第五篇 咎人のフレンズ

フレンズという生物を知らぬ人間にとって、我々フレンズは動物のコスプレをした人としか見られないという。見た目のみならず解剖学的、生理学的にも、フレンズとヒトは面白いくらいに共通している。そう、”ぱっと見”フレンズはヒトなのだ。

しかしフレンズには無いものをヒトは持っている。それは積み重ねてきた知識・技術だ。ヒトの文明と言い換えても良いが、そういう魔術のようなものをヒトは扱う。文明こそがヒトの強さだ。

毛皮を服に、投石を銃に、馬を自動車に、まじないを医学や科学へと発展させ、優れた文明を手に入れたヒトは、時にその力の矛先を弱者へと向けた。弱肉強食という自然の摂理に従うがごとく、自分たちよりも劣る文明を持つ種族を征服し隷属させた。


ヒトによる征服の結果、いくつかの動物・種族は駆逐され滅ぼされた。


フレンズが棲んでいた鵺島は、麻薬によりヒトの植民地と化したと博士は説明する。


「連中の文書には、『彼女たちはちょっとのエニグマ・スノウでせっせと働いてくれます』とあります。これの意味するところは、依存性の強いヘロインによって腕力で勝るフレンズを籠絡し、奴隷のように働かせたというものでしょう。調べましたが、ヘロインの密造にはかなり手間がかかるのです。疑うことを知らず、依存性のあまり逃げ出すこともできないフレンズ達は、連中にとってさぞ格好のリソースだったことでしょう。ヘロインの販路拡大のための、ね。」


助手も奥歯をギリギリと強く噛みながら、

「知識や知恵は誰かを守るため、あるいは誰かを幸せにするために使うべきものです。自分の私利私欲の追求のために弱者を踏みにじる、その手段に用いられるものではない。100年前のフレンズに麻薬や犯罪についての知識があったとは思えない。フレンズたちはそこにつけこまれたのです・・・無知は罪? 笑わせるな、外道ども。

こういう行為が平気でできる連中を、ヒトの皮を被った悪魔、というのですかね。正直、セルリアンの方が100倍マシなのです。」


その言葉に全員打ちひしがれ、項垂れてしまった。


「・・・報告書にもあるように、本件は未確定な部分がまだまだあり、我々が話したことも推測の域をでません。ですが、鵺というヒトの悪意が生み出した怪物が巣食っていることは間違いなさそうです。いずれ第二回の調査にも行きます。その時にはお前にも手伝ってもらうことになるかもしれません。」


博士のギラリとした目つきに気圧され、セキレイは顎を引き、困り果てた末に目を閉ざした。

もう嫌だ。知らなきゃよかった。逃げ出したい。

心の隅に浮かんだ情けない本音を抱えながらも、両足はなぜか床に釘付けにされたようにびくともしなかった。セキレイはこの場にたった一人取り残されたような薄ら寒さを感じながら、身を縮め時が経つのを待つ他なかった。



その後図書館で軽い夕飯を貰い、病院に帰ってきたのは午後10時。セキレイはとぼとぼと自分の病室に入り、そのままベッドに倒れ込んだ。セキレイの後に入ってきたオオカラスも疲れていたのか、すぐにベッドに横になって寝息を立ててしまった。月光に照らされたカーテンだけがボンヤリ明るく浮かび上がった暗い暗い病室の中、セキレイは物思いに耽った。

あの報告書を読んだ後、博士から島について幾つか聞かれた。しかしセキレイは生まれてすぐに島を出たために島で生きた記憶は無く、質問にはほとんど答えられなかった。島のことについてセキレイが初めから知っていたのは、フレンズになって最初に目に入った寒々しい森と、仲間を探して飛び回った末にたどり着いた荒涼とした山頂。そして、何をして生きていけば良いかわからず、曇り空の山頂で突っ立っていた私の前に突如現れたあいつ、オオカラスのエラそうな面だけだった。



「ハクセキレイのフレンズですね。」


あの時、霧とサンドスターを振り払っていきなり現れた真っ黒な巨人。びっくりして尻もちをついたセキレイの前に、オオカラスは声をかけ跪いた。


「な、なんだお前は!」

「ハクセキレイ、ですね?」

「それがどうした。大体お前は誰なんだ?」


興奮して息巻くセキレイを見て、オオカラスは硬い仏頂面からホッとしたような柔和な表情になった。


「私はアンインエリアのオオカラスと申すものです。右も左もわからない、生まれたてのフレンズをお助けして回っている、ただのお人好しです。」


そしてまた元の仏頂面に戻って、


「早速ですが、私はあなたを救出しにきました。すぐに脱出しましょう。」

「はあ? なんで?」


セキレイは食い気味に尋ねる。


「この島には鵺という危険な妖獣がいるのです。」


オオカラスはそう答えると、遠慮無しにセキレイの小さな体をがっしりと捕み、宙に吊り上げた。そしてそのままぐんぐんと上昇して、曇り空の下をまっすぐ南下し始めた。


「おい! 俺をどこに連れて行くんだ!」


猛スピードでぶつかってくる海風に顔を歪ませながらセキレイは叫んだ。


「私の住むアンインエリアです。あそこにはあなたと同じフレンズの仲間、親切な観光客のヒトがいます。セキレイ様が育つのに、とてもいい所ですよ。」


オオカラスはニヤッと笑って、セキレイを強く抱え直した。オオカラスの温かい体温を肌で感じセキレイはちょっと和んだが、すぐに気を取り直して、


「ちょっと待て、セキレイ”さま”ってなんだ? なんか気持ち悪い。」

「私は生まれたてのフレンズを育てるのを仕事と決めております。つい先程より、私の仕事内容は”セキレイ様を大切にお助けし、育てる”と決まりましたので、まずは呼び方から大切にしていこうかと。」

「そんな一方的な理由かよ! この人さらいーッ!!」



そういう経緯があり、セキレイはアンインエリアに強引に連れてこられたのだった。


(とはいえアンインエリアに来て、俺は良かったと思ってる。機械の仕事に出会えたし、フレンズやヒトのみんなと知り合う事ができた。それは、まあ、オオカラスのおかげなんだよなあ。けっ。)


オオカラスの功績を認めるのが癪にさわり、セキレイは舌打ちした。ちらりとサイドテーブルの上のデジタル時計を見ると午後11時25分を示している。ベッドに寝転がったまま1時間以上も寝付けず経過していたとセキレイは気付かされた。

セキレイはふらりとベッドから降り窓にかかっていたカーテンを開けると、差し込んだ月の光がセキレイの瞼にかかった。冷たい窓の外には雲ひとつ無い月夜が広がっていた。

乾いたキレイな空。しかしその時のセキレイには、それがとても淋しく、虚しく見えてしまった。


俺は・・・ヒトの子? フレンズを奴隷のように扱い傷つけた、罪人の子?


別にセキレイにY染色体を与えた男が、その罪人連中の内の誰かと決まったわけではないのに、セキレイの思考はどんどん、悪い方向に凝り固まっていってしまう。セキレイの思い込みと自責感は物体の落下速度の如く加速していく一方だった。


それ故、報告書を読んでから、セキレイはずっと自分を責め続けていた。


自分の染色体には罪深きヒトの男のY染色体が入り込んでいるかもしれない、そう思うと自分の手がヒトに虐げられたフレンズの血で真っ赤に染まっているように見えてきた。これまでフレンズのためヒトのためにドライバーやレンチを握り続けてきたこの手が、途端に空虚なものに感じられてしまった。


(この手で、ヒトやフレンズの笑顔のために仕事がんばってきたけど・・・)


「笑わせらァ・・・クソ野郎の染色体を宿した俺に、誰かの笑顔や幸せを願う権利なんかないんだよなあ・・・」


セキレイは握った右手を窓ガラスに当てた。外気の凍るような冷たさがガラスを伝い、手の肌を突き刺す。いっそこの冷たさが、自分の中のY染色体を全部滅ぼしてくれればいいのに・・・セキレイはそんな悲痛な祈りを込め、左手と一緒に額も窓ガラスに押し当てた。


「・・・セキレイ様?」


突然背後から声がしたので、セキレイはハッとなって振り返ると、さっきまで寝ていたはずのオオカラスが上体を起こし、血のように赤い目を光らせてセキレイを見つめていた。


「どうかなさいましたか、セキレイ様?」

「何でもねえよ。」


セキレイはあしらおうとするが、オオカラスは諦めること無くセキレイの顔を伺い、それどころか一度ベッドから立ち上がり、椅子に座るようにベッドサイドに腰を据えた。ああ、本気モードだなとセキレイは察した。観念して窓に寄りかかるようにして立ち、オオカラスの方を向く。


「夕方の報告書の件で、悩まれているのでしょう。」

「・・・そうだよ。」


セキレイは目を逸らす。


「真実を、知らないほうが良かったとお思いになられますか。」

「いや、知ったことを後悔してはいないさ。」

「ご立派なことで。」

「ただ、真実を知った代償が、大きすぎた。」

「・・・」

「なあオオカラス。俺はフレンズとして生きていて良いんだろうか。」


そう言ったときのセキレイのあまりにも物悲しい表情を見て、オオカラスは動揺し立ち上がって返した。


「何を仰るのですか。セキレイ様はセキレイ様です、島にかつていた悪い連中とは何ら関係ないではありませんか。」

「でも俺は多分、そいつらの内の誰かのY染色体を持ってる。仲間の血で汚れた染色体は、俺の中に存在している。それがすごく、嫌なんだよ、俺は。」

「セキレイ様・・・」


呆気にとられるオオカラスに向かってセキレイは一歩近づき言った。


「俺は、咎人の血を引いた子どもなんだ。麻薬でフレンズを虐げた奴の遺伝子が、俺の全身の細胞の中で生きていやがる。俺は、穢れてんだよな・・・俺はもう、自分がどういう人間なのか、俺の心が・・・わからねえ、怖い。」


そう言ってセキレイはがばっと手で顔を覆い、肩を震わせた。それを見てオオカラスは慌ててセキレイに駆け寄り、ぶるぶると震える肩に手を置き諭した。


「一旦落ち着きましょう、セキレイ様。あなたが穢れているなんて、誰一人思っておりません。」

「俺だってさ、そう信じたかったよ・・・」

「違う。セキレイ様は純粋に、誰かの役に立ちたいと言っておられました。私はハッキリと覚えております。」

「・・・そんなことはわかってる。」

「でしたら何故・・・」


オオカラスがそう問いかけた所で、セキレイは黙った。オオカラスも黙った。フー、フーというセキレイの興奮した息遣いだけが病室に響いた。


「俺だってさ、自分が穢れているなんて、思いたくはねえんだよ・・・」


ようやくセキレイはポツリと言った。しかしその声は完全に涙声で、震えて上ずっていた。


「俺だって、本気で一人前のメカニックになりたかった。壊れた機械直して、フレンズやヒトのみんなの役に立ちたいなって、本気で、ずっと思ってた。そうなれるよう一生懸命やってきたさ。」

「・・・」

「でもさァ、俺にそんな資格なんて、最初から無かったんだよな。フレンズ虐げた奴の子がみんなの役に立ちたいなんて言ったところで説得力ないだろう。俺が一人で主張したって、どの面下げて言ってんだって話さ。誰も認めてくれるはずがない。そうだろ、オオカラス。」

「そんなことありません・・・」

「いいや、そうさ。そう、俺は初めから誰かの役になんか立てない欠陥品だったんだ。」

「欠陥品ですって?」


オオカラスは目を見開きセキレイに突っかかった。セキレイの顔からは、月の光を受けてキラキラ瞬く涙の粒がポトポトと零れていた。


「欠陥品だよ。最初の染色体の設計図から狂っていた設計不良の欠陥フレンズだ!」

「違う・・・」

「違わない。資格もないのに努力をしてきた、虚しく憐れな欠陥品だ!」

「違う!」

「くそぉ、なんで! こんな穢れた手で誰を助けるっていうんだ! 誰に幸せを届けられるっていうんだ!! 向けられた笑顔を受け取る資格なんて、欠陥品のレッテルが貼られた俺にはない!!

俺は誰かに愛される資格なんてない!!」

「違う! あなたはそんな人じゃない!!」


「うるせえ! てめえに何がわかる!!!」


溢れ出す感情を爆発させたセキレイは喉を枯らして叫んだ。セキレイの大声はビリビリと響き渡り、窓ガラスを震わせた。驚いて目を丸くするオオカラスの手を振り払い、セキレイは血走った潤んだ両目を見開き、オオカラスの前に立ちはだかった。その小さな身に反抗心を宿して。

興奮で顔を真赤にしたセキレイは肩をわなわなと震わせ、小さな声で呟く。


「てめえ見てると気分悪くなンだよ・・・その真っ黒な姿を見てると、俺の血に混じり込んだヒトの闇がちらついてどうにかなっちまいそうだ・・・」

「・・・」

「いいんだよ、俺なんか放っといてくれよ・・・俺なんか・・・」


本当に小さな声だった。


「そういうわけにはいきません。」

「放っといてくれ。新しく生まれてくる清廉潔白なフレンズは他にいくらでもいるはずだ。お前はそういうフレンズたちを育てりゃいいんだ。」

「それは、お断りします。私の仕事は終わっておりませんので。」


オオカラスはきっぱりと告げる。セキレイは言葉に詰まり黙り込んだが、しばらくしてオオカラスに背を向け言った。


「俺は、お前に、育ててくれなんて頼んだ覚えは一度たりとも無い。」


その言葉にオオカラスはアッと小さな声を漏らした。オオカラスは何も言い返せず、無念そうに目を閉じ、下唇を噛んだ。


「出てけよ・・・」


セキレイの背は細かく震えていた。


「・・・てめえ見てるとイラつくんだよ・・・」

「そうですか・・・」


オオカラスはセキレイの背に触れようと伸ばしていた震えた手をゆっくりと下ろした。そしてベッドに置いていた帽子を被り、俯いたままセキレイの背後から歩き去った。部屋から出ようと扉の取手に手をかけたところで後方のセキレイを振り返る。セキレイの立ち姿はさっきと寸分も変わらず、月明かりに照らされた小さな後ろ姿は、悲壮感に溢れていた。オオカラスは最後に声をかけた。


「私は、いつでもあなたの・・・」

「いいから、出てけっ。」



オオカラスは扉を開け、静かに部屋を出た。

外の廊下は暗く、ひんやりとした空気が緩やかに流れていた。オオカラスは部屋から少し離れたところにソファーを見つけ、そこに腰を落ち着け、ふーっと息をついた。

しばらくそこでぐったりと座っていると、廊下の遠くから誰かが近づいてくる気配を感じた。セキレイ様か? オオカラスは顔を上げると、オオカラスの側にはヒイラギが立っていた。


「何か叫ぶ声が聞こえたので様子を見に来たんですが、大丈夫ですか。」


そう言うヒイラギに、オオカラスはちょっと残念そうに笑って答えた。


「ご心配おかけしすみません。大丈夫です。」

「そうですか? 泣いていらっしゃるようですが。」


ヒイラギに指摘されて初めてオオカラスは、自分が泣いていたことに気づいた。オオカラスは頬筋で光る涙をハンカチで拭い、ヒイラギに自分の隣に座るよう促した。

ソファーにちょこんと座ったヒイラギの隣で、オオカラスは低い声で話しかけた。


「ヒイラギさん。あなたは先生の助手をされているんでしたね。」

「はい、そうです。」

「ヒイラギさんは先生と言い合いやケンカをしたことがありますか?」

「えっ? うーん。治療方針とかで多少揉めることはあっても、ケンカみたいなのは無いかなあ。第一、僕は先生に恩があるし、ケンカしようなんて思わないや。」

「そうですか。それは良いことだと思います。」

「オオカラスさん、もしかしてセキレイさんとケンカしたんですか。」

「ええ、まあ・・・」


オオカラスは恥ずかしそうに頬を赤らめて、


「なんというか、親子喧嘩、みたいなものです。お互い意地を張り合った結果です。セキレイ様は血の気多いし、私も頑固な方ですから。」

「似た者同士、ですか。」

「本当、誰に似たんでしょう。」


その返しにヒイラギはクスリと笑い、オオカラスもそれにつられて口元を緩ませた。


「ここは冷えます。上に宿直室あります、暖房効いてますよ。」

「それはそれは。何分寒いのが苦手なので、ありがたいです。」


オオカラスは感謝し、ヒイラギに連れ立って上階に向かった。階段を登っている途中でヒイラギはオオカラスに言った。


「ケンカしっぱなしというのは良くないです。どこかで仲直りしましょう。」

「そうですね。お互い頭が冷えた頃、私の方から謝りに行きます。」

そう答えてオオカラスは微笑み、長い足で階段の一段一段を踏みしめ登っていった。


けれど、二人の仲直りは叶わなかった。


明朝6時、宿直室で重なり合う様に眠っていたサキとヒイラギの所にオオカラスが飛び込んで来た。


「先生方、すみません。セキレイ様が・・・」


これまで感情を露わにすることがなかったオオカラスが慌てているのを見て、サキとセキレイはただ事ではないなと直感し、すぐに体を起こした。


「セキレイさんが、どうかされたのですか?」

オオカラスは涙目になって答えた。

「セキレイ様がどうやら病院からいなくなってしまったようなのです!」


オオカラスが言った通り、セキレイの病室はもぬけの殻で、開け放たれた窓から吹き込む朝の冷たい風がカーテンを揺らしていた。持って行ってしまったのか、セキレイの荷物は一つも見当たらず、いなくなってから時間が経っているのか、ベッドや布団はすっかり冷えきっていた。


「昨晩、セキレイさんに何か変わったことはありましたか?」

「それが、昨日の博士のお話の件で大分悩まれていたようでした。私ともちょっと言い合いになってしまって・・・多分それのせいだと・・・」

「ああ。やはり、あの話は刺激が強すぎた。私がもう少し伝えることに慎重になるべきでした。」

「いえ。先生のせいではありません。セキレイ様が知りたいと申したのですから。」

サキは責任を感じ頭を抱え、オオカラスはがっくりと項垂れた。

「オオカラスさん、セキレイさんとの間でどのようなやり取りがあったのか、話せる範囲で話して頂けませんか。」



「なるほど。自分にY染色体を与えた父親が、フレンズに対し酷いことをした犯罪人かもしれないということを、かなり気にしてしまっていたと。」


オオカラスの話を腕組みして聞いていた博士は頷き言った。

博士と助手は、セキレイの捜索を手伝ってほしいとサキに電話で頼まれ、病院にやってきていた。病院の中や周囲を粗方見回ってみたがセキレイはどこにもいなかった。午前8時、オオカラスたち5人は捜索を一旦中止し、病院3階の医員室で状況の整理をしていた。


「やはり、あれは強がりでしたか。」

「若いフレンズです、仕方のないことなのです。私だって10才若かったらセキレイと同じようにやさぐれていたかもしれません。」


壁に寄りかかって立った助手はセキレイをフォローした。オオカラスはセキレイがいなくなってしまった事がよほどこたえているのか、顔を帽子のつばで隠し、部屋の端で項垂れていた。


「今のセキレイさんの精神状態は不安定です。早い内に居場所を突き止め、誰かが側に行ってあげることが大事です。セキレイさんに早まった行動を取らせないために。」

「早まった行動?」


助手の問いに医師サキは小さく頷いて、


「もともと仕事を生きがいにしようとしていた位、セキレイさんは自主性が強かった。しかし今回の件で自分の血に嫌悪感を抱き、修理屋という自分が落ち着ける居場所に、実は自分は居る資格が無いのではないかと疑ってしまった。セキレイさんは自分の居場所を見失ってしまったのです。結果として、今までそこに流れ消費されていたエネルギーは全て鬱屈した感情として、保護者であるオオカラスさんに向けて放出された。一言で表現するなら、反抗期という言葉になるでしょう。」


反抗期、それは人が子どもから大人になる過程の思春期で経験する精神発達の過程である。思春期の少年少女は、大人として自立したいと欲する自立心と、保護者のもとを離れる不安感という二つの相容れない気持ちに板挟みにされた、両価的ambivalent な精神状況に置かれている。その不安定な感情を落ち着かせるために、少年少女は家族の外に仲間と居場所をつくり、そこで安心を得る。そして仲間という異種の自我を持った人と接することで、少年少女は自分は自分、他人は他人という、自我同一性を確立させ、大人に成長していく。

セキレイの脱走は、反抗期という精神成長の過程の上で起きた一つのイベントと捉えることができる。とはいえ、


「そういう不安定な精神を抱えている時期の子どもは、自らの居場所を失うことを酷く恐れます。居場所を失ったというやり場のない、時に死ぬほど辛く感じる苦しみは、蓄積されます。そして貯められる限界を超えた時、防波堤は決壊し蓄積された感情は牙を剥き、襲いかかります。

何を襲うかは人それぞれ。他人を襲えば暴力に、物を襲えば窓ガラスを割ったり、盗んだバイクで走り出すというような非行に。自分を襲えば、鬱病や自傷行為になるでしょう。」


つまり自殺に発展する可能性がある。誰もが通る精神発達の過程とはいえ、それが自身を含む他の何かに危害を及ぼしかねないケースでは、精神科の介入が必要であると、サキは説く。


「セキレイが自殺に踏み切る可能性を危惧しているのですか。」


サキの感じていた危機感を理解し、博士はムムムと唸った。


「私の考えすぎかもしれませんが、とにかく一刻も早くセキレイさんの側に行ってやった方が良いでしょう。」


サキの意見にみんなが頷いた後、オオカラスが椅子からヌッと立ち上がり、サキたちに向けて丁重に頭を下げた。


「みなさん、セキレイのために動いて下さり、本当にありがとうございます。」

「いいってことなのです。フレンズ同士、困ったときは助け合うのです。」


助手はそう返し微笑む。それに対しオオカラスはフフッと笑い、


「ありがとうございます。確かに先生の仰るとおり、自殺が起きてしまう可能性もゼロではありません。ですが私は、セキレイ様の保護者として確信しております。

あの子は脱走こそすれ、自殺を選ぶような弱い子ではないことを。」


オオカラスの瞳の中では、家出したセキレイを信じる心が、小さな火のようにゆらめき輝いていた。

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