第335話 いぬいぬパニック


 青黒い煙がわきあがり、狼のような姿に凝縮していく。

 体毛の一切ない身体、管のように細い舌、剥き出しになったかのような脳みそ。生理的な嫌悪を呼び起こすには充分だ。


 素人さんなら恐怖で固まってしまっておかしくない。

 けど、うちのエースは素人さんからは、ほど遠かったりする。


「ひとつ!」


 実体化した瞬間、七宝聖剣に切り裂かれたティンダロスが、やっぱり生理的嫌悪を呼び覚ます断末魔とともに消滅していった。

 見せ場もへったくれもなく。


「ふたつ! みっつ!!」


 続いてい現れたティンダロスも同じ運命をたどる。


 アスカ相手に、出現位置が知れた状態で、一匹ずつ登場したら、そりゃこうなるよね。

 なんというか、畑に出るモグラとかの害獣と同じレベルだ。


 悪魔の眷属とか言われてたのに、気の毒になっちゃうよね。


「アスカっちは真面目だからあ、わざと一匹逃がしてびっくりさせようとかぁしないしぃ」

「おやめなさいって」


 のへのへと変なこと口走るサリエリをたしなめておく。

 もしアスカが「それおもしろそう」なんて思っちゃったらどうするんだよ。


「ていうかこいつら弱すぎてつまんない!」


 ひどいことをいうアスカだった。


 ともあれ、十匹目を斬り捨てところでティンダロスの出現も終わり、メイシャが出現ポイントに聖印を描いていく。


 このあたりはアンデッド退治と同じ手順だ。

 もう二度と同じ場所からティンダロスが出現することはないだろう。


「出現条件も判ったしな」

「角度を利用した転移魔法というところですか。一定の角度って条件付けすることで消費魔力を節約しているのかもしれませんね」


 ミリアリアがフェンリルの杖をぴこぴこと振る。

 戦闘では出番がなかった彼女だが、そのぶんしっかりと観察と分析ができたようだ。


 その分析によると、ティンダロスが空間転移できるのは一二〇度の角度をもった空間。


 どこから転移してくるかは判らないけど、青黒い煙みたいのが現れるってことだから、実体を持たない存在なのかもしれないね。


 まあ、ティンダロスの生態なんてどうでも良い。出現法則さえ判れば充分だ。

 この情報を王国軍に伝えれば、いかようにも対応できるだろう。


「そんじゃこれで一件落着スね。のぞき見してる人がた、もう出てきて大丈夫スよ」


 メグが扉の方に声をかける。

 ややあって、ちょっとだけ恥ずかしそうにハイデンさんと奥さんが顔を出した。


「隠れてみていたら危ないですって。ちゃんと中に入ってくれれば護衛を貼り付けたのに」

「いやあ、邪魔になるかと思って」


 ぽりぽりと頭をかいてる。

 そりゃあ邪魔に決まってるけど、こっそり覗かれたらどんな危険があるか判らない。だったらちゃんと守った方がずっと良い。


「怪我とかされたら困りますし」

「すまないねぇ。それより晩ごはん食べていくだろう?」


 まったく反省してませんね?

 あとメイシャ、目を輝かせない。

 大事な注意喚起の最中なんだから。





 ティンダロス事件は、こうして幕を閉じる。

 ガイリア軍によって詳細な検討がおこなわれ、出現条件も完全に掌握されたことで、今後は被害も激減するだろう。


「ネルにかかれば、伝説的な怪物であるティンダロスの猟犬も、ちょい強めのモンスター扱いだな」

「ゆーて、俺が一人で戦ったらきっと負けるけどな」


 ある日、ギルドで顔を合わせたライノスに誘われて一杯付き合うことになった。


 出たのはティンダロスの話題である。

 悪魔が絡んだ事件というのは、とにかく情報があんまり残らないのが厄介なのだ。


 目撃した人間が精神に異常をきたしちゃったりね。

 ティンダロスなんて、典型的なそのパターン。

 突然現れて人を食い殺し、突然消えてしまうんだもん。


「軍師が前にでんな。娘どもに怒られねーのかよ」

「じつは口うるさく言われてる」


 でもねライノスさん。

 俺のジョブは剣士なんですよ。

 一応、ひとかどの剣客だっていう自負もあるんだよ。


「ゴブリンやコボルドを相手にするならともかく、ホープの相手はそんなレベルじゃねえだろうが。なんかあったらどうすんだよ」


 なぜか憤慨するライノスだった。

 もしかして心配してくれる?


「ありがとうライノス母ちゃん」

「よし、ケンカだ。表に出ろネル公」


 お互い酒が入ってることもあって、ゲラゲラと大口を開けて笑い合う。

 ライノスに侍ってる商売女たちも一緒にね。


 ふと思ったんだけど、彼女たちの距離感がおかしい。

 ライノスにはべったりくっついてる。だから、あのやろー腰や肩に手を回したりしてる。


 なのに俺の横にいる女性は、どういうわけか拳一つ二つ分くらい空けて座ってるんだよな。

 談笑したり、酒をつくったり、つまみを用意してはくれるんだけど、お触りはダメですよってオーラが出まくっている。


 いや、べつに、触りたいとかはないんだけどさ。


「ここにいた! 母ちゃん大変だよ!!」


 釈然としない思いで腕を組んだとき、店に勢いよくアスカが飛び込んできた。

 血相を変えてね。

 俺はグラスを引っ掴み、ぐっと水を一気に煽って酒精を追い出す。


「何があった?」

「ただ事じゃねえようだな」


 ライノスも自分の頭に冷水をかぶり、席を立った。


 

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