第十二篇 輪廻の渦の中で

博士たちが「鵺島伝説」の謎に関わるきっかけとなった例の鵺の唄。あの唄の2段目の歌詞はこうなっていた。


悪しきあやかし 鵺の血を

啜りし者も その子らも

永久にとらわれ 鵺の腑へ

惹かるる前に とく逃げよ


鵺の正体は麻薬中毒のフレンズとその子どもたち。更にはエニグマ・スノウというヘロインの存在。これらのキーワードを手がかりに唄の歌詞を解釈すると・・・


「エニグマ・スノウというヘロインを一度使ってしまえば、薬を使った本人だけでなく、本人の身体を元に蘇生した次世代以降のフレンズも全て、ヘロイン中毒になってしまう。だからこの薬に関わってはいけない———

これが唄の真実の意味です。そうですよねオオカラスさん。いや、もしかしたら作者であるあなたでさえも、ここまで理解した上で唄を作ってはいなかったかも知れませんが。」


ヒイラギが話した説明に3人は唖然としていたが、3人の中で一番驚いていたのは唄の作者であるはずのオオカラスであった。オオカラスは目を皿のようにして、


「それが、この島で生まれてくる子どもたちが、みんな精神に異常をきたしていて短命である理由につながるのですか。それがクプ島で生まれ死んでいく子どもたちにかけられた呪いの正体なのですか。」

「そうでしょう。サキ先生の資料によると、先天性のヘロイン中毒をもって生まれた子供は諸器官に先天異常をきたしますし、何より生まれてすぐにヘロインの激烈な離脱症状に晒されます。ヘロインの離脱症状のえげつなさは前にサキ先生が説明した通り。あまりの辛さに自傷行為や自殺を起こしても不思議ではありません。万一離脱症状を耐えたとしても、ヘロイン中毒と先天異常で弱った身体が災いして長生きは難しかったのでしょう。」

「しかし解せないのは、どうしてヘロイン中毒のフレンズの死骸ばかりが、火山活動の度に蘇生したんでしょうね?」


考えあぐねた助手は博士に答えを求めた。博士は「多分」と断った上で、


「オオカラスはヨウとダンという男が殺されてから、残った島民全てを連れて鵺島を出たと言っていたのです。裏を返せば、この洞窟の中に幽閉されていたフレンズたちは連れ出すことができず、この島に取り残された。フレンズ発生条件の一つに動物の遺伝情報の存在があります。この島では遺伝情報の大半がこの洞窟内に残されていたのです。言い換えればこの洞窟内にだけ、フレンズを産むたねが存在していたのでしょう。あと、”かがやき”も影響しているのかもしれません。」

「かがやき?」


聞き慣れない単語にヒイラギは聞き返した。


「まだ研究段階の学説ですし、私も詳しくありません。かつてフレンズとして生きていた動物の死骸は、そうでない死骸よりもフレンズ化しやすいという統計があります。その差を産む理由として”かがやき”という非定量的な要素が見いだされている、らしいです。論文にはかがやき=記憶・思い出と書いてあったかと。」


この洞窟に転がっているフレンズだった動物の死骸は、博士の言う”かがやき”を多く持っている。そのために再びフレンズとして生命を得やすかったということだ。そうして蘇生するフレンズはすべからく先天性ヘロイン中毒に苦しみ、程なく死に至る運命にあった。

ヒトによってヘロイン中毒にされたヤマシギたちフレンズは、この100年間、何度も蘇生させられ、鵺の如き奇声を発して中毒症状に苦しみ、そして死ぬという地獄の輪廻を繰り返してきたのだ。それをすっかり理解した4人の顔からは血の気が引き、皆俯いて黙りこくってしまった。


「・・・ああ、なんて酷い。私が無知だったばかりに、こんなことに・・・」


オオカラスはヤマシギの骨の上に覆いかぶさり顔をうずめた。


科学とはさながら正体不明の謎の闇を照らす光のようなものだ。100年にわたりクプ島とオオカラスの人生に暗い影を落としていた「鵺島伝説」の真相は、今、科学によって解明され白日の元に晒されたのだ。しかしこうして暴かれた真実がオオカラスの心に大きなヒビを入れたこともまた事実であった。


ヒイラギが突きつけたのは、この島は既に新しいフレンズの命を育める状況に無いという揺るがし難い真実。この島の神であるオオカラスにとって、これより堪える真実など果たしてあるのだろうか。さめざめ泣くオオカラスの小さな姿は、つい昨日図書館で博士から島の話を聞いた時のセキレイの姿に、ほんの少しだけ重なって見えた。ヒイラギはオオカラスに手を差し伸べ、大きなオオカラスの身体抱き起こそうとしながら言った。


「事件から100年経った今、フレンズである僕らは知識を得る自由と手段を得た。そんな今だからこそ「鵺島伝説」を僕らフレンズが解き明かすことができたんです。」

「その通りなのです。」


助手もヒイラギに手を貸して、一緒にオオカラスの腕を引いた。


「どうやっても知り得ない事を知らないことは罪じゃない。お前は悪くないのです。お前だって被害者なんですよ。」


更に博士も加わって、


「確かに救えなかったフレンズもいた。しかしお前はそれ以上に多くのフレンズを救っていたことを誇りに思うのです。お前は島民の3分の2を早急に島外の安全な場所へ脱出させた。それから今のような知恵も知識も無い中で、自力で「鵺島伝説」を作り上げ、さらなるフレンズが麻薬の犠牲になることを防いだ。

オオカラス、長い間たった一人で耐え忍ぶのはさぞ辛かったでしょう。でもあなたが最大限がんばってくれたおかげで、大勢のフレンズが救われた。島民だけでなく、パーク本土で生きるフレンズも、麻薬や鵺の毒牙から守られた。貴方は紛れもなく守護神です。」


そう声をかけて3人がかりでオオカラスを引き起こし、その大きな手を引いて並んで歩き出した。右腕を助手、左腕を博士に掴まれて涙さえ拭えず、くしゃくしゃになった顔を伏せて歩くオオカラスの後ろから、ヒイラギは明るく声をかけた。


「オオカラスさん。この島に来た理由を覚えていますか。セキレイさんに大事なことを伝えて、仲直りするために来たんですよね。大丈夫。あなたが一番大切にしてきた希望は、今も生きてこの島のどこかにいて、あなたのことを想っています。だからセキレイさんと会う時までには涙を拭いて、いつものように”おかえり”と言ってあげて下さい。」

「・・・すみません、ありがとうございます。」


オオカラスはだらりと項垂れたまま、声を震わせ返した。そして少しだけ背を伸ばすと、


「保護者として、セキレイ様の前で泣き顔を見せるわけにはいきませんからね。あの子はすぐつけ上がりますから。」

「そうそう。その意気ですよ。」

「なかなか生意気ですよね、あの子。うふふふ。」

「そうですか。あはは。」

「でも大切な子なんです。彼らから託された、奇跡の子ですから。せめてあの子だけは私が守らねば。」

「?」


オオカラスが”彼ら”という単語を洩らしたのが引っかかり、ヒイラギは首を傾げた。それに構う事なくオオカラスは喋り続けた。その声色はようやく元気を取り戻し始めたかのように明るいものだった。


「この先から第4層に行けます。第4層にはケシの畑があり、そこから外に出られます。」

「行きましょう。」


助手は陽気に言ってオオカラスの腕を引いた。


「現状が分かれば何かしら対策が打てるのです。この島の再興だって、手段はきっとあるはずなのです。」

「そうですよね。ありがとうございます。」


助手とオオカラスは嬉しそうに笑いあっていたが、それを隣で見ていた博士とヒイラギは、それほど事態を楽観視してはいなかった。健康なフレンズが産まれない呪いをかけられたこの島の環境を何とかしない限り再興は難しい。ならばその環境を変えるにはどうしたら良いのか、二人は歩きながら各々考えたが、中々良い方法は浮かばなかった。

しかし一点において二人の考えは一致していた。

根の深い問題に対しては相応に強力な治療を講じなければ、解決は図れず永遠に燻り続けるということに。



***



その頃セキレイたち3人は谷底の平地を出て再び火山の斜面を登っていたが、3人の雰囲気も足取りも、島に上陸した時よりずっと静かで重かった。多分、先程掘り起こされた手榴弾の残像が瞼の裏に焼き付いて離れないのだろう。セキレイ自身も、もしかしたら今頃自分の首と胴体が泣き別れになっていたかもしれないと思うと総毛立つ。

センもアルマーもきっとそうなんだろうか・・・

ずっと黙ったままの二人の心中を案じてセキレイも口をつぐみ、前方の白い霞の中に見え隠れする二人の背中をただ見つめながら、黙々と足を前へ上へと運ばせた。

そんな調子で1時間近く沈黙が続いてしまい、セキレイが重たい沈黙の空気にしびれを切らし始めた頃、唐突にセンが口を開いた。


「何もない所からフレンズは生まれたりはしない。」

「あん? どうしたんだよ、突然。」

「種の情報とサンドスター、2つの条件が合わさって初めてフレンズが誕生する。だからセキレイさんというフレンズが生まれた時、生まれた場所には、2つの条件が揃っていたということになります。」

「俺の生まれた場所? そこで何か解るのかよ。」

「私たちは何のためにこの島に来たのかお忘れですか。セキレイさんの生まれの謎を調査して、過去の謎から来る不安を解消して差し上げるためです。その謎の鍵は生まれた場所にあるはずです。」

「で、その場所の最有力候補がココってわけ。」


アルマーとセンが立ち止まった場所には、墓石らしい平らな岩がひっそりと佇んでいた。急な斜面を切り崩してできた手狭な平地には赤や青の花が咲き、この平たい大きな白い墓石は花の輪の中央に立っていた。そしてこの土の下には、ヨウという男性の遺体と、先代セキレイの死骸が埋葬されているのだろう。


「これはあたしの予想だけどね、あんたはこの墓に眠るヨウという男の染色体を持って生まれて来ているんだと思う。それを証明するにはヨウの遺骨から組織を採取してDNA検査にかけることが一番だ。真実を知るために、あたし達はこれからあんたの両親かもしれない人間の墓を暴く。」


アルマーがセキレイに向けてピタリと指さしたので、セキレイは驚き首を傾げ、


「なんだよ急に改まって。」


と尋ねた。


「ここを掘り返せば、真実につながる手がかり、あるいは真実そのものが見つかる可能性がある。」


墓石を囲む花園の外側をぐるりと歩き回りながら周囲を観察していたセンが、その足を止めて言った。さらに一呼吸おいてから、その鋭いツリ目でセキレイをジトリと見つめ、


「セキレイさん。あなたはこの島に来る時、たとえどんな真実に巡り合ったとしても、それを受け入れると約束していましたね。その覚悟に変わりはありませんね。」


棘のある脅し文句にセキレイは少し肩を強張らせ唾を飲み込んだが、それにひるまず静かに頷き、今度はセンを見つめ返した。


「いいでしょう。」


センの表情がぱっと和らいだ。


「さすれば、真実は必ずあなたの力になってくれることでしょう。その覚悟、”よろずや”は尊重します。じゃあアルマーさん、始めましょうか。」


と言うと二人はすぐにしゃがみ込んで、墓の土を手で掻いて掘りだし始めた。セキレイは二人を手伝うことはせず、立ったまま二人の作業を静観していたが、ふと墓石の裏に書かれたアジア文字の文章のことを思い出して、墓石の裏に回り込んだ。白い墓石の裏面には、センがPCで見せてくれた写真の通り、碑文がオオカラスの筆跡で刻まれていたのだが、


「一体これはどんな道具で書いたんだ?」


碑文はナイフのような鋭利な道具で石を彫って書かれたのではなく、爪先くらいの太さの棒で面をえぐり取って書き付けられたように見えた。一体オオカラスは何を使って碑文を書いたのだろうか、セキレイは首を傾げつつ、その碑文の内容に目を向けた。


「楽園を夢見たつがい、ヨウ・セキレイ・・・志半ばで楽園に眠る どうか安らかに 1976年1月・・・

これはヨウとセキレイの墓だよな。ヨウとセキレイの死体がここに埋まっているのなら、墓の下で二人の組織が入り混じった可能性はある。そして、ミックスされた染色体を引き継いでしまって俺が生まれたと。そういうことだろうか。」


セキレイは帽子を取り頭を掻きむしった。


「この墓の近くで生まれたのか・・・くそっ、何も思い出せねえや。」


セキレイは地面を軽く蹴り、墓石の台座になっている平らな石の上に座って、足元に生えている花々にふと目を向けた時、その草陰の中に何か光る物を見つけた。


「あれ、これは?」


埋もれていたのは手のひらと同じくらいの大きさの石だった。セキレイは花に埋もれていたその石を拾い上げて、手の平の上でコロコロと回して観察した。そのゴツゴツした石はヨウの墓石と同じ材質をしており、ある一面は磨かれたのかすべすべしていた。付着した土をキレイに払い落とすと、滑らかな面に刻まれた文章が浮かび上がってきた。例の碑文と同じアジア文字、同じ筆跡で書かれていたのはたった一行。


”夫妻の名も無き子 1976年1月”


「アッ・・・」


雷に撃たれたような衝撃を受け、セキレイは絶句しその場に立ち尽くした。

ヨウと先代セキレイのつがいの間には名無しの子どもがあったことを、その石の文字は伝えていた。子どもの染色体は父と母の染色体が掛け合わされて作られる。仮にこの子が男の子だったならば父由来のY染色体を持っているはずだ。

ヒトとフレンズのつがいの間に子どもは生まれるのだろうか、生まれたとしてその子はヒトか、それともフレンズなのだろうか。そんなことはセキレイには分からない。しかし、この子どもがフレンズ化して生まれたのが自分ではないだろうか、という考えがセキレイの頭をたちまち支配した。


墓碑銘のような文が刻まれた石が、夫妻の墓の傍に転がっていた理由。それはこの場所には夫妻の墓だけではなく、その隣に子どもの墓もあったからに他ならない。


「夫妻が死んだのと同年同月にこの子どもも死んでいる。それにこの子には名前が付けられていないってことは・・・」

「この子が生まれた時、名前をくれるはずの親がいなかったのでしょう。」


いつのまにかセキレイの後ろにはセンが立っていて、セキレイの肩越しに石に刻まれた文字を見つめていた。センは軽く俯いて、


「これは推測ですが、先代のセキレイは妊娠中に、夫であるヨウと一緒に何らかのトラブルに巻き込まれて致命傷を負った。ヨウとセキレイが同時に埋葬されていることから、二人の死亡日時にそれ程のズレは無かったと思われます。身ごもっていた先代セキレイは死力を尽くして子どもを出産したが、母子ともに助からなかった。ところで、その石の文字もオオカラスさんの筆跡ですか?」

「多分そうだと思う。」


石に彫られたアジア文字に目を落としセキレイは答えた。


「だとしたら、オオカラスさんはヨウ・先代セキレイ・その子の3人を看取ったんですよ。これがその証拠。」


センはセキレイの手を引いて、大きな墓石の正面の掘り起こされた地面の前に立たせた。センとアルマーによって暴かれた墓の土の下には粗い木材で作られた棺が地面の下から顔を覗かせていた。棺の中には二体の亡骸、一つは元の色がわからないくらいに血にまみれたシャツをまとったヒトの白骨死体、もう一つは白骨化した小鳥の死骸が収まっていた。


「これがヨウと、先代セキレイ?」

「でしょうね。フレンズは死後もとの姿に戻りますから。」


セキレイは棺の横に跪き、唖然として夫妻の骨に手を伸ばそうとしたが、アルマーにやんわりと制止された。


「手袋もなしに死体に無闇に触らないほうが良いよ。それに重要なのは死体じゃない。棺の方さ。」

「棺?」


驚くセキレイにアルマーは放っていた棺の蓋を持ち上げて、表面をざっと指差しながら、


「傷が少なくてキレイでしょ。少なくともあたし達が掘り起こすまでは、誰もこの棺には触っちゃいなかったってことがわかる。」

「それがどうしたんだよ。」

「もしこの棺の中の死体にサンドスターが作用してセキレイのフレンズが生まれたとするならば、そのフレンズが地上に出てくるにはこの棺の蓋を破り、地面を掘って出てこなきゃいけないわけだよ。その痕跡がどこにも無いのさ。」

「つまり、ヨウと先代セキレイの血を引いていると考えられるあなたは、私たちの予想に反し、この棺の中で生まれたわけじゃないってことです。」

「え、じゃあ俺は何から、どこから生まれたんだ?」

「その答えはあんたが今握ってるよ。」


アルマーに諭され、セキレイは固く結ばれていた自分の拳をほどいた。握られていたのは”名もなき子”の墓標。震える手でもう一度石を握りしめ、セキレイは目をぎゅっと瞑り声を絞り出した。


「俺は、ヨウと先代セキレイの二人の間に生まれた名無しの子どもの遺体、それがフレンズ化して生まれた存在・・・?」

「その可能性が今は一番高いのよ。あなたは本当の意味で”ヨウと先代セキレイの子ども”だった。」

「それは、俺にとって良いニュースなのかな。悪いニュースなのかな。」

「・・・わからない。」


地べたに両膝をついてガクリと肩を落とすセキレイの側にセンは腰を下ろし、セキレイの丸まった背中を支えて言った。


「このヒトが良い人だったのか、悪い人だったのか、私たちにはわからない。私たちができるのは事実を整理してあなたに伝えること。あなたの両親であると考えられるヨウと先代セキレイの二人は、丁寧に棺に入れられ、ここに葬られていた。この墓を作ったのはあなたがよく知るオオカラスさんだった。そしてオオカラスさんはこの事をあなたに伝えなかった。ここまでが事実。

ここから先はあなたが解釈するんです。鵺のいるこの島で、オオカラスさんが自ら墓を立てて葬ったヒトは、一体どんなヒトだったのだろうか。そしてなぜあなたに事実を伝えなかったのか。セキレイ、あなたにしかわからない事よ。あなたは生まれたときからオオカラスさんとずっと一緒だったのだから。」

オオカラスあいつがわざわざ埋葬したヒトがどんなヒトだったか?」


セキレイは土の上に胡座をかいて、オオカラスの人となりを思い返す。


浮かんでくるオオカラスはどれもこれも上から目線で、あの冷めた瞳でセキレイを見下ろす姿だった。


「機械のことを知りたいのなら、文字と計算は使いこなせるようになりましょう。」

「ヒトとフレンズが生きるこの社会では、一般常識くらい携えていなければやっていけませんよ。」

「もう少し丁寧な物言いを覚えたらいかがですか?」

「鵺島の噂? ええ本当ですとも。だから決して近寄ってはいけません。」


(あの偉そうな口ぶり、思い出したら腹立ってきた。)


セキレイは忌々しげに口をツンと尖らせた。しかし、


(あいつの目線の先にはいつも俺がいた。あいつはいつだって俺のことを見ていた。)


ジャッキアップされた車の裏側を興味津々に見ていた俺に、あいつは「車に興味があるのか」と訊き、俺は頷いた。次の日あいつは図書館で車の図鑑を借りてきてくれた。図鑑に書いてある文字が読めないと俺が言うと、あいつは俺に読み書き計算を教えてくれた。あいつの指導は退屈で厳しくて、何度サボってやろうかと思ったか分からないけど、おかげで俺は自力で本が読めるようになった。

俺の最初の仕事を持ってきてくれたのもあいつだったし、それからも沢山仕事を紹介してくれたから、俺はメカニックとして仕事を請け負う自信がついた。


(鬱陶しくて面倒くさいやつだけど、あいつがいなけりゃ今の俺はいなかったんだな。)


オオカラスはいつでも、俺より高い視点で俺の向いた先に見える景色を教えてくれていたのだ。俺が行きたい方角の先にはどんな困難があり、乗り越えるためには何が必要なのか、あいつなりに伝えてくれていた。それは大抵お節介で口うるさい小言だったけれど、子どもの俺では分かり得ないことを気づかせてくれたことも確かだった。


いつだったか、俺はオオカラスにこんなことを聞いた。


「どうして俺にこんなに構うのか。俺は自分がやりたいことを好きにやってるだけだが、お前はきっとそうじゃないだろう? 俺に構うことなく好きに生きたらいいじゃないか。」


するとオオカラスは軽く目を閉じて、


「そうですね、私のやりたいことですか。無いわけではありませんが、」


それから俺を愛おしげに見て答えた。


「今はセキレイ様が立派に育ち、ヒトとフレンズが行き交うこの楽園ジャパリパークで幸せに生きていけるようお手伝いすること、それが今の私の一番なのです。この誓いを果たすためならば、私はどんなことでもいたしましょう。」


オオカラスは自らよりも俺に愛を注ぎたいと言い、献身的に俺の面倒を見てくれていた。それを俺は”お節介”だとか”口うるさい”とか思っていたが、オオカラスからしたらそれは”愛情”故の行動だったのだろう。見返りのない一方通行の愛、無償の愛・・・


(ああそうか。これが親って存在なんだ。)


そのことに気づくと、これまでのオオカラスの振る舞いの理由わけが薄っすらとわかるようになった。オオカラスにとってセキレイは我が子も同然であったのだ。しかし、どうして異種族であるセキレイに対し、オオカラスはこれほどまでの献身、単なる友情から逸脱した愛情を注いだのだろうか。それはきっと———


「俺がヨウと先代セキレイの生き写しだということを、あいつは出会った時に一目で見抜いたんだ。きっとあいつにとって、この棺の中の二人は親友だったんだろう。死んだ二人の子どもの死体は、2年前の火山活動でたまたま蘇生してこの世に再び生を受けた。あいつの親友の忘れ形見、それが俺。

だから俺のことを鬱陶しいくらいに大事にしてくれていたんだろうか。大切にしていたがゆえに、傷つけたくなかったがゆえに、俺の両親である親友の死の真相について俺に何も伝えなかったのだろうか。

それがあいつなりの愛情だったんだろうか。」


もう一度、セキレイは立ち上がって胸に手を当てた。思い出されるのが上から目線ばかりなのはさっきと変わらない。しかし、その目線の束の中に幾筋もの愛情の縒糸が編み込まれていることに、今やっと気がついた。熱を帯びた、優しい愛情に包まれながら俺はこれまで育てられていたのだと、セキレイが初めて自覚したその時、風が凪ぎ、木々の葉のこすれる音がピタリと止まった。木漏れ日の光が注ぐ南東の方角の空をまぶしげに見上げ、セキレイは言った。


「・・・あいつも、今この島に来ているな。」


キョトンとするセンとアルマーをよそにセキレイは独り言のように呟いた。


「迎えに来たのか・・・? この年になってお迎えなんて恥ずかしくて嫌だけどさ、今だけは、あいつに聞かなきゃならないことがいっぱいある。だから俺の方からそっちに行かなきゃ。」

「突然どうしたんですか?」


尋ねるセンに背を向けて、セキレイは答えた。


「今この鵺島にオオカラスが来ている。多分、南東の方だ。」

「何故分かるんですか。」

「・・・親子のカンだ。」


セキレイはそう吐き捨て、それから付け加えて言った。


「俺はあいつに育てられたからな。自分の親が放つ熱の感触を、それはもう嫌というほど覚えているから——」


気がつけばセキレイは二人を置き去りにして走り出していた。南東の方角、オオカラスの居場所に向かって。

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