第302話 青い狼


 シュクケイとコウギョクが結婚したのは半年ほど前。

 ルターニャの問題が解決して、俺たちがスペンシルに出かけようってしたいたあたりかな。


 ……つまり、俺たちがグリンウッドとインゴルスタと戦って、さんざん苦労していたとき、幼なじみの美女と結婚していちゃこらいちゃこらしていたわけか。


 死ねばいいのに。

 そして来世は虫か小魚にでも生まれ変わればいいのに。


「ごめんねえ。うちの宿六が苦労をかけて」


 場所を移してシュクケイの屋敷である。

 大国の宰相たる人物の邸宅だけあって豪壮で、使用人だけでも何人もいるっぽい。


 で、その使用人に任せず、俺とシュクケイが差し向かいで飲んでいるテーブルに、コウギョクがつまみを置いた。

 ゆったりとした服で巧みに隠してはいるが、もうかなり腹が目立っている。


 動き回って大丈夫なのかと心配してしまうけど、このくらいの時期になったら多少は動いた方がいいらしい。


 屋敷には手慣れた産婆もいるということで、過度に心配する必要はないんだってさ。


 だから、身重の妻が心配でーって理由で休暇を取ろうとしたシュクケイは、「いいから増える家族の分も稼いでこい」ってコウギョクに屋敷からたたき出されたらしい。


 ちなみに皇帝リセイミには、「とっとと登城しろ。公式記録にスケベ宰相って書かれたくないならな」って怒られたそうだ。


「とんだダメ亭主じゃないですか。シュクケイどの」

「なんということだ。母上まで判ってくれないなんて」


 おおげさに嘆いてみせるシュクケイだった。

 誰が母上か。


「で、北方蛮族の指導者ってのはなにものなんです?」

「それを語る前に北方辺地の歴史について話す必要があるだろうな」


 そう言いながら、シュクケイが俺の酒杯に酒を注いだ。


 東方大陸の中央部に位置するセルリカだが、同時に国としては東方大陸最北ということになるらしい。


 ここより北に住んでいるのは、いわゆる蛮族で、国家という概念すら存在していない。

 何十何百という部族が、争ったり仲直りしたりしながら、それぞれ勝手に暮らしいてるというのが現状である。


 で、その蛮族たちの主な産業が遊牧と略奪。

 セルリカの村や、あるいは他の蛮族の集落を襲って、食料とか財貨とかあるいは女とか奪っていくんだってさ。


 まるで盗賊団みたいだけど、部族単位で統率されているのが厄介だな。


「略奪が産業とは、なかなか野蛮な連中ですね」

「じゃなかったら蛮族なんて呼ばれないさ。隣国は平和な方がありがたいってのは、東方大陸でも中央大陸でもおなじだろ」


 そりゃそうだ。


 隣り合う主権国家の間に完全な平穏はありえない。いつだって幾分かの摩擦は発生してる。

 この摩擦が大きくなると戦争に発展するんだけど、平和で豊かな国との摩擦は小さいからね。


「散発的に少数が襲ってくるだけだったのが、数年前からちゃんと指揮統率された部隊がくるようになった。当然、損害だってはね上がっている」


 それでもなんとか凌いでいるのはセルリカ軍が強力だってのと、蛮族たちは支配権に拘泥しないから。

 襲うだけ襲い、奪うだけ奪ったら、とっとと引き上げてしまうんだってさ。


「謎の習性ですね」


 俺は肩をすくめる。

 戦争ってのは土地の奪い合いだ。でも土地そのものに価値があるわけじゃない。そこに人が暮らし、作物が育ち、税として徴収できるから価値があるんだ。


 だから、税として納めさせるか、殺して略奪するかってのは本質的にはあんまり違いがないんだけどね。


 決定的に違うのは荒れた畑から作物は収穫できないし、死んだ家畜は子供を生まないし、女性が減ったら村の人口は先細りになるってこと。

 ちゃんと支配しようと思ったら、最低限そこは気をつけないといけないんだよ。


 ともあれ、厄介な存在ではあるんだけど、北方蛮族はセルリカの屋台骨を揺るがすほどの存在じゃなかった。




「風向きが変わったその数年前に、セイロウなる人物が歴史に登場したんだ」


 くいと杯の酒を干し、シュクケイが続ける。


 青い狼という意味の名前だそうだ。彼が現れ、北方辺地はどんどん統一化が進んでいった。

 そして一昨年、ついに統一国家としてムーラン王国の樹立が宣言される。


 領土的な野心は不明だが、セルリカに対して幾度も襲撃を繰り返している潜在的な敵国だ。


「話を聞くだけでもセイロウなる人物がやばいことは判りますね」


 いままで国家という発想のなかった連中をまとめ上げるなんて、並大抵の手腕じゃない。


「そしてそれ以上に、そんな状況下でシュクケイどのを放逐するセルリカの上層部がやばいですね」

「まあ、あの当時は腐りきっていたからなぁ」


 重要な報告が皇帝まで届かない。届いたとしても、良い感じにアレンジされている。皇帝リセイミには、とくに問題なくセルリカがまわっているように見えていた。


 だからこそ、真実を知ったときの怒りはすごかったんだそうだよ。


 嘘っぱちの報告をしていた大臣や、都合の悪いことをもみ消していた重臣たちはまとめて首をはねられ、家財とかもぜーんぶ没収されたんだって。

 厳しすぎるって声も上がったんだけどね。


「貧しい庶民は幼子を養うために春を売っているような有様だ。貴様らも生きるために娘や息子を花街に売れば良い。そうすれば民草の辛さ一割も理解できるだろう」


 なんてことをいって、貪官汚吏どもとその家族を一気に社会の最下層に追い落としたんだってさ。

 おっかないねぇ。

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