閑話 東方ロマンチカ


『希望』の求めに応じて中央大陸へと赴いたシュクケイは、結局一ヶ月ほどでセルリカへと帰還した。


「おかえり、ケイ。ちゃんと両足はあるようだね」


 出迎えてくれた大将軍のコウギョク。

 幼なじみでもあり、最も頼みとする同僚でもある。


「戦いって呼べるような戦いもなかったしね。フロートトレインとかいうのりものに乗って、走り回っていたたけだよ」


 軽く肩をすくめる。


 どうやらライオネルがルターニャに囚われているらしいとの情報をつかみ、救出のために駆けつけたら、なんか変な仮面で顔を隠してルターニャ軍を指揮していた。

 そしてダガン帝国と戦っていた。


 ものすごく意味不明な展開だが、追われているライオネルたちを助けるため、シュクケイは次々と策を打ち出したのである。


「とくに何の盛り上がりもなく勝ってしまった。『希望』もルターニャの七百も、信じられないくらい強かったよ」

「怪我がないならそれが一番よ。陛下に報告に行こう」


 コウギョクがぽんと腰のあたりを叩いて歩き出す。


 ほんの少しの間、シュクケイは後ろ姿を見送ってしまった。

 胸の隠しに手を当てながら。


「また渡し損ねたか……」


 意味不明なことを呟いて、小走りに後を追う。






 貪官汚吏どもが処分され、セルリカの弊風は一掃された。

 歌劇ならば、そこで陽気な音楽とともに幕が下りておしまいだっただろう。


 しかし現実というのは、そこからが難しい。

 不正をおこなって蓄財し、民を苦しめていた者たちは処分された。そこで終わってしまっては民たちの苦しい生活はなにも変わらないのだ。


 皇帝リセイミは宰相シュクケイと何度も何度も協議し、没収した不正貴族の財産で社会基盤を整え、民たちに職場を用意し、孤児たちに教育を与えていった。


 加速度的にラキョーの治安は良くなり、それは全土へと波及していく。

 処分の対象にならなかった貴族たちも、自らすすんで蓄財を差し出したのも大きい。


「民は夜に戸締まりする必要もなく、旅人は平気で野宿できるようになってきた、と報告がありましたね」

「あまり緩みすぎるのも良くないな。戸締まりくらいはちゃんとするように指導してくれ」


 冗談が飛び交うのは統治が上手くいっている証拠だろう。

 リセイミ、シュクケイ、コウギョクのトリオが同時期に存在していたから可能だった奇跡である、とまで、後の歴史書に記されるほどなのだ。



「で、このクソ忙しいのに一ヶ月も国を留守にしていた大軍師からはなにも土産がないのか?」


 玉座ではなく、執務机からリセイミが笑いかける。

 嫌味ではないのだが、リセイミが親政に乗り出して間もなく宰相が抜けるという事態になった。


 必要と思われる策はすべて授けてのことだったが、それでも痛いものは痛いのである。


「ご安心を、陛下。この通り」


 シュクケイが振り返れば、寡黙なコウが大きな鞄をリセイミに差し出す。


「中央大陸の艶本五十八冊、仕入れて参りました」

「でかした!」


 喜色満面、手を叩いて皇帝陛下が喜ぶ。

 はあああぁぁぁ、と、大将軍コウギョクがでっかいため息をついた。


 リセイミというのは皇帝としても政治家としてもまず立派な男だ。その能力も人格も、多くの家臣が認めている。

 ただ、ひとつだけ奇癖があるのだ。


 つまり艶本エロ本が、大好きなのである。

 下手したら後宮に集う美女たちよりも愛してるんじゃないかってくらい、艶本が大好物なのだ。


 艶本好きが高じて臣民に読書を推奨したり、無料で本が読める図書館をいくつも建設したりしているほどだ。

 真相を知らない民草たちは、皇帝リセイミは文化や芸術にも理解を示す名君だと讃えているが。


「大セルリカ皇国の皇帝が、じつは艶本好きのエロオヤジだなんて、誰が信じるのよ……」

「まあまあギョクさん。政務に差し支えるほどのめり込んでるわけじゃないし、目くじらをたてなくても」


 艶本の読み過ぎで仕事が手につかない、などということはない。

 ちゃんと趣味の範囲で、節度をもって楽しんでいるのだ。


 私室の書棚の何割かが艶本で埋まっていたところで、国民が迷惑するわけではない。


「褒めてつかわずぞ。宰相シュクケイ」

「ありがたき幸せ」

「なによその寸劇」


 男たちの馬鹿さに女が呆れる。

 いつも通りの光景に、コウが生温かい笑みを浮かべた。


「ところで、朕に対してこの土産で良いとして、コウギョクにも当然買ってきているだろうな」

「艶本なんかいらないんだけど?」


 間髪入れずにコウギョクが突っ込んだ。

 これが皇帝と大将軍の会話である。


「そうではなく、ちゃんと個人的に、なにか買ってきたのかと訊いているんだ」

「えっと……その……」


 なんだか宰相がしどろもどろになっている。

 今度は皇帝がでかいため息をついた。


「とっととその懐のものを出して、求婚しろ。このうすら愚図め」

「ちょっ?!」

「ぇっ!?」


 真っ赤になる宰相と大将軍。


「コウギョクがシュクケイを好きなのは宮廷にいるものならスズメやネズミでも知っている。逆にシュクケイがコウギョクを憎からず思っていることもな」


 両方から片思いしているようなものだ。

 見ていてやきもきを通り越してイライラするほどに。


 とっとと求婚しないなら、それぞれの伴侶をこっちで決めてしまうぞ、勅命だぞ、とまで脅されてしまう。

 大きく息を吸って、シュクケイは覚悟を決めた。


「あー……マスルでは好きな相手に指輪を贈るのが流行っているんだってさ、ギョクさん」


 懐から小さな飾り箱を取り出す。


「天下の大軍師ともあろうものが、流行り物に手を出しちゃうんだ」


 くすくすとコウギョクが笑う。

 耳まで真っ赤だ。


 シュクケイが蓋を開ければ小さな赤い宝石をあしらった指輪が鎮座している。コウギョクの黒い瞳との対比が美しい。


「ずっと好きでした。俺と結婚してください」


 宰相の覚悟の言葉。


「はい! 喜んで!」


 間髪いれずに大将軍が答える。


 互いに二十年来の思いが実った瞬間だ。

 感動的なシーンである。


 立会人となった皇帝は、


「街の酒場みたいな返事だったな」


 と、どうでも良い感想を抱いていたのだった。

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