆さんにも大変見苦しいところをお見せしてしまいました。すみません。ですが皆さんのお陰で踏ん切りが付きました。」


オオカラスはそこで一旦口を結んだ。一同が次の言葉を固唾を飲んで見守る中、オオカラスはコートにしまっていた帽子を被り直し、いつもの冷静な口調で宣言した。


「二人の子どもが、100年の時の檻から私を救い出してくれました。この島の歴史をリセットし、再スタートを切るのは今を置いて他にないでしょう。私は、自分の意思に基づき、この島の火山を噴火させます。」

「・・・いいんだな?」


セキレイは50センチ上にあるオオカラスの顔を見上げて訊いた。オオカラスはセキレイのことを真顔でじっと見下ろしたが、すぐにニコリと笑って返した。


「はい。私自身の気持ちですから。」

「そうか。きっと父さんや母さんも、お前の気持ちを受け入れてくれるはずさ。俺はそう思う。」


その言葉を聞いたオオカラスはひどく嬉しそうに顔をほころばせた。屈託のないその笑顔は、どことなく写真でみたセキレイの母の笑顔を彷彿とさせるものだった。


オオカラスは乱れた身なりを正すと、


「私は火山を噴火させるためこの島に残ります。皆さんは島を脱出して下さい。」


と、落ち着いた声で島から退避するよう皆に指示した。飛行能力のある博士、助手はすぐに指示に応じ、センとアルマーを両手でしっかりと抱えた。


「島の西海岸の砂浜にあたしたちが乗ってきたクルーザーがある! それで脱出しよう!!」

「西ですね。わかりました。」


アルマーの言葉に助手は頷くと、思い切り地面を蹴って竪穴の上空へ飛び上がり、西へと猛スピードで飛んでいった。博士もセンを抱えてそれに続き飛び去った。

セキレイは残ったヒイラギを抱え飛び立とうとしたところ、オオカラスに呼び止められた。オオカラスはいつもより優しげな目でセキレイを見つめ、言った。


「皆を頼みます。」

「もちろん、分かってるさ。」


セキレイはすぐに答えた。そして少しうつむき加減になって、


「だから、お前も必ず戻ってこいよ。」

「・・・もちろん、分かっています。」


その言葉を聞き届けたセキレイはオオカラスに背を向け、ヒイラギを抱えて空へ飛び去っていった。空へと消えていくセキレイの影を、オオカラスは寂しそうに、しかし満足そうに微笑んで見送った。



島に一人残ったオオカラスは、セキレイたちが島から脱出したかどうかを島の上空から監視していた。しばらく空を旋回飛行して待機していると、島の西から一隻のクルーザーが白波を吐き出しながら沖へと向かっていくのが見えた。


セキレイたちの脱出は完了した。”クプ島再生の儀”の準備は整ったのだ。


オオカラスはくるりと宙返りして火口のある島の頂上に降りた。2年間全く活動していなかった火口には雨水が溜まり火口湖ができていた。黄色い岩肌と緑がかった湖水が作る殺風景な景色をオオカラスは一目見た後、少し山を降りて森の中にあるヨウとセキレイの墓の前にやって来た。森に吹く緩やかな風を金色の髪に受けながら、墓に向けて手を合わせ、心の中で二人に手向けの言葉をかけた。


「あなたたちとも今日でお別れなの。なぜかって? あなたたちの子どもに引導を渡されちゃったのよ。もう十分だって。だからさよならを言いに来た。

二人とも、あっちで仲良くやってる? ———そう、なら良いの。私もいずれそっちに行く日が来る。その時は、少しくらい私のワガママに付き合って欲しいな。」


ひとりごとなのに不思議と笑みがこぼれてくる。


「ねぇ、セキレイ? あなたたちの子どもにはどんな名前をつけるのかって、あなたに聞いたことあったよね。あなたは確か『まだ決めてないよ』って苦笑いしながら、こんなふうに答えたんだったわね。


『でも、ヨウに似て逞しくて、私に似て明るい子に育ってくれるといいなって思ってるんだ。私がそう言ったらね、ヨウは私を抱きしめてくれて、そうだねって言ってくれたの。』


その時のあなたは本当に嬉しそうだった。今だから言うけどね、そんな幸せを手に入れたあなたを、私はちょっぴり羨ましくも思ったりした。ごめん。でもヨウとあなたは、結婚後も私と親友でいてくれた。仲間はずれにしないでくれた。私はそれが本当に嬉しかったし、その優しさがこの100年間、ずっと私の心を支えてくれていたんだよ。ありがとう。


聞いて。二人が私に託していったあの子セキレイ様ね、大きくなったのよ。生意気で、言うこと聞かなくて、口が悪いあの子・・・ダメな所は私に似ちゃったんだと思う・・・でも、自立心があって、二人に似て逞しくて、明るくて、フレンズもヒトも大好きなんだよ。

———あなたたち二人の子どもは、とても立派な大人に育ってくれました。もう私がいなくても、あの子は立派に生きていけるはず。だから私の役目は終わり。


・・・ヨウ、セキレイ。私、一人で頑張ったんだよ。

二人との約束、果たせて、本当に良かったなァ・・・」


オオカラスは潤んだ目をゆっくりと開き、今一度二人の墓の映像を目に焼きつけた。そして再び目を閉じてた。するとオオカラスの体全体が太陽のような黄金の輝きを放ち始める。オオカラスは息をして、ニコリと二人に微笑みかける。


「・・・私はもう少しだけこっちで生きていくよ。じゃあ、さよなら。」


細めた目から涙が二つ滲み出し、頬をつたって地面で弾けた。程なくしてオオカラスの立つ大地が小刻みに揺れ始めた。



この地震のような揺れにいち早く気づいたのは助手だった。


「島全体が揺れてませんか?」


助手はクルーザーの甲板から島の様子を双眼鏡で見ていた博士に報告した。博士は波の揺れではないかと答えたが、改めて双眼鏡を覗いて島を注意深く観察し、


「その通りかもしれません。噴火の前兆でしょう。船速を上げて島から距離を取るよう、操縦しているアルマーに伝えて来るのです。」


と指示を出し、その指示を受けたアルマーはスロットルレバーを前に倒した。エンジンの低い回転音が一層大きくなり、クルーザーはグンと加速し始めた。

そろそろ噴火するという話を聞きつけたセンとヒイラギとセキレイは甲板に出てきて、博士の隣で遠ざかっていく鵺島に目を向けようとした、その時だった。鵺島の山頂付近から白煙がもうもうと立ち始めたのだ。マグマの赤色をほのかに帯びた白煙は緩やかに斜面を滑り、みるみる島全体を覆ってしまった。そして次の瞬間、山頂付近の山肌が内側から膨れ、突如爆ぜた。


「噴火だっ!!」


誰かが声を上げたのに少し遅れ、雷鳴のような轟音が船まで到達し、続いて大波が押し寄せ船全体を大きく震わせた。噴火と爆発は幾重にも重なり、その度に生じ押し寄せる音波と衝撃に、セキレイたちは皆耳を塞ぎ身を屈め、叫び狂う火山が鎮まるのをじっと待った。

やがて波は収まり、鼓膜の震えが止み、


「見るのです。」


博士の声が聞こえた。セキレイたちはゆっくりと体を起こし、博士の指差す鵺島のある方向を見た。立ち登る黒煙の切れ間から見えた火山の姿はついさっきまでのものとはまるで違っていた。山体の上半分は跡形もなく吹き飛び、下半分の上縁からは赤黒い溶岩がドロドロと流れ落ち、山肌にあるものをことごとく侵食し、燃やし尽くしていく。森も、川も、ヒトの遺したケシの花畑やヘロインも、そして二人の墓も、溶岩に沈み灰と煙に変わっていった。


「これが金烏、いや、あいつの真の力なんだ。」


暗黒色の溶岩によって上から下へと隙間なく塗りつぶされていく鵺島を見つめセキレイは呟く。


「そう。そしてこの噴火はオオカラスの意思によって引き起こされた。お前の気持ちがオオカラスの心を動かしたということです。」

「これで本当に良かったのかな。」


遠い目をしてぼやいたセキレイに、博士は無言で頷きセキレイと同じ方向を見つめた。すると、噴火の衝撃に縮み上がっていたセンがようやく立ち直り、セキレイの隣にやってきて言った。


「たった今籠から放たれた鳥に幸せが訪れるかなんてわからない。私たちにできることは、後になって今日のことを良い日だったと振り返れるように、これからの日々をオオカラスさんと共に歩んでいくことなんです。」

「ああ、そうかもな・・・」

「子どもは一人では生きていけない。でも大人だって、一人で生きていくことが辛くなり、悩んでしまう時がある。オオカラスさんがそうなった時は、今度はあなたが彼女を支えてあげるんです。あなたがオオカラスさんにしてもらってきた様に。」


セキレイは静かに頷いた。


「困ったことがあれば、博士や私達に相談して下さい。料金は頂きますけど。」

「けっ! ”よろずや”のご厄介にだけはならないよう、せいぜい気をつけなきゃな。」


セキレイは悪態をついたが、その顔はどことなく嬉しそうに笑っていた。



噴火が起きてから1時間経ち、晴れていたはずの空は噴出した火山灰によってすっかり灰色に塗りつぶされた。厚い火山灰の笠によって太陽光は遮られ、セキレイ達の船が停留している沖合の上空は雨の日の夕方のように薄暗い。

そんな中、セキレイたちは皆、火山灰の降り注ぐクルーザーの甲板に出て、遠く水平線上のクプ島の上空を見守り続けていた。火山を噴火させ、自らの役目を終えたオオカラスが島から戻ってくるのを待っていたのだ。

オオカラスはなかなか帰ってこない。しかしオオカラスを置いて帰ろうと言い出す者は誰もいなかった。

そして噴火から1時間半後、助手が島から船へと高速で羽ばたいて飛んでくる、金色のオーラをまとった小さな影を発見し指さした。その影はぐんぐんと近づいてきて、見る見るうちにオオカラスだと誰の目にも分かる大きさとなった。船の真上まで来たオオカラスは減速し、空中で宙返りしてふわりと皆の立つ甲板に降り立った。


「大丈夫だったか、オオカラス。」


最初に声をかけたのはセキレイ。オオカラスは上着についた灰や煤を手ではたき落としながら、私は大丈夫ですと返した。それからオオカラスは手帳を取り出し、その中に挟んでいた古ぼけて白飛びした写真を引き抜いた。そして皆の前で名残惜しそうにじっくりとそれを眺め、目を閉じて、


「本当にさよならね。」


と呟いた。すると写真を持つオオカラスの右手の指あたりからボッと火が上がった。火は黒い煙を上げながら写真を焦がし尽くし、最後には写真全てが黒い灰となって、風に吹かれクプ島の方へ飛び散っていった。


「これでおしまい。鵺島の忌まわしい歴史も、友と過ごした楽園の日々も、私の恋も———」


そう自嘲気味に微笑んだオオカラスの姿は、先程まで保っていた神獣らしき神々しさを失い、髪の色は金色から黒色へ、瞳の色は金から深紅へと戻っていた。

見慣れた姿に戻ったオオカラスは皆に向けて感謝を込めた礼をすると、帽子を目深に被り直し、皆に背を向けて誰もいない船首の方へと甲板を歩き立ち去ろうとした。しかし、


「待てよ。」


誰かに右手を掴まれ呼び止められた。振り返ると、そこには手を伸ばしオオカラスの右手をとるセキレイがいた。セキレイはオオカラスの顔を鋭い目つきで見つめ尋ねる。


「これからお前はどうするんだ。どこに行きたいんだ。」

「それはこれから決めます。けれど私にはクプ島をゼロから復興するという使命がまだありますから、それに向けて少しずつ頑張っていくつもりですよ。」


オオカラスはいつもの低く平らな声色で答えた。それを聞いてセキレイは安堵のため息をつき、オオカラスの右手を放した。セキレイは顎をクイと前に出し、はにかみ、


「何はともはれ俺はここに生きている。お前もここに生きている。ここで俺たち二人の人生は分かれるだろう。でも巡り会う時は必ず来る。困った時は俺に相談してくれ。俺も困った時はお前を頼るから。そして、いつかこのクプ島が100年前よりも素晴らしい、ヒトとフレンズの楽園になった時、二人で笑ってここに戻って来よう。お前さえ良けりゃ、ここにいるみんなで来たっていい。」

「———」


オオカラスは何も言わなかったが、セキレイの言葉に感極まっているのは、そのほぐれた表情と不器用に釣り上がった口角から容易に察せられた。



「そろそろ出発しないと日が暮れますよ?」

「あっそうじゃん! 暗くなる前に港に戻らなきゃ!」


ヒイラギの指摘で時計を見てハッとなったアルマーはいそいそと操舵席に戻りエンジンを始動させる。船全体に低いエンジン回転音が鳴り響き、ゆっくりと船は前へ進みだす。


「ほら、デッキのテーブルに乗ってるもの片付けますよ。飲みかけのコーラ放置してるのアルマーさんでしょ。」

「ごめーん、冷蔵庫に入れといて!」

「全く・・・あっ私の持って来たアイス勝手に食べたの誰ですか!!」

「それは私が食べちゃったのです。すまんのです。」

「なんですって! じゃあ港についたら新しいの買って下さい。」

「やれやれ、”よろずや”はケチなのです。」

・・・


「なんだか賑やかだな。」


甲板の後ろで陽気に言い争う仲間たちを振り返りセキレイはフフッと笑った。オオカラスも同じ様に肩を揺らして笑っていたが、しばらくすると歩き出し、甲板の下の客室に降りる階段に足をかけた。


「オオカラス?」


さっきと同じ様にセキレイはオオカラスを呼び止めた。オオカラスはセキレイの方を向き、寂しそうに微笑んで、


「すみません。少しだけ一人でいたいのです。」


と答えて背を向け、階段入口の扉を閉めてしまった。


「そうか、わかった。」


セキレイは扉の手前で立ち止まり、その場に座り込んで背中を扉にもたれた。すると扉の向こう側からオオカラスの声が聞こえた。


「本当にありがとう、セキレイ。」


そしてカツカツと階段を降りる足音が続いた。

セキレイはオオカラスが出てくるまで、ずっと扉の前に座っていようと思っていた。しかし、しばらくして客室の方からオオカラスの泣く小さな声が聞こえてきた。泣いている理由はハッキリとはわからない。しかし、すすり泣くオオカラスの声はセキレイの胸に響き、胸が塞がりそうな程の寂寥感や喪失感を惹起した。曇天のような重苦しい哀しさに耐えかね、セキレイは立てた両膝に顔を埋めた。

そこに博士がやってきて、落ち着いた穏やかな声で言った。


「あれが等身大のオオカラスなのです。神でもなく、大きくもなく———」

「ああ、ちっぽけな一羽のフレンズだよ。まるで子どもだ。俺と同じ。」


セキレイは疲れた目をして後ろの扉にもたれ掛かり、背中をぴたりとくっつけた。自然と首が後ろへ傾き、目が頭上へと向く。頭上に広がるのは灰色の火山灰の笠。そのわずかな隙間から夕日の光が線を描いて降り注いでくる。浴びた光の眩しさに目を細めつつ、セキレイは下で泣いているオオカラスにそっと語りかけるように呟いた。


「大人になろう、オオカラス。俺と一緒に。」


そしてセキレイは目線をまっすぐ前に戻し、遠のいていく水平線に目を向けた。その水平線上には、絶えず煙と灰を吐き続けている焦土と化したクプ島の黒影があった。

セキレイは立ち上がる。そしてクプ島の一点を見つめる。セキレイは灰の混じる潮風の中に立ち、寂しさの滲む瞳で島を見やり、また一つ呟いた。


「さよなら。父さん、母さん———」


別れの言葉は煌めく灰となって風に乗り、甲板上の人々の間を駆け抜けて、遠く後方の空と海へと吸い込まれ消えていった。



(エピローグへ)

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