第二篇 大人と子どもの間にいる身体

ヒイラギに連れられてセキレイとオオカラスは診察室に入った。10畳ほどの広さの部屋の右側にはベッド、左側にはパソコンが置かれたテーブルがあり、パソコンのディスプレイの前には白銀色の髪を後ろで束ねた赤目の医者が、白衣を着て座って待っていた。その医者はセキレイたちに対してニコリと微笑みかけ、自分の前にある椅子にかけるよう言った。医者にかかるのが初めてのセキレイは、ちょっとまごつきながら言われた通り椅子にかけた。オオカラスはセキレイの後ろの壁際にあった椅子についた。


「お待たせしました。医師のサキと申します。あなたがセキレイさんですね。」

「お、おう。そうだ。」


サキの挨拶にセキレイは少々虚をつかれながら返事した。サキは事前問診票に目を通しながら言う。


「2073年9月生まれですね。後ろの方はセキレイさんのお友達でしょうか。」

「ん・・・いや、なんというか、保護者みたいな?」

「わかりました。」


サキはそう相槌を打って何か電子カルテに書き込んだ。そしてセキレイの方を再び向いてにこやかに言った。


「それでは診察を始めさせていただきます。今日はどうされましたか?」

「それが・・・なんというか、俺もよくわかって無くて・・・」


なんで病院に来てるのかはこっちも知りたいぜ、病気の自覚が一切無いセキレイは内心毒づいた。後ろを振り返ってオオカラスに助けを求めるような眼差しを送ると、オオカラスは呆れた顔をし、平坦な口調でセキレイの代わりに答えた。


「実は、セキレイ様はずっと生理が来ないのです。私は病気のことなどはあまり詳しくないのでわからないのですが、生理というのは大体一月に一回来るもののはずでしょう。しかしセキレイ様にはそれが起こる気配が全くないのです。」

「生理が来ない、無月経ということですね。生理はいつから来ていないのですか。」

「後ろのオオカラスに教えてもらったけど、その、生理っていうのは周期的に股から血が出たり体調が崩れたり、気分が落ち着かなくなったりすることなんだろ? そんなことは一回も無いな。」

「これまで一度も生理が来た感じがしなかったと。」

「そういうことだ。」

「なるほど。妊娠の可能性について心当たりはございますか。」

「ないね。」

「薬は何か飲んでいますか。ピルとか。」

「飲んでないよ。」


フレンズの解剖学的・生理学的構造はヒトのメスと基本的には同一と言われている。従って通常フレンズにも生理は発来する。セキレイはフレンズになって数年経つが、これまで一回も月経が来るのを感じたことは無かった。しかしセキレイはそれについて不思議だなと思ったことはあれ、悩んだりはしていない。むしろ生理に悩まされることがなくて楽だとさえ感じていた。

サキはその後セキレイに幾つか質問した。そしてそれをまとめ、現時点で考えうる病態を落ち着いた口調でセキレイに伝えてきた。


「お話を伺う限りでは原発性無月経が疑われます。」

「原発性、つまり俺は元々月経が起きない体質ってことなのか。」

「仰るとおりです。月経というものは体内のホルモンの作用で起こるのですが、その過程に生まれつき何らかの異常があるかもしれないということです。どうして月経が来ないのか、それはこれから診察や検査を通して調べていきたいと思いますが、よろしいでしょうか。」


そう尋ねられ、セキレイは腕組みして考えた。


今のところ月経が来ないことで困っていることはないし、仕事だってずっと順調にこなせている。なのにわざわざ医者に調べてもらう必要があるのだろうか。それに検査の予定のせいで仕事に戻れる日が遅れるのは正直嫌だ。とはいえ一方で、「自分の体に危険な病気が潜んでいる可能性」への恐怖もふつふつと湧いてくる。


セキレイは、「病気の良し悪しがわかるのは医者だけだ」というオオカラスの言葉を思い出した。実際それはその通りだと思うし、この際医者にキッチリと調べてもらったほうが後腐れなくて好都合ではないか、不安はできるなら払拭しておいたほうが仕事に集中する上で良いのでは、とセキレイは思い直した。そしてようやくワガママな自分を一旦隅に追いやって、サキの検査に前向きに付き合うことを決めた。


「わかった。必要な検査をしてくれ。」


そう答えるとサキは嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。それではいくつか診察や検査をしたいと思います。産婦人科の診察室は2階ですので、そちらに行きましょう。」

「おう。」


そう促されてセキレイが椅子から立ち上がった時、後ろでオオカラスはセキレイを見つめながらほのかに目を細める・・・そんな感触をセキレイは背中の肌でかすかに感じた。



2階の「産婦人科 診察室」と看板のついた部屋にはセキレイとサキだけが入り、オオカラスは部屋の外で待つように指示をされた。セキレイは着ていた白黒のジャージとズボンを脱ぎ、内診台の上に仰向けに寝、外陰部の視診や腹部エコーなどいくつかの検査を受けた。


「Tanner分類では1、external genitaliaはpediatric・・・」

「翼状頸」

「卵巣は・・・」


診察中にサキが何かを見つけ、カルテに何かを書き込んだりする様子を見る度、もし悪い病気が見つかってしまったらどうしよう、という恐怖が波のように打ち寄せてくるをセキレイは感じた。病気の自覚もなくノホホンとしていた先刻までの自分がとても間抜けに思えた。それに加え、いつも付き纏ってお節介を焼くオオカラスが近くにいないのが、この時ばかりはとても心細かった。

カルテを眺め、ウンと一度頷いたサキがセキレイの側に来て顔を覗きこんだ。


「・・・少し緊張されているようですが、どこか具合が悪くなったりしましたか?」

「いや、不具合は無い、大丈夫。でも、やっぱり怖いな。俺の体はどこか悪いのかい?」


セキレイは体を起こしてサキに縋るように寄った。そんなセキレイの肩にサキは手を置いて、穏やかな微笑みを浮かべた。


「ご安心ください、セキレイさん。あなたの病気について、一つの検討がつきました。」

「えっ、そうなのか。それは悪い病気なのか?」

「明日以降、より詳しい検査をする必要がありますが、おそらく今直ぐ命に直結するような、緊急性の高い病気では無いと考えています。」

「そ、そうかい。それならちょっと安心だ。」

そう聞いてセキレイはちょっとは安堵したが、とはいえやっぱりまだ不安である。

「で、先生の予想している病気はどんなものなのかい。」


そうですね・・・とサキは考え込み、一旦セキレイに服を着て椅子にかけるように言った。着衣を整えたセキレイは診察室のパソコンの前の椅子に座り、改めてサキに向き合った。サキの口が開く寸前、また不安を感じて唾を飲み込んだ。


「まだ診断には至っていませんが、セキレイさんの無月経の原因は、ターナー症候群ではないかと予想されます。」


ターナー症候群・・・

初めて聞く単語にセキレイは目を白黒させて、サキに説明を求めた。


「今は簡単に説明します。診断が確定したら、また改めて詳しく説明しますので」


とサキはことわった上で、以下のようなことをセキレイに向けて説明した。

ターナー症候群は先天性、つまり持って生まれた病気である。46本ある染色体のうち、性染色体という性腺機能を司る染色体に異常があり、エストロゲンという卵巣ホルモンの作用が生まれつき不足する。エストロゲンは月経に欠かすことのできないホルモンであるため、エストロゲンの作用が不十分なターナー症候群の患者は生まれつき無月経となる。合併症の中には心臓弁膜症、甲状腺ホルモン分泌低下など、いくつか早期治療が必要な疾患が含まれている。


「明日にターナー症候群と診断するのに必要な検査を行います。明後日以降に検査結果を説明いたしましょう。」


サキがそう伝えたところで、その日の診察は終わった。セキレイは検査入院が必要なため、オオカラスと一緒に病院2階の病室に泊まることになった。午前中の6時間の飛行の疲れのせいでクタクタだったセキレイは、病室に入り室内灯を点けると、真っ先にベッドに倒れ込んだ。一方でオオカラスはベッドの上に持ってきた大きな黒い鞄を開き、夜食がわりのジャパリまんを取り出してセキレイに寄越した。


「お腹空いたでしょう。好きなときにお食べ下さい。」

「・・・ああ。」


セキレイがしょげたような声色で返事したので、オオカラスは心配そうにセキレイの顔を覗いた。


「お疲れですか。」

「ああ。正直、先生の話もそんなに集中して聞けなかったよ。」

「そうでしたか。」

「うん・・・」


小さな声でそう呟いて、セキレイは寝返りをうち布団にくるまって、頭まですっぽりと覆った。そんな様子のセキレイを不憫に思ったのか、オオカラスはセキレイのベッドの端に腰を掛け、布団に覆われたセキレイの頭部を大きな手でそっと撫でた。


「やめろよ・・・まるで子どもみたいじゃねえか。」


布団の中でセキレイは、誰にも聞こえないくらいかすかな声で呟いた。恥ずかしさで顔の周りが蒸れて熱くなっていくのを感じた。熱い、息苦しい・・・けれど今だけは、このオオカラスの温かさに甘えていたかった。


(俺、死なないよね・・・大丈夫だよね・・・)


布団の包まれているのがしだいに辛くなってくる。けれど今の真っ赤な顔をオオカラスに晒すのはどうにも恥ずかしい。意地っ張りなセキレイは小さな身体を折って膝を抱え、やせ我慢をして全身に布団を巻きつけたまま、じきに眠ってしまった。



2日後、必要な検査結果すべて揃ったということで、セキレイとオオカラスは産婦人科の診察室に呼ばれた。サキの診療受付時間が終わった午後4時、予定通りに二人が診察室に行くと、そこではサキが資料を準備して待っていた。


「こんにちは、セキレイさん。昨日よりは顔色が良いようですね。」

「まあな。2日間もあったら気持ちの整理くらいつけられるさ。」

「立派ですね。ではそちらにおかけ下さい。」


セキレイはサキの前の椅子に座った。今日はオオカラスもセキレイのすぐ隣の椅子に腰掛けた。


「それでは検査の結果についてお話ししましょうか・・・」


サキはそう言ってセキレイ達の方に向き直った。思わずセキレイは緊張し、膝の上で拳をぎゅっと握り込んだ。オオカラスも、いつもよりほんの僅かだけ頬が強張っていた。サキは少し間をとって二人の心の準備ができるのを待ってから話し始めた。


「端的に申しますと、セキレイさんの無月経の原因は、ターナー症候群として矛盾しないという結論に至りました。」

「つまり、それが最終診断ってことなんだな。」

「はい。詳しくご説明いたしましょう。」


サキはパソコンを操作し、ディスプレイに何かの白黒の画像を表示させた。


「これは染色体と言いまして、生物の体の仕組みを書き表した設計図です。私たちの体はたくさんの細胞で構成されていますが、ほとんど全ての細胞はこの染色体を持っています。」

「へえ、面白えな。こんな塊に俺たちの体の設計図が保存されてんだな。」


病気への不安よりも科学的好奇心が勝ったセキレイは身を乗り出してディスプレイに目を近づけた。画面には大小様々な染色体が46本並んでいた。


「染色体は2本で1セットなので、この設計図は全部で23セットあるわけです。そのうちの1セットは性染色体と呼ばれるものになります。」

「ふむ。」

「性染色体はその名前の通り、XとYの組み合わせで生物のオス/メスを決定づけています。XとXがセットになっていればメス、XとYはオスになります。簡単にいえば、Y染色体があればオスになるわけですね。フレンズはヒトのメスの体をベースに発生するため、その性染色体は100%メスの型、つまりXXとなります。

さて、先ほどお話ししたターナー症候群は、このX染色体が生まれつき一本足りないか、その機能が生まれつき不十分なことが原因で発症します。ターナー症候群の患者はX染色体だけを持っていますので必ず女性として産まれてきます。ところがX染色体の作用が不足するために、卵巣のホルモンであるエストロゲンが出ず月経が起きなかったり、背が伸びにくかったり、二次性徴が来ないといった症状が起きます。セキレイさんの染色体を検査した所、このターナー症候群の像が確認されたのです。」


説明を聞き、セキレイは自分の体について振り返ってみる。確かに俺は俺よりも身長が低いフレンズを見たことがない。140センチに満たないこの身長は自分の個性だと思って、それ以上何も考えることはしなかった。生理が来ないのも、胸が小さいのも、たまたまそういう体なのだと思っていた。けれどそれにはターナー症候群というちゃんとした理由があったのだとセキレイは初めて知り、少なからず感動を覚えた。


「ここまでよろしいでしょうか。お二方。」

「ああ。」

「大丈夫です。」

「わかりました、続けます。」


サキは軽く頷き、また話し始めた。


「ターナー症候群の治療は、不足しているエストロゲンを補うことです。この治療を行うことで二次性徴の発来、骨粗鬆症の予防が望めます。また、乳癌や卵巣腫瘍などの治療が必要な合併症が起きていないか、定期的にチェックすることが重要となります。」

「先生、治療をすることで仕事ができなくなる、なんてことは起こるのか?」

「この病気は投薬でコントロールすることができるため、患者の多くは普通の人と変わらない生活を送ることが可能です。セキレイさんも、今まで通りお仕事を続けることができると思います。

エストロゲンの補充は貼り薬でできますので、入院する必要はありません。合併症のチェックは一ヶ月に1回くらいの頻度で始めたいと思いますがいかがでしょう。」


そう言われてセキレイとオオカラスは顔を見合わせた。オオカラスは小さく頷いている、つまりサキの提案に納得しているということだ。セキレイも一ヶ月に1回程度なら・・・と思っていたので丁度良かった。

セキレイはサキに答える。


「わかった。その位だったら仕事を調整してみるよ。」

「ありがとうございます。」

「それで、その・・・」


セキレイはおずおずとためらいながら、


「先生はさっき合併症がなんとかって言っていたけれど、それは今の時点で俺の身体に起きていたりするのかな。昨日検査の時にちょっと言ったかもしれないけど、俺はそれが怖いんだ・・・」


それに対しサキはセキレイから目を逸らすこと無く率直に答えた。


「はい。そのことについても昨日のうちに検査をしておきました。内分泌異常、心エコー、経膣エコー、卵巣腫瘍のマーカーを確認済みです。エストロゲン以外の内分泌機能に異常はなく、心臓にも先天性の奇形の像は見られませんでした。合併症としてしばしば見られる卵巣腫瘍も現在の所その徴候は見当たりません。ターナー症候群の症状・合併症の出方は個人差が大きいのです。セキレイさんはこれまで全く異常を感じずに生活して来られたわけですが、それは当然のことで、セキレイさんのケースでは無月経のみが発現したものと考えられます。」


ひとまず今の所、悪い病気がある可能性は無いと知り、セキレイは安堵して額の汗を拭った。そして項垂れて声を震わせ呟いた。


「そっか、俺、ここに来るまで全然病気の自覚無かったんだけど、それはおかしいことじゃなかったんだ。」

「その通りです。セキレイさんの感じ方は正しかった。」


これまで症状を一切認識しなかった、自分の感覚は間違っていなかったのだと教えられ、セキレイは胸を撫で下ろした。病気のことなんて考えず能天気に生きてきた一昨日までの自分が、サキの言葉で少しだけ救われたような気がしたからだ。


「逆に、無月経以外の症状、例えば急に太るとかお腹が張るとか、そういった症状を今後自覚した場合は遠慮せず、すぐに病院に来て下さい。」

「わかった。」

「オオカラスさんも、もしセキレイさんの様子を見ておかしいなと思うことがあれば、タイミングを見計らってセキレイさんに伝えてあげて下さい。存外、患者自身が症状を自覚していないことは多いので。」

「承りました。」


と、オオカラスは深々とお辞儀をして、


「セキレイ様をお守りするのが私の役目ですから。」


と付け足して言った。セキレイはそれをお節介だと感じ、ムッとしてオオカラスを睨みつけようとした。しかしオオカラスが言い出してくれたからこそ、ターナー症候群という自分の病気のことを知り、少し安心することができた。その事への感謝もあって、セキレイは睨みつけるのをこらえ、ちらりと一瞥するに留めた。


「さてと・・・」


サキは持っていた書類を机でトントンと揃えながら改まって言った。


「これからの話は、治療自体にはそこまで関係するものではありません。ただ、そういう事実が判ったということはお伝えしておくべきと思いましたので、お話しします。」

「今度はなんだ?」


今度はどんな話なのかとセキレイはまた身構え、サキの目を覗き込んだ。サキの目はさっきまでより深い赤色に染まっているように見えた。医者であるサキもいくらか緊張しているのか、表情がさっきまでより固かった。


「単刀直入に申しますと、セキレイさんのターナー症候群は極めて稀なタイプだということが判ったのです。」

「稀なタイプだって?」

「ターナー症候群は性染色体に異常が起きることで発症する病気と説明しました。ターナー症候群は、この性染色体にどのような異常が起きるかによって幾つかのタイプに分類されます。一番多いのは45, XOというタイプで、2本あるはずのX染色体が1本しか存在しないというものです。セキレイさんのケースもこのタイプとわかりました。」

「普通じゃねえか。」

「話はここからです・・・」


と言ってサキは書類の束から一枚のカラー写真を取り出してセキレイに見せた。その写真はセキレイの染色体検査の結果を写した画像で、黄色や赤の蛍光色に色付けされた45本の染色体がずらりと3列に並んでいる様子が描かれていた。

サキはその画像の一番右下にある性染色体の所を指差して話し出す。


「ここには性染色体であるX染色体が1本だけあります。ターナー症候群のため、通常2本あるべきところが1本になっています。ここまではよろしいですか。」

「ああ。」

「では、この残ったX染色体をよく見て下さい。何かに気づきませんか。」

「何か・・・?」


セキレイは目を凝らして黄色に染まっているX染色体の姿を見つめる。オオカラスもセキレイの横から覗き込んだ。


「うーん・・・あれ?なんか変だな・・・」


先に気づいたのはより近くで見ていたセキレイだった。全体が真っ黄色に染まっていると思っていた棒状のX染色体の一部、その中央辺りに何か青色の点がついているのが見えた。この青い点が異常なのか、そうでないのかはセキレイにはわからない。とりあえずそのことをサキに伝えると、サキは「その通りです」と言って頷いた。


「その青く光っている点は、通常のX染色体には見られない構造がそこにあることを示しています。」

「つまり、本来ないものが俺のX染色体に混じっているってことかよ。それって大丈夫なのか?」

「このようにX染色体に別の染色体のパーツが混じることは、ターナー症候群では偶に見られる所見です。これが何か悪さをするとか、そういったことはありませんので安心して下さい。治療方針もお伝えした内容に変更はありません。」

「だったら別にどうってことないじゃないか。」


セキレイは口を尖らせる。オオカラスもほっとしたのか僅かに身体を揺らす。

しかしサキの真剣な表情は揺らがず、そのままセキレイのことを見続けていた。セキレイは口をぎゅっと結び、次のサキの言葉に備えた。


「・・・X染色体に何か別の構造が混ざっていることも重要ではありますが、それ以上に、混ざり込んだ物の正体が、その・・・非常に稀、というよりも奇跡に近いものだったのです。この青い点の正体は・・・・・・Y染色体、その断片です。」



・・・Y染色体?



セキレイはサキを見つめたまま何も言うことができなかった。告げられた事実が自分の理解を超えていたせいで、その事実を認めることは愚か、その意味を理解することさえできずにいたからだ。


しばらくの間、診察室はシンと静まり返った。


「・・・・・・は、Y?」


ぽつりとオオカラスが小さく呟いたのを聞き、セキレイは横にいるオオカラスの様子をそっとのぞいた。

一見オオカラスはいつもと変わらない落ち着いた様子で座っているように見える。しかしその時のオオカラスが珍しく動揺していることが、セキレイにはすぐにわかった。いつもは気難しそうに垂れている口角が、今は数度上方に引きつられている。腿に乗せられた左の拳もいつもより深く握り込まれている。それに右隣から漂ってくる体温の熱が、普段より強く感じられる。


(オオカラスがこれだけ動揺してるってことは、そのYとかいう混ざりものが相当変なものなのだろうか。)


サキが言ったことをまだ理解できていないセキレイは、戸惑いながらサキに尋ねた。


「え、先生。そのYっていう混ざりものは一体何なんだ?」

「Y染色体はオスだけにある性染色体・・・逆にいえばメスには通常存在しない性染色体です。そしてフレンズは皆メスであり、フレンズがY染色体を持って生まれることはありえないと、これまで考えられていました。・・・その定説を、セキレイさん、あなたの染色体が覆したのです。」


その問いに答えたセキレイの顔を見たサキの瞳は、未知なるものを知りたいと願う好奇心の輝きと、そのような突飛な事実を受け止めなければならないセキレイに対する、ある種の共感や同情が生み出す翳り、その一対の明暗を含んでいた。


〈続く〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る