閑話 インスマスにて


 インスマスを拠点化するのに苦労はしなかった。

 そもそも町長のマーシュが最初から軍門に降っているのが大きい。


 加えて、深き者や混ざり者たちインスマスが我が物顔で街を闊歩していたという状況だって、普通の人間たちからみたら面白くなかったのである。


 こいつらのせいで町に人は寄りつかなくなるし、定期的に女がさらわれて深き者どもの子を孕まされる。

 そんな生活に嫌気が差して逃げ出せば追いかけられて殺される。


 これに幸福を感じる人は、いるのかもしれないが、かなりの少数派だろう。


 ダゴンが滅びディープワンズも全滅したと判った瞬間、住民たちによるインスマス狩りが始まった。

 血統上は住民たちの子などなのだが、そんなことはおかまいなしである。


 支配され抑圧されてきた者たちの怒りが爆発した格好だ。

 そしてインスマスたちだって襲われたら反撃する。


 街は、あわや内戦状態になりかけた。


 その危機を回避したのがマーシュである。彼は冒険者クラン『葬儀屋』の力を借りて、インスマスたちに街から退去するよう促した。

 ようするに追放処分である。


 厳しすぎる。あるいは甘すぎる。と、賛否両論あったが、これ以上の流血を避けるという一点においては最上の策だった。


「ミレーヌ様、『フォールリヒター』用の簡易ドッグが完成しました」


 そのマーシュが報告書を携えて町長室に入り、秘書席にいるミレーヌに話しかける。


「お疲れ様です。ですが様はやめてください。私は暫定的にお手伝いしているだけなのですから」

「とんでもありません! 本来であればこの町はあなた方のもの」


 ばたばたと手を振るマーシュ。

 至高神の怒りに触れ海上へと引きずり出されたイハ・ンスレイを見た。邪神ダゴンと『希望』との死闘も見た。そのあとに現れた悪魔を倒したリアクターシップを見た。


 なんというか、もうすでに常人が理解できるレベルではなかった。

 神話の戦いである。


 そしてこのダークエルフが、彼らの中で最上位らしい。

 インスマスを拠点にすると定めたら、二日のうちに町を完全掌握してしまった。


 剛柔を使い分ける政略、巧みな人心掌握、そして実行部隊たる『葬儀屋』の有能なことといったら、マーシュとしてはとっととこの人たちに政権を渡してしまいたいと思ったほどである。


「住民の方々が船の補修を手伝ってくれるので、大変に助かります」

「この程度は、町を救っていただいた恩返しにもなりませんよ」


 もともとインスマスは漁業の町で、すこし貿易などをしていたこともあったから、リアクターシップを係留する場所は充分に確保できる。


 さすがに本格的なドッグというわけにはいかないが、船が沈没してしまわないよう陸揚げして、住民たちも手伝って補修作業の真っ最中であった。


 それほどまでに『フォールリヒター』の損害は大きかったのである。

 悪魔の岩礁からインスマスの町まで、よく自力航行できたなと感心する次元だった。


「船大工たちの話では、竜骨そのものには損傷がないので補修部材さえそろえば修理は可能ということでした」

「それは重畳だけど、あくまでも普通の船としてよね」


 ミレーヌが言葉を崩す。

 空を飛べないならリアクターシップの意味がないのである。






「たぶん、ここが馬鹿になってるんじゃないかと思うのよね」

「判るのか? アンナコニー」


 リアクターシップの機関室。

 所狭しと並んだ魔導機械を眺めながら言ったアンナコニーを、ナザルは感心するように見つめた。


 元『金糸蝶』の魔法使いであり、おそらくガイリアシティで最強の魔法使いである。


 大賢者なんて呼ばれるミリアリアだって、百回戦えば百回負けるだろう。

 派手な魔法を使うわけではないが、とにかく状況判断が的確で、打つ手に外連味がないのだ。


 彼女だけでなく、ジョシュアやニコル、さらにはライオネルまで近くにいたのに、女に狂って自滅したルークに対してナザルはあまり同情的ではない。

 阿呆か、という思いすら抱いている。


 ライオネルの提案に頷いているだけで組織は上手く回っただろう。実戦部隊はジョシュア、ニコル、アンナコニーに任せておけば、充分な戦果を挙げることができただろう。

 なのに、誰一人としてルークは使いこなせなかった。


 滑稽を通り越して、悲哀すら感じる。


「只の山勘なんだけどね。ここで魔力の流れが淀んじゃってるのよ」


 彼女が指さす機械を見ても、もちろんナザルにはさっぱり判らない。

 おそらく空を飛ぶために必要ななにか・・・なんだろうなって思う程度だ。


「これ、何だったかな。ずいぶん前に文献で読んだような気がするんだよね」

「ふーん」


 さっぱり判らないから、ナザルとしては生返事である。

 ぎゅりん、という勢いでアンナコニーがナザルに向き直ったとき、彼自身が驚いたくらいだ。


「いまなんつった? ナザル」

「お、俺なんか言ったっけ?」

「フーンって言ったでしょうが。それだよ」


 腑に落ちた、という顔のアンナコニーである。

 磁力機関フーン。


「なるほどね。こいつがリアクターシップが空に浮かぶ理由だったのかい。となると、話はかえってややこしくなってきたね」


 独りごちて腕を組む。

 やっぱりさっぱり判らないナザルは、ぽかーんとしていた。


 

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