第317話 彼女の選択


「このままではランズフェローは滅びますな」


 ウサミンが重々しく発言した。

 俺が説明したセルリカの情勢とムーランの勃興について、これがインディゴの軍師の見解である。


「隣国がひとつからふたつになっただけで、そんなにまずいものなのか?」

「それだけなら美味くも不味くもありませんぞ。安定した隣国が二つあるというのがまずいのですじゃ」


 急速に国内が安定しつつあるセムリナ皇国。

 新進気鋭で、今後爆発的な成長を解けそうなムーラン王国。


 この二つだからまずいのである。

 いつ野心の眼差しがランズフェローに向けられるか判らないから。


「もちろん、一年二年という話ではないと思いますが」

「ですが十年二十年のうちには起きるかもしれない。そうですな? ライオネルどの」


 俺の言葉を引き継ぐウサミン。


 さすがだね。

 視野は広く識見は深い。

 いままで出会った軍師のなかで最年長だけのことはある。


 たぶん俺より多くのものが見えてるね。

 でなければ十年って予測は出てこないもの。

 俺には時期を読むのは不可能だ。


「お館様、雌伏のときは終わりですぞ」

「……我に起てというのだな? 覇道は血塗られた道だぞ?」


まつりごとに正解はございませぬ。どちらがマシかでご判断なさいませ」

「ぬう……」


 腕を組むカゲトゥラ卿。

 セルリカやムーランからの侵攻は、あると決まったわけではない。


 ないかもしれないのだ。

 このさき何百年も攻めてこないかもしれない。


 それでもなおランズフェローを統一する必要があるのか、という話である。


「あるいは、ホウジョウかナガルが天下統一に動き出すやもしれません。お館様はそれを肯んじられますかな」

「それは、否だ」


 カゲトゥラ卿が首を横に振るが、じつはホウジョウはすでに動いているのである。

 セイロウを使ってね。

 ただこれは失敗してしまったわけだけど。


 失敗したからもうやめる、となるほど諦めが良い相手とは俺には思えない。


「……わかった。ウサミンがそこまで言うならば我は起とう」


 しばしの沈黙の後、ついにカゲトゥラ卿は決断した。

 簡単なものではなかっただろうけどね。


 結局、セルリカなりムーランなりが攻めてきたとしても、あるいはホウジョウが天下取りの戦を仕掛けたとしても、多くの民が死ぬ。それがカゲトゥラ卿には我慢ならないのだろう。


 ほんの少しの時間しか話していないが、彼女は民を慈しむ王だと感じた。


「ウサミン。天下までの道筋を描け」

「御意」


「ライオネル。協力してくれるか?」

「俺たちは冒険者ですので、契約していただければ」


 ふっと笑って俺は返した。

 ここまできて、関わり合いのないことですから、なんて言うつもりはない。






「ネルネルぅ。どうして虎ちゃんの味方をすることにしたのぉ?」


 与えられた客室に腰を落ち着けた後、サリエリが訊ねてくる。

 虎ちゃんってのは、カゲトゥラ卿のことだろう。

 きっとね。


 ともあれ、ランズフェローのダイミョウを俺は二人しか知らない。ブヨウ卿とカゲトゥラ卿だ。

 十二分の二としか言葉を重ねていないのに協力を約束してしまったのは、早計だといわれても仕方がないだろう。


「べつに面接試験をやっているわけじゃないからな。全員と会う必要はないよ」

「ネルネルとしてはぁ、虎ちゃん以上の人はランズフェローにいないって見切ったんだねぇ」


「そこまで確たる思いがあるわけじゃないけどな」

「好きになっちゃったからぁ、惚れた女に天下を取らせるってことぉ」


 くだらないことを言うサリエリの頭を、アホかと言いながら小突いておく。

 あと、アスカもメイシャもミリアリアも色めき立たない。

 そんなわきゃーないんだからさ。


 そもそも男女として考えたら第一印象は最悪だよ。

 いきなり優男でがっかりなんて言われたんだからね。


 この悪印象から恋に発展するには、ものすごくたくさんのイベントを乗り越えないといけないと思うよ。


「それなのに母さんはカゲトゥラさまの味方をしようというんですね?」


 ミリアリアが小首をかしげた。

 いやいや、個人的な好悪と軍師としての判断は別物だって。


「決め手は、門兵が心付けを受け取らなかったことだな。ああ、ここのぎょくは大丈夫だって思った」

「たったそれだけで……」


 ミリアリアが呆れるけど、たったではなかったりするんだ。

 心付けは賄賂とはちょっと違うんだけど、性質としては一緒。

 つまりね、インディゴの官憲は賄賂を受け取らないってことなのである。


「賄賂をとらないのがスタンダードな国の官憲は優秀だよ」


 綱紀がしっかりと正されてるってこと。賄賂を取らないことの意味を、ちゃんと末端の兵士も理解しているってことだ。


 で、理解しているだけじゃダメで、賄賂を取らなくてもちゃんと生活できるだけの俸給をもらっていないと人間は魔が差すからね。

 インディゴはそれだけ豊かだってことを婉曲的に証明してる。


「それだけカゲトゥラ卿が慕われてるって証拠にもなるしな」


 悪事を働けば主君の顔を潰すんだって、末端の兵士までがちゃんと理解しているってことだから。


「ブヨウ卿の推薦と俺の見立て、どちらもカゲトゥラ卿が一角の人物であることを指し示した。これで読みが外れたら、俺の人を見る目がなかったってことだろうな」


 俺の言葉に娘たちが頷く。

 まあ基本的に反対しているわけじゃないしね。


 ところが、ユウギリだけは俺をまっすぐに見る。


「ライオネルさん。お暇をいただきたいのですが」


 思い詰めた表情で。


 

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