第307話 カトンの戦い


 カトン平原ってのは東西に十八里(五十四キロメートル)、南北に十二里(三十六キロメートル)もあるだだっ広い平野だ。

 水利も良く、あちこちに小川が走っている。


「ここ開拓したら、一大穀倉地帯になりそうだな」

「もともとトロンコの周辺というのは穀倉地帯なんだ。こんな平原がいくつもある」


 呟いた俺にシュクケイが笑いかけた。

 本陣である。


 カトン平原の中央部からやや南よりの場所に、セルリカ軍二万五千が布陣していた。


 全体の指揮はシュクケイがとり、俺は副将として彼の横にたつ。

 太守のソーシンは部隊長の一人として五千ほどを率いる感じだ。それでいいのか太守様。


 むしろサリエリも部隊長として五千を率いるんだよな。

 自由すぎる総司令官だ。


「ネルダンさん。ムーラン軍が現れたス」


 斥候のひとり、メグが本陣に入ってくる。

 やや緊張した面持ちで。


「北からまっすぐに、だな?」

「はいス。ただ数が、十万はいるように見えたス」


 緊張の原因はそれか。


 俺はひとつ頷き、メグの労をねぎらった。

 当たり前だけど、万を超えるような人間を目算することはできない。

 だいたいこのくらいかなー、という感覚が頼りである。


 このとき、びびりな人は数を多く見積もりがちだ。万単位の軍勢が押し寄せる様なんて、やっぱり怖いからね。

 逆に好戦的な人って敵を少なく見積もっちゃう。


 メグはどっちでもなくて、見たことを見たとおりに伝えてくれる。得がたい斥候だ。


 ちなみにシュクケイ子飼いのウキとサキも斥候隊に組み込まれ、総勢百四十七名の斥候たちが戦場を所狭しと駆け回って情報を集めている。


「考えていたより少ないな」

「だな。我らを舐めているのか。それともかき集めるだけかき集めてあの程度なのか」

「いやいやいやいやいや。あんたらなにいってんスか?」


 俺とシュクケイの会話に、メグがぶんぶんと手を振った。


「オレの報告ちゃんと聞こえてなかったスか? 十万スよ? 一万じゃないスよ?」


 こちらの四倍である。

 もちろんちゃんと聞こえていたぞ。

 手を伸ばし、やさしくメグの栗毛を撫でる。


「三十万くらいで攻めてくると思っていたんだよ。それに勝つ算段をしていたんだ」

「数が少なかったから負けたんだ、という言い訳をさせないためにな」

「もういいス……あんたら頭おかしいス……」


 なんだかすごく疲れたような口調で言って、メグが本陣から去って行った。 また情報を集めるために。


「まあ、まともに考えたら四倍の敵と戦うってのは頭おかしいかもかもなぁ」


 ぽりぽりと頭を掻くシュクケイ。

 そりゃあ、お互い全軍を一度にぶつけたなら、数の多い方が勝つからね。





 十万の大軍といっても、同時に全員が戦えるわけがない。

 全員にちゃんと指揮官の指示が届くわけでもない。


 結局、手足のように動かせる数でないと作戦って上手くいかないんだよね。数だけ増やしたって意味がないんだ。


 で、ここが大事なんだけど、十万の大軍をひとりで指揮できる人間なんかいないってこと。

 絶対に目が届かないんだよ。


「戦は数でするものじゃないからなぁ」

「シュクケイどのが言ったのでなければ、数を揃えることができなかった奴の言い訳になりますね。それ」


 大セルリカにはまだまだ潤沢な兵力がある。

 ぶっちゃけ、トロンコの太守であるソーシンだって三万から五万くらいは動員できるのだ。

 でも俺たちは二万五千で戦場に立った。

 それで充分だと考えたから。


「戦闘開始だ。勝つ算段はしてあるから、無理をせずに戦えよ」


 そう言って、シュクケイがさっと軍配を振り上げた。


 まず動いたのは、カウン将軍の五千。

 大将軍コウギョクの右腕と呼ばれる勇将である。偃月刀っていうでっけー刀を振り回し、いきなり突撃を仕掛ける。


 五千で、十万に。

 無謀、ではないんだ。


 ムーラン軍はまだ布陣できてない。移動中なのである。

 戦闘態勢が整っていないところに五千騎が突っ込んできたらどうなるかって話さ。


 迎撃するのか、防御するのか、さがってやり過ごすのか、末端の兵士に判断なんかできない。

 指示を出すべき下級指揮官たちには、もっと上の指揮官からの指示が届かない。


 距離の近い兵士がバラバラに戦って、ただむなしく倒されていく。


 これが大軍の弱みのひとつ。

 指示が届かないと数が活かせないのだ。


「そしてもう一つの弱みは」


 俺の目線に頷き、シュクケイが軍配を振る。

 敵右翼に食いついているカウン隊の反対側、左翼側に新たな部隊が突入していく。

 最も突破力に優れ、攻撃力の高いサリエリ隊だ。


 アスカ、コウ、サリエリを先頭に、まるで草でも薙ぎ払うように敵陣を切り裂いて突き進む。

 ほとんど速度も落ちない。


 左翼のムーラン軍はなすすべもない。


 右翼側とまったく同じ攻撃を受けているのに、何の対処もできないのだ。

 なぜなら、右翼でなにが起きているか知らないから。


 これが大軍の弱み、その二である。

 数が多すぎて情報共有が困難になってしまうのだ。


 なにが起きているか判らないまま、混乱だけが広がっていく。

 戦闘開始から小半刻(約十五分)。

 ムーラン軍は陣形を整えることもできず、ただただ打ち減らされている。


「シュクケイさま。敵本陣の位置、判明いたしました」


 サキがすっと現れた。

 気がつくと目の前に片膝をついているって登場、格好いいよな。

 うちのメグと違って、驚かせてやろうとかそういうことしないんだもん。


「ご苦労。エンカコ隊に、獲物の居場所を教えてやってくれ」

「御意」


 そして、現れたときと同じようにすいっと消える。

 かっこいいな……。


「どうした? 母上」


 じーっと見ているとシュクケイが首をかしげた。


「べつに羨ましいとか思ってないもんね」

「お前はなにを言ってるんだ?」

 

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