第一篇 ハクセキレイという少女

雲ひとつ見えない素晴らしい冬晴れの朝だというのに、海辺の港全体に揺らめいている朝霞が水平線上の空を覆い隠している。朝から仕事のあるアンインエリア所属のパーク職員や、早起きなフレンズは外に出た途端、この寒さに晒されて思わず身をよじり、これはたまらないと足早にそれぞれの仕事場へと駆けていく。そんな人たちの靴音が過ぎていくのを横目に、ハクセキレイのフレンズ・セキレイはレンチを片手に、マイクロバスのエンジンルームに小さな上半身を滑り込ませ、内部機関を弄り回していた。


「さあてと。これでエンジン動いてくれるかなぁ。」


一言ぼやいて上半身をエンジンルームから引き抜いた時、セキレイの周りには観光客と思わしきヒトの子どもが四人ほどかがんで、セキレイのことを興味津々に見上げていた。セキレイは着けていた保護用のゴーグルを額の上まで押し上げてから、周りを囲む子どもたちに向けてニカッと白い歯を見せ笑いかけた。


「おはよう! みんな朝早いねえ。」

「うん。そのバスでアンインエリアのスキー場に行くの。」


子供の一人が答えた。


「そうかそうか。じゃあ俺もちゃちゃっと仕事終わらせないとな。」

「仕事?」

「そう。俺は機械を直したり、調整したりするのが仕事なんだ。つっても駆け出しなんだけどさ。」


セキレイは自慢げに言ってグローブをぎゅっとはめ直した。


「へえ、お姉ちゃんフレンズなんでしょ。すごいね!」

「ありがとよ。まぁでも、フレンズにも色んなやつがいてさ、俺みたいにヒトの仕事に興味を持つ物好きもいるのさ。スキー場だと・・・確かトナカイ、あいつスノーモービルを乗り回す趣味が高じて、いまでは雪山レスキュー隊のエースだぜ。」

「えー!トナカイなのに?」

「おもしろいだろ、パークには他にも色んな面白いやつがいるからさ、みんな楽しんでいってな!」


セキレイは調子よくボンネットを下ろし、運転席に飛び乗ってキーを回した。すると即座に前方からエンジンの低い回転音がリズムよく聞こえてきた。アクセルを空ぶかししてみてもエンジンに異常は感じられない。


「調整終了。」


セキレイはエンジンを切ってバスから降り、直ぐ側まで来ていたバスの運行管理スタッフに作業報告をした。報告を受けたスタッフはセキレイの仕事ぶりに満足そうに何度も頷き、セキレイが書いた点検チェックリストにサインを入れた。これにてセキレイの仕事は終わりである。


「ほらみんな、お姉さんの仕事は終わったぞ。風が冷たいから早くバスに乗りな。」


セキレイが声をかけると、子どもたちは元気いっぱいな駆け足でバスに飛び乗っていった。そんな微笑ましい光景を眺めていた所、誰かの母親らしき女性がセキレイの前にやってきてこんなことを聞いた。


「あの、すみません・・・あの海の先に変な島があるって噂、本当なんですか?」

「変な噂?」

「そうです、たしか鵺島って名前だったかと思います。なんでも鵺という恐ろしい妖獣がいるという話で、特にフレンズの方々に恐れられていると・・・」

「ええまあ・・・そうですけど、それが?」


この女性の意図が読めずセキレイが聞き返すと、女性はきまりが悪そうに眉をひそめ、マフラーに顔をうずめた。


「いえ、そういう噂があると、なんとなく心配に感じてしまうのです。子どももおりますし。」

「ああ、そうですかね。どうでしょう、本当に鵺なんているんですかね・・・」


セキレイがそう言いかけた時、女性の後方に影がふらりと現れ、セキレイの方へずんずん近づいてきた。女性も誰かが近づいてくる気配と乾いた靴音を聞いて、何気なく後ろを振り返り、そして思わず身を凍りつかせた。それも無理はない。やってきたのが身長が190センチ以上もある、頭から爪先まで全て黒一色に染め上げた人物だったからだ。そびえ立つ影の大入道は怯えきった女性を見下ろし、ぺこりと会釈した。


「申し訳ありません。驚かすつもりはなかったのですが。」


それから帽子のつばを少し持ち上げ、血のように赤い瞳を片方だけ覗かせて、


「鵺島のことですが、あそこにいる鵺が島外に被害をもたらしたという事はこれまで確認されていないと私は聞いております。島に自ら近づこうとしない限り、心配なさる必要はないと思われますよ。」


しかし女性は恐怖で両肩を吊り上げたままコクコクとうなずき、そそくさとバスに逃げ込んでしまった。後に残されたセキレイは舌打ちをして黒ずくめの人物の前に立ち、天に顎を突き出すように上を向き、その人物を思い切り睨みつけた。


「セキレイ様。」


その声は静かで、抑揚がほとんど無かった。


「あのご婦人からのご質問を受け、セキレイ様が困っている様子でしたので、私が代わりにお答えしたのですが。ご婦人を怖がらせてしまったようです。失礼いたしました。」

「オオカラス・・・」


呆れ返ったセキレイは拳を握りしめた後その手を開き、ちょうど目の前に大柄なオオカラス黒ずくめの脇腹が聳えていたので、それを力任せにはたいて言った。


「あったりめーだ! てめーみたいなデカイ図体の黒ずくめがいきなり現れたら誰だってビビるに決まってんだろ!」

「・・・仰るとおりでございました。ついセキレイ様のことを思い先走ってしまいました。」

「まったく、そういうところには気が回らねえんだよなあ、お前は・・・ああ、しまった! いつの間にかバスが出る時間じゃないか!」


時刻は午前8時45分。北部港エリア発、雪原エリア・スキー場行のバスは乗降口を閉じてゆっくりと動き出していた。セキレイが目を凝らすとバス後部のガラス窓から子どもたちがこちらに向かって手を振るのが見えたので、セキレイは嬉しそうに笑いながら手を振替した。そのセキレイの幸せそうに笑う横顔を眺めていたオオカラスは帽子の影の下でほんの少し微笑んだ。

バスが遠くに消えた後、オオカラスは先程と同じ単調な声色でセキレイに囁いた。


「そこのカフェ、新たにモーニングを始めたようですよ。召し上がっていきますか。」

「おう。工具片付けたら行くから、カフェで待っていてくれ。」


朝から作業をしていたせいでセキレイはお腹が空いていた。一刻も早く朝食にありつくため、セキレイはくるっと背を向け一目散に詰所に駆けていった。



仕事の後始末を終えたセキレイは、オオカラスの待つ海岸沿いのカフェ”エルザ”に行った。店に入り中を見回すと、店の入口に視線を向けていたオオカラスとすぐに目があった。セキレイはつかつかとオオカラスの待つテーブルにつき、既にテーブルに用意されていた塩味フィッシュフライとまだ温かいコーンスープをあっという間に平らげた。そして後から店員のフレンズが持ってきたホットココアをのんびりと口に含み、ほっと息をついた。これが機械修理屋・セキレイと、そのマネージャー・オオカラスにとってのいつもの朝である。


「ご苦労さまでございます。」


急須に入ったジャスミンティーを注ぎながらオオカラスが目を細めて労をねぎらった。悪い気はしないのでセキレイは頷いて鼻を鳴らした。


「おう。今週はちょっと忙しかったけど、いっぱい機械いじれたし、色んな人にありがとうって言ってもらえて嬉しかった。」

「お仕事が楽しいと思える、それは何よりの幸せでございますよ。」

「ああ。楽しい。それに腕もちょっとずつ上がっているって感じてる。これもお前が色んな案件を持ってきてくれるからだよ。ありがとな。」

「いえいえ。セキレイ様が健やかにのびのびと生きていけるようお手伝いするのが私の役目でございますから。」

「その口癖も昔から変わんねえよなぁ。」


オオカラスは小さく頷いて目を瞑り、ジャスミンティーの香りをゆったりと愉しんでから、そっとカップに口をつけた。


「ところで、来週の予定ってどうなってるの?」


軽い調子でセキレイが尋ねた。オオカラスは横に置いていた黒の鞄からスケジュール帳を取り出して開き、すぐにパタリと閉じた。


「来週、それから再来週の予定はございません。」

「ええ?! ないの? 一個も?」


セキレイは途端に目を皿のようにして驚いた。


「はい。」

「なんで? 案件が無かったのか?」

「そういうわけではありません。」

「だったらどうして入れなかったんだよ。」


テーブルに身を乗り出して食って掛かるセキレイに対し、オオカラスは一切動揺を見せず、一旦セキレイを席に座らせた。


「セキレイ様は、やはり一度病院を受診した方が良いと思ったのです。」

「はあ、病院? 俺はどこも悪くないよ。ピンピンしてらァ。」

「いいえ。セキレイ様、生理が一切来ないというのはどう考えても可怪しいのです。」

「・・・」


オオカラスの言う通り、セキレイの生理は止まっている。それどころか生理なんてものはこれまで一度も来たことが無かった。友達から生理の話を聞き、自分にそれが来ないのを奇妙に思ったセキレイは少し前、そのことをオオカラスに打ち明けた。それをオオカラスは過剰に心配し、それ以来何度か医者に行こうとやんわり言ってきた事がある。そのことを蒸し返してきたのだろうとセキレイは察し、今度も適当に聞き流すつもりでいた。しかしどうやら今日のオオカラスは相当に気合が入っているようであった。


「いいですか、通常であれば一ヶ月に一度程度、生理があるものです。それが来ないということは身体に何らかの原因があることを示しています。その原因には怖い病気も多く含まれていると聞き及んでおります。」

「怖い病気じゃないかもしれないだろ。」

「病気の良し悪しを正しく判断できるのはお医者様だけです。」

「うっ・・・」


オオカラスにピシャリと言い切られてセキレイは黙るしか無かった。それをチャンスと見たのかオオカラスは畳み掛ける。


「私はセキレイ様の身を案じております。セキレイ様のお体に病気が何も無ければ、あるいは大したことのない病気であれば、それで良いのです。とにかく一度、お医者様に見て頂くべきかと私は思うのです。」

「うん・・・」

「それに、西の隣のキョウシュウエリアにフレンズのお医者様がいて、それが大変に良い先生らしいと、古い友人が申しておりました。その先生の所に行ってみましょう。」


セキレイは釈然としない顔でオオカラスの目つきをうかがった。今のオオカラスは帽子を脱いでいて、彼女の両の赤い瞳が真っ直ぐにセキレイを見据えていた。目も口もぴくりとも動かさず、オオカラスはセキレイに視線を送り続けている。こういう”本気モード”のオオカラスはとても頑固で融通がきかないことをセキレイはよく知っている。そしてこういう時は大抵、セキレイのほうが根負けしてしまうのだった。


「わーかったよ。お前のお節介に付き合ってやるよ。2週間の休暇だ、ありがたーく受け取ってやる。」


渋々承諾したセキレイはわざとらしく大きく息をつき、ムッとした表情で天井を見上げた。


「わかって頂けて嬉しいです。」


オオカラスはピクリとも笑わず、またジャスミンティーに口をつけて、


「そのお医者様、たしかサキというお名前でしたが、その方は隣のキョウシュウエリアの西部の病院にいるそうです。アンインエリアからは少し遠いですが、飛んで行けば6時間位で着くと思います。明日発ちましょう、とにかく今日はゆっくりと体をお休めになって下さいませ。」


勝手にスケジュールを決められて面白くないセキレイはテーブルに頬杖をつき、そのままの姿勢で冷め始めたココアを飲もうとした。そしてその仕草は行儀悪いとオオカラスに指摘され、苛立ちながら肘をテーブルから下ろし、ココアをいっぺんに喉の奥へ注ぎ込んだ。



翌朝、同じように朝食をとった後、セキレイとオオカラスは南西の方角にあるキョウシュウエリアへと飛び立った。快晴の空を飛んで行くこと6時間、二人はキョウシュウエリアの西部の丘陵地帯へと到着した。


ここジャパリパークは太平洋の造山帯に位置する、幾つかの火山島からなる巨大な動物園である。その中で一番西にある区域がキョウシュウエリアである。2050年代初頭の開園以来、外の地域からの観光客で日々賑わうジャパリパークの中において、このキョウシュウエリアだけが2058年以降、2075年の今日に至るまでヒトの立ち入りが厳しく制限されている。安全性が確保されていない、というのが理由らしいのだが、とにかく今のキョウシュウエリアには、野生動物がヒトの姿に変身したアニマルガールというヒューマノイド、いわゆるフレンズしか棲んでいないのだ。


そんな”フレンズだけの楽園”にセキレイとオオカラスは降り立った。キョウシュウエリアの地理に疎い二人は、ちょうど近くを通りがかったロバに、サキという医師がいる病院の場所を尋ねてみた。


「キョウシュウエリア第2病院だね。ここから北東の、あそこの丘の上にあるよ。」


ロバは木々の切れ間から見える丘の頂上を指差した。そして、


「ただね、最近風邪が流行っているみたいでね。先生曰く”インフルエンザ”という病気らしいんだけど、それの患者が多くて少し忙しいみたいよ。」


と親切に教えてくれた。


二人はロバに礼を言って、すぐにその丘を目指して飛んで行くと、まもなく3階建ての白い建築物が姿を現した。


「あれですね、降りましょう。」


オオカラスは体を傾けて下へ滑空して降りた。その後に続いてセキレイも小さな羽をバタバタとやりながら、病院の前の乾いた地面に慌ただしく着地した。

硝子製のドアを開けて病院のエントランスに入ると、目の前に並べられたソファーには既に数人フレンズが座っていた。その人達の更に向こうにあるドアには「しんさつしつ」と書かれた紙が貼られ、天井についている暖房の風に煽られぱたぱたとなびいていた。

オオカラスは先客たちからは少し離れた席に腰を下ろし、セキレイもそれに倣って隣の席に座り、とりあえず待ってみた。10分ほど経った時、診察室のドアが開いて中からマスクをつけたフレンズが気だるそうな足取りで出てきた。その後ろからもう一人、マスクをつけたイヌらしき栗色の毛のフレンズが現れて、エントランスをぐるりと見回した。そのフレンズは一際大きな体を持つオオガラスの存在に気づいたようで、メモを手に二人のところにやってきた。


「こんにちは。受付がまだでしたよね。診察をご希望でしょうか。」

「はい。隣の子のことで・・・」


オオガラスは目深に被っていた帽子を脱ぎ丁重に頭を下げた。


「その、あなたがサキ先生ですか。」

「いえ。僕はイエイヌのフレンズでヒイラギといいます。ここでサキさんの助手をしている者です。」

「そうでしたか、失礼いたしました。ああ、私はオオカラス。こっちはセキレイです。サキ先生の診察をお願いしたいのですが、今先生はお忙しいのでしょうか。」


するとヒイラギは持っていたメモを見返して、


「そうですね。今はインフルエンザが流行っていまして、その患者さんが多いのです。今は二人が診察待ちをしています。あと30分程度は待って頂くことになると思いますが、よろしいでしょうか。」


「別に構わないぜ。俺ァ風邪ひいてるわけじゃないからさ、怠くはないんだ。」


セキレイが横から荒っぽく口をはさんだ。それに対し、ヒイラギは「わかりました」と答え、先に待っていた患者の一人を連れて診察室に戻っていった。診察室の扉が完全に閉まったのを見計らって、オオカラスは身を屈めてセキレイにそっと耳打ちした。


「セキレイ様、初対面の方なのですから、もう少し丁寧な物言いを・・・」

「んあ?」


セキレイは眉間に皺をよせ、ギロリとオオカラスを睨み返した。その態度にオオカラスは眉を少しも動かさず、同じ調子で囁いた。


「セキレイ様、何か怒っていらっしゃるのですか。」

「・・・いや、別に。」

「でしたら何故それほど不機嫌でおられるのですか。」

「うるせーよ。そういう気分なんだ。しつこく聞いてくるんじゃねえ。」


セキレイはそう吐き捨てそっぽを向いた。

セキレイは確かに不機嫌だった。そもそもどうして自分が病院に連れてこられたのかを、未だ理解しきれていなかった。至って健康体の自分が、どうしてこんな遠くの病院に来なければならないのか。そのせいで、どうして仕事のチャンスを棒に振らなければならないのか。セキレイの胸の内は苛立ちでささくれたっていた。


(だいたい俺の体のことなのに、どうしてオオカラスが出しゃばってくるんだ。お節介もいいかげんにしてくれよ・・・)


と内心毒づき、ヒイラギに診察室に呼び込まれるまでの数十分の間、オオカラスと口をきくことはしなかった。



〈続く〉

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