第279話 ハスター


 礼拝堂のような場所はすぐに見つかった。

 城の中心部。大広間を改装して造ったと思われる豪壮な空間である。


 名状しがたき教団はそこに戦力を集中しており、最後の決戦がおこなわれるだろう、と俺は読んでいたのだが、予想は半分しか当たらなかった。


「……みんな死んでる」


 ぽつりと呟いたのは俺か、それとも他の誰かだったのか。

 たしかに教団連中は礼拝堂に集まっていた。


 しかし、全員が死んでいるというのは、さすがに想像の外側である。


「自らを供犠として捧げ、ハスターの帰還を早めようとしたか。なんとおろかな……」


 アーミテイジ博士が、疲れたような表情で首を振った。


 本質的に、悪魔というのは人間の言うことなんかきかない。

 取引をもちかけてくることもあるけど、あれは人間を罠にはめるためにやってることだから。


 一見すると人間が有利なように思えるんだよね。

 でも間違いなく本人は破滅して、周囲も巻き込んで大爆発って結末になる。


 わかりやすいのは、グリンウッド王国のなんとかっていう宰相かな。


 悪魔をやり込めて食ってやったと自慢していたけど、彼の行いによってなにが起きたかって話。


 スペンシルとインゴルスタを巻き込んだ戦乱に発展し、何万人って人が死んだんだよ。

 そして本人も、王様も死んで、国は滅亡の一歩手前まで追い込まれた。


 対して悪魔側の損害ってさ、宰相メテウスが食ったバビロンってのと、俺たちが倒したガタノトーアだけ。

 たったの二体なのである。


 さて、採算として人間側と悪魔側、得をしたのはどっちだと思う?


「いくら生け贄を捧げたって、悪魔が喜んで人間のいうことをきくことなんてないのに」


 俺も大きく息を吐く。

 もともと名状しがたき教団は壊滅させるつもりだった。最終的に降伏勧告がおこなわれたとは思うんだけど、それでも相当数が死ぬってのは織り込み済みだ。


 だけど、みんな自殺しちゃうってのは、なんとも後味が悪い結末である。

 矛盾だと判ってはいるんだけどね。


「ともあれ、ハスターの召喚は阻止できた。それを寿ごう」

「ですね」


 あとは鎮座しているハスターの神像を壊せばおわりだ。

 イハ・ンスレイでクトゥルフ像を壊したときと同じ。


「いや、そうとも限らないよ。人間諸君」


 唐突に。

 声が聞こえた。


 どこからともなく、ではない。

 視線をさまよわせれば、神像の前に片膝を立てて座っている浅黒い肌の少年。


 いや、そこにはいまのいままで誰もいなかった。

 いつ現れた?

 そして、どうして誰も気がつかなかった?


「名乗りが必要かな?」

「この状況で、アンタがハスター以外だと思うやつはいないから大丈夫だ」


 唇をゆがめて俺は言い放った。

 名乗られるより前にね。





「さすがにそつがないね。軍師ライオネル」


 にっと銀髪黄衣の少年が笑う。


 俺がやったのは言霊封じだ。

 このくらいの大悪魔になってくると、名前にすら言霊が乗るのである。

 下手をしたら立っていられないほど。


 もちろん俺が口にしたって衝撃は受けるけど、本人に名乗られるよりずっとずっとまし。

 ざわっとくる程度で済む。


「星辰が合ってないんじゃなかったのか? 邪神ハスター」

「合ってないよ。だから本体はまだこの星系にすら入ってない。これは思念体を飛ばしているだけ」


 丁寧に解説してくれるが、さっぱり判らない。

 星系? 思念体?

 なんじゃそりゃ。


「どうせ君たちは私の神像を壊すのだろう?」

「当たり前だ」


 ここまできて神像を破壊しないで帰ったらただのバカである。

 たとえハスターが邪魔しようとも、絶対に壊さなくてはいけない。


「だからその前に、イタクァを倒した相手を見ておきたくてね。それが壊されると、私がこの星に近づくのは五十万周期もあとになってしまうから」


 わかんない言葉を並べんなよ。

 五十万周期ってなんだ?

 けど、べつに俺は質問なんかしなかった。


「満足したなら帰ってくれ。そして、もう二度とくるな」

「つれないな。私は戦いたくて仕方がなかった。残念でならないというのに」

「願い下げだぜ」

「片思いはつらいんだよ。ライオネル」


 親しげに言葉を交わしてるけど、友達でもなんでもない。

 正直、俺の背中は冷たい手が這い回ってるような感触だ。


「これから、近くにいる悪魔がきみたちと戦うのだろうな。うらやましくて仕方がない。だから」


 ひゅんと少年の手が霞む。


 なにを投げつけた?

 俺ではなく、アーミテイジ博士に向かって?


 認識するより前に俺は動いていた。

 咄嗟に抜き放った月光で切り捨てる。


 切り捨てたはずだった。


 それは紐のようななにかで、月光の刀身をするりと避けて俺の右手首に巻き付き、まるで刺青タトゥーのような模様になる。


 一瞬の出来事。

 なにが起きたのか判らない。


「君自身を狙ったら、英雄アスカか聖女メイシャが対応しただろう。だが、アーミテイジを狙えば動くのは君だけ」


 種明かしをするようにハスターが語る。

 俺の動きを読んで仕掛けたってことか。

 まんまとしてやられた……。


「残念だ。戦いたかったな。他の悪魔に譲るのも癪だから、呪いをプレゼントしよう」

「ぐぼ……」


 半分も俺は聞いていなかった。

 どす黒く濁った血が口からあふれ出る。


 霞む視界の中、にこやかに手を振るハスターの姿が薄れ、消えていった。


 

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