第七篇 Departure

”よろずやセンちゃん”という木の看板が掛けられた二人の店は、アンインエリア北港の商店街の奥のお土産屋のビルの2階にあった。窓が二面に一つずつ、壁はコンクリート打ちっぱなしという寒々しい12畳の空間に、ソファー、ストーブ、本棚、冷蔵庫などの家具を置いたシンプルな部屋だった。

二人に連れられて店にやってきたセキレイは部屋中央のソファーに座った。その後でアルマーは向かいのソファーに放置されていた読みかけの漫画の単行本を本棚に戻してからそこにどかっと腰を下ろした。センは自分の席であるノートパソコンのある机の椅子についた。


「ああそうだ、セキレイさんは干物食べます?」

「干物? くれるなら頂くよ。」

「この干物、昨日下のお土産屋でもらったんですよ。私達じゃ食べ切れないので、遠慮なくどうぞ。」


センは冷蔵庫の中から小さな魚の干物を一切れ出して、ストーブの上の網にくべた。


「そもそもさー、なんで干物なんていう食品がもともとジャパリパークにあったんだろうね。」


まかないで貰ったナンプラーの香りが漂うエビバーガーを頬張りながら、アルマーがそんなことを言う。


「えっ、干物ってパークが出来てから作られるようになったものじゃないのか?」


セキレイが聞くと、アルマーは首を振って答えた。


「違うらしいよ。パークの北西の沿岸部、つまりアンインエリアやキョウシュウエリアと外海が接する地域は、昔から独自に漁をして、干物として保存する文化があったらしい。おまけに魚醤なんか作っている場所もある。アンインエリアのお土産として密かな人気を集める、薬丸印の珍名物さ。」

「へえ。あんた詳しいんだな。」

「いや、訳合って調べてたんだよ。最近ね。」


と、アルマーはちょっと暗い顔になって口を噤んだが、セキレイはアルマーが言いかけた事が何か判っていた。この二人、センとアルマーは博士と協力して鵺島の探索に行ったフレンズだ。前回の探索によって鵺島の過去について多くの疑問が噴出したことから、探索後も二人は鵺島につながりそうなことを様々調べていたのだろう。


そんなことをセキレイが思っているとセンがやってきて、セキレイの前に焼けた干物を差し出した。それからアルマーの隣に座りノートをテーブルに広げた。


「食洗機の件は本当に助かりました。ありがとう。さてと、あなたは今、何か辛い悩みを抱えているとお見受けしました。差し支えなければ、その悩みについてお話して頂けないでしょうか。」


どうしようかと迷い、セキレイは唾をごくりと飲み込んだ。自分のプライベートな話を他人に喋るのは気が引けるが、いっそ誰かに相談したほうが気分が晴れるだろうか・・・

結局セキレイは二人に喋ることにした。鵺島調査に大きく関わっているこの二人であれば、情報秘匿の上でも問題ないだろう、そう思った。


セキレイは昨日聞いた博士やサキの話、報告書のこと、それから自分が鵺島の生まれで、そこにいたヒトの男の染色体を生まれながらに持っていることを話した。突飛もない話であったが、アルマーとセンはメモを取りつつ真剣に聞いてくれた。



セキレイがひとしきり話し終わった後、二人は驚きを隠せない様子でソファーの上で思い切りのけぞった。


「うーん、まさか鵺島生まれのフレンズが私達のところに来るとは。なんという偶然でしょう。」

「ええと、あんたはターナー症候群っていう病気を持っていて、あんたの染色体の中にはヒトの男に存在するY染色体がある・・・複雑だなあ。ざっくりいうと、あんたの父親、かつて鵺島にいたその男は、あんたのフレンズとしての種であるハクセキレイと何らかの関係があった可能性がある。それが故、Y染色体を持ったあんたが生まれたと。」


「おまけにあの粉の正体がやはり麻薬ヘロインとはねぇ。報告書で博士が書いていた筋書きが、結構良い線いってるかも・・・」


センはノートに書きなぐりながら、散らばった情報や考えを整理していく。


「100年前に島にいたヒトは、麻薬の密造密売を目的にフレンズを奴隷のように使っていた。そのヒトのメンバーのうちの一人がセキレイさんの父親の可能性がある。自分は悪人だった父親の子どもかもしれないという予想、それが今朝セキレイさんを苦しめていた悩みだったということですか。」

「・・・うん。まあ、そんなところ。」


言い当てられてセキレイは小恥ずかしくなった。目を逸らし、恥ずかしさを紛らわすために、こんがり焼かれた干物にむしゃむしゃかぶりついた。


「なあ、あんたらは島でヒトがしていた事について、正直どう思ってる?」


その質問を聞いた瞬間、アルマーとセンの表情がピリッと凍りついた。これは地雷を踏んでしまったか、と尋ねた方のセキレイも顔をひきつらせた。


「そうだな〜 あんたの前で言うのも申し訳ないけど、マジでムカついたね。これじゃどっちがけだものなんだか分かんないよね。」

「ええ。正直、ヒトを見る目が変わりましたよ。こういうヒトもいるんだなって。パークに来てくれて、私達フレンズと仲良くしてくれるヒトたちばかりがヒトでは無いんだなと、思い知らされました。」

「・・・すまねえ。」


大人らしく、冷静に答えてくれた二人に対しセキレイは自然と頭を下げた。


「あんたが謝ることじゃないよ。あんたは何も悪くない。」


そう言ってアルマーはストーブの熱で温まった缶入りのお茶をセキレイに差し出した。セキレイは静かに会釈してそれを両手で受け取った。センもお茶を手にし、自分の机に戻ってノートパソコンを開いた。キーボードをパチパチ打ちながらセンは言う。


「セキレイさんの悩みを根本的に解決するには、鵺島にあなたの父親がいた時の歴史を解明しなくてはなりません。それに正体不明の鵺という存在と、現実に存在したヘロインがどのように絡み合っているのか。島にいたヒトがしでかしたことは何なのか。例の唄の真意は。そして、セキレイさんの出生にはどんな秘密が隠されているのか等、謎はいっぱいあります・・・実に面白い、です。」

「センちゃん、また小説に影響されてる。」


センはちょっと照れ、コホンと咳払いをしてから続ける。


「ともかく、謎を解き明かすには、もう一度鵺島を調査し、証拠を集める必要があります。調査が進めば、あなたの父親が誰なのかも見えてくるでしょう。」

「あんたも、本当の父親が誰か分かればスッキリするでしょ。その人が罪人だとしても、そうじゃなくてもさ。真実を知れば、自分なりに気持ちの整理がつくってものさ。」

「・・・確かにねぇ。」


不安そうに体を縮こまらせるセキレイを見て、アルマーは大丈夫、と言って自信満々に笑いセキレイの肩を叩いた。


「あんたは多分悪人の子じゃないよ。自信持って〜」

「な、なんだよ突然! 気持ち悪ィな!」

「蛙の子は蛙って言うじゃん。多かれ少なかれ子は親に似るものなんだよ。嘘や隠し事が下手くそなあんたからは、悪人っぽさは感じられないよ。」

「親ねぇ・・・」


セキレイはため息をつき、窓に目を向ける。ストーブの熱のせいで結露した窓ガラスの外には午前8時の青空がぼやけて見えた。


「父親の記憶が一片でも思い出せりゃ良かったんだけど、あいにくさっぱり覚えてない。俺の親が悪いヒトなのかどうか、それはわからないし、できれば普通の男であって欲しいとは思う。でもさ・・・」


そして視線を自分の両の手の平に落とし、


「もし俺が咎人の娘だったとしても、父親は父親、俺は俺。別の人間だもの、別々の人生を歩んで良いんだよな。咎人の血をネチネチ気にしている暇があるくらいなら、その分好きなこと勉強して、みんなの役に立てるような一人前のメカニックを目指して突き進んでいった方が絶対に良い。

俺はもう自分の責任から逃げたくない。過去に飲み込まれたくない。どんな真実が投げつけられようとも、全部正面から受け止めて、自分の意志で取捨選択してやるさ。」

「覚悟は決まったかい。」

「うん、もう大丈夫。」

「あんたも鵺島に行って現実見てみるかい?」

「・・・そうだな。よろしく頼む。」


いつの間にかセンの隣に立っていたアルマーは、吹っ切れて表情にエネルギーが戻ったセキレイを見てニヒヒと笑った。センもセキレイを包み込むような微笑みを浮かべた。


「いい顔になりましたね。では行きましょうか、今から。」

「えっ、今からか?」

「正直、もう一度島に行って確かめないとわからないことが多すぎる。今日は夜まで晴れる予報ですし、こういうのは思い立ったが吉日。セキレイさんのお悩みを迅速に解決するためです。ちゃちゃっとやっちゃいましょう。

島までは船で移動します。片道2時間くらいかかりますので、その間に私達が調べていたことをお話ししましょう。」


センは早口に言いながらキーボードを叩き、アルマーは大きなリュックサックに必要な道具を詰め始めた。浮かれた調子の二人を見て、セキレイは苦笑いした。


「あんたら、俺のためとか言って、本当は自分たちが鵺島の謎を知りたいだけなんじゃないのか?」

「もちろん、めちゃくちゃ興味あります。」


センはあっけらかんと言い切った。


「あっちの博士たちは別の意図を持って動いているらしいですが、私達の仕事は島の謎を解き明かして、セキレイさんのお悩みを解決することです。一体どんな真実が眠っているのか、ドキドキしませんか? 早く知りたくないですか?」


と言ってウズウズするセンを見て、呆れて笑ったセキレイの横にアルマーが来て、そっと耳打ちした。


「センちゃんね、謎解きとか探偵小説とか好きなんだよ。それが高じて、私を巻き込んでこのお店作ったの。鵺島の案件は久しぶりにデンジャラスかつエキサイティングだから、センちゃん気合入ってるんだよ。」

「あんたたち自分に正直だな。」

「それが楽しく生きるコツさ。あんたと同じだよ〜 フレンズになって、ヒトの脳みそ手に入れて、こういう冒険が面白いと思えるようになった。だからあたし達はこの仕事やってるの。あんただってフレンズになったから、今の仕事に出会ったんだろ。それと同じ。」


セキレイとアルマーが顔を見合わせクスクス笑っていた所に、センがキーボードを打つ手を止めて口を挟んだ。


「セキレイさん。そういえば今日はオオカラスさんはどちらへ?」

「えっ?」

「いつもセキレイさんと一緒に行動している、のっぽで黒い人ですよ。今日は一緒じゃないんですね。」

「あっ・・・」


セキレイはなんと答えようか迷った。


(オオカラスと俺は喧嘩して、俺の方が家出同然で飛び出して来ちゃったんだった。多分、オオカラスは心配しているよな。)


という申し訳無さを感じた。一方で、もしセキレイが鵺島に行く事をオオカラスが聞いた場合、オオカラスは何と言うだろうかという事も考えた。


過保護なオオカラスのことだ、きっと「あの島は危険だと言ったはずです。行ってはいけません。」などと言って止めるだろう。実際それは正しい。あの島にフレンズを食らう鵺がいる可能性はまだ残されているからだ。しかし、この先の人生を自分らしく生きていくためには、過去を謎のままにしておきたくは無い。セキレイはそう思った。


(どんな真実もこの目で直視した上で、拾うか捨てるか、ケジメをつける。その決心はもうついている。俺が本当に欠陥品なのか、分解して精密点検してやらァ。)


答えは決まった。オオカラスには鵺島に行くことを伝えない。俺は俺の意志で鵺島に行って、真実を知りたい。

許せオオカラス。帰った後で、「家出してごめんなさい」って言うからさ。


「オオカラスは、今日は、一人で別のエリアに行っているんだ。だから今日はいない。気にしなくていいよ。」


センはセキレイの顔をちらりと見てから、「そうですか」と一言。それから


「準備が整い次第行きましょう。今のうちにあなたは寝ておいた方がいいでしょう。明らかに寝不足の顔してますよ。」


と言ってまたパソコンに目を落とした。

セキレイは窓の前に立って結露を拭き、窓ガラスに映った自分の顔を見た。我を忘れ、夜通し羽ばたいてここに帰ってきたソイツの顔は、センが指摘した通り、瞼の腫れぼったい血色の悪い面をしていた。無意識に出た溜め息がガラスに当たって、ソイツの像を曇らせた。

そうさせてもらうよ、とセキレイは礼を言い、ソファーに横になった。そして一時、全てを忘れて眠りについた。


***


一方、その頃のキョウシュウエリア第2病院。


「なるほど、オオカラスの言った通りでしたね。」


パソコンに届いたセンからのメールを見て博士はフフッと笑みを浮かべた。


「アンインエリア北港にいたセキレイを、たまたまセンとアルマーが見つけてくれていたようです。さすがセキレイの育ての親のオオカラスですね。家出した娘の行き先くらいはお見通しということですか。」

「いえ。私はセキレイ様を信じただけです。」


オオカラスはホッとしてその目に溜まった涙を拭い、胸を撫で下ろした。


「それで、センさんは何と?」


オオカラスは博士に訊く。


「セン曰く、セキレイの精神状態は落ち着きを取り戻したと。それから、セキレイは島のことを自分の目で確かめたいと言っているみたいなのです。それで、おっと・・・」


と博士は答え、


「よろず屋の二人はセキレイを今日鵺島に連れていくようですね。当のセキレイは、今度のことはオオカラスには内緒にして欲しそうですが、行く場所が場所ですので、センの独断で一応連絡をしたとのことです。やれやれ、あいつらも無茶しますね。」


一同の顔が曇る。


「いくらアルマーとセンが対セルリアン戦闘で戦場慣れしているとはいえ、万一鵺と遭遇したら危険なのです。まだ鵺が存在しないと決まったわけでは無いのですよ。」


助手の言葉をきっかけに一堂は各々の意見を述べ始め、その議論はしだいにやかましくなっていった。ただ一人、オオカラスはずっと黙ったまま丸椅子の上で俯いていた。しばらくして話し合いが収束しはじめた折、オオカラスは深く息をしてからぽつりと言った。


「あの島に、鵺はいませんよ。」


一同はざわめき一斉にオオカラスに目を向ける。そこにもう一言、


「正確には、今はいないのです。」


と、低い声で呟いて、オオカラスは椅子から立ち上がり帽子を取った。帽子のつばを握ったその手は、何かに怯えたように小刻みに震えていた。


「アンインエリアの西岸のある地域に、こんな話があります。鵺はサンドスターとともにやって来る。裏を返せば、サンドスターがなければ鵺は出ない。鵺島の火山は小さく活動も小規模ですが、サンドスターの噴出は不定期に起こるのです。直近の噴出は2年前であり、以来火山活動は起きておりませんので、今鵺が出ることはないのです。」

「ほう、鵺の出現と噴火には関連があるとは知りませんでした。ところで、そんなことをなぜお前は知っているのですか。」


助手の追求に、オオカラスは何かを決心したかのように目を開き、拳を握った。


「セキレイ様にも黙っていたことです。私は島の陰惨な歴史を知っている。そして私は鵺の正体をこの目で見ている。フレンズが恐れる鵺。その正体はフレンズです。」

「鵺がフレンズ? それはどういう意味ですか?」


サキ医師が問いかけるより先に、オオカラスは地面にひれ伏していた。息を呑んだ一同の前で、オオカラスは頭を下げ涙ながらに乞う。


「お願いします。私に知恵と力を貸して下さい。私は子ども達を、あの島を、そしてセキレイ様を、ヒトが残した”エニグマ”の呪いから救い出したいのです。どうか私と一緒に島に来て下さい。お願いします。」


博士とサキは顔を見合わせ、そして頷き合う。サキは地面に額をつけているオオカラスを抱き起こして、微笑みかけた。


「あなたもセキレイさんと同じく、何か辛いことを抱えていらしたようですね。大丈夫です。困った時は助け合うのがフレンズではないですか。」


助手も同じ様に笑い、穏やかな口調で言う。


「我々の知恵が何かの役に立つと言うなら、いくらでも貸しましょう。お前に頼まれなくても、我々は島に行くつもりだったのですよ。麻薬をパークから消し去るためにね。あんな物がパークに流入する前に、なんとしても処分しなければならないのです。」

「皆さん、ありがとうございます。」


オオカラスは顔を上げ、涙が滲んで赤くなった目をこすった。そんな中、博士は冷静な態度を崩さず、オオカラスに一つ尋ねた。


「困っているなら我々も助力は惜しみませんが、その前に。まずお前の素性を明かしなさい。お前はセキレイのマネージャー、しかしそれ以外の顔もあるのでしょう。」

「そうですね・・・」


むくりとオオカラスは体を起こし、顔を隠していた前髪をかき上げて後ろに流した。露わになった血の様に赤黒い左右の瞳を真っ直ぐ向け、オオカラスは言う。


「私は島の歴史を独自に調査して知ったパークで唯一人のフレンズ、オオカラス。そして鵺の存在をフレンズたちに知らしめ、恐れさせた例の鵺島の唄。あの唄を作ったのはこの私です。」


その声はこれまでのように低く平坦な調子ではあったが、その根底にはほとばしる熱と威厳を感じさせる声であった。

一同がじっとその姿を見つめる中、オオカラスは訴えかけるように続ける。


「私はセキレイ様の生まれを本当は知っている。けれど伝えることが出来なかった。それは、あの子の生まれには島で起きた悲惨な事件が大きく関わっているからです。

しかしあの子が自ら島のことを知りたいと言い出した以上、もう隠し事はできません。隠し事をしていた私自身の罪に対しケジメをつけるため、それからセキレイ様に謝りにいくため、私はセキレイ様を追って今から島に行きます。一緒に来ていただけますか。」

「いいでしょう。」


博士と助手は揃って即答した。


「ただし、お前が知っている情報は全て聞かせてもらうのです。こっちも麻薬の存在を知ったからには放置なんて出来ないので。我々は長としての責務を全うするために、島に行くのです。」

「そのついでで、島を呪縛から解きたいというお前の願いが叶えられるものならば、我々が手伝いましょう。」


サキもそれに続く。


「私も博士と同様に、麻薬については何かしら手を打たねばならないと考えています。フレンズという集団全体の公衆衛生を守るのは医師の大切な使命ですから。それに、麻薬の残した被害に苦しむ人、セキレイさんやオオカラスさんに手を差し伸べるのも、私の大切な仕事です。島には行きたい。とはいえ、キョウシュウエリア全域でインフルエンザが蔓延し、患者がひっきりなしに来るこの状況で、私がこの病院を離れることは残念ながらできないんです。すみません。代わりに・・・」


と言ってサキは自分の後ろに控えていたヒイラギをオオカラスの前に送り出して言った。


「私の愛弟子、ヒイラギが私の代わりを果たしてくれるでしょう。」

「ええええ! 僕?!」


突然仕事を任されたヒイラギは大慌てでサキを振り返って首を振る。


「僕一人でなんて無理だよ!」

「大丈夫。もともと私がやる仕事だったから資料は揃えているし、博士と助手も一緒に行ってくれるんだから、こんなに心強いことはないよ。私もメールでサポートするからさ。公衆衛生の臨地実習だと思って、行ってこーい。」


サキは力強くヒイラギの背中を押した。ヒイラギは最初困惑した顔でサキをうるうる見ていたが、やがて決心がついたようで、


「一生懸命がんばります。よろしくお願いします。」


と、背筋と耳をピンと伸ばしてオオカラスたちにお辞儀した。


「ありがとう、ヒイラギさん。島までは私があなたをお運びしましょう。」


オオカラスは少し和やかな笑みを浮かべ、帽子をさっとかぶった。



こうしてオオカラス、博士、助手、ヒイラギの4名は北の鵺島に向けて、キョウシュウリアの晴れた寒空へ全速力で飛び出した。飛び去る4人の姿を見送った後、サキは階段を降りて1階の診察室に向かおうとする。その途中、先程のオオカラスの様子がサキの脳裏に引っかかった。


「あの時、オオカラスさんの手は震えていた。あれは・・・あの人が島の暗い歴史を知って、それにトラウマを抱えているとしたら、もしかして。」


サキは踵を返して医員室がある3階フロアに戻り、その階端の部屋である蔵書庫に入った。そしてそこから一冊の本を持ち出し、診察室に急いだ。


本のタイトルは”事故と災害の精神科学・心的外傷後ストレス障害PTSDの診療”

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る