閑話 邪神ダゴン


 インスマスというのはモンスターの名前であると同時に、町の名前であり、この地に蔓延した奇病の名前である。

 というのがライオネルが軍学の学校で学んできた常識だ。


 しかし、どうして奇病が発生したのか、という部分は明らかになっていない。

 魔法学校などでは悪魔の呪いであると教えているようだが。


「呪いといえば呪いともいえます」


 バーナードが説明を続ける。


 六十代に見える老紳士で、口調も物腰も柔らかいが、インスマス面どもはこの屋敷に近づくことを恐れているようだ。

 それを含めてライオネルはインスマスという概念について訊ねたのである。


「彼らは混血なのですよ。悪魔との」

「……そういうことか」


 腑に落ちたという表情でライオネルが膝を叩いた。

 モンスターのインスマスが人間との間に子をなすことが可能な理由がこれである。


 悪魔と人間の交配で生まれたのがインスマス。

 インスマスと人間の交配で生まれるのがインスマス面、すなわち混ざり者というわけだ。


「悪魔と混血が可能だなんて、初めて知りました」


 うそ寒そうに自らの肩を抱くミリアリアである。


「すべての悪魔に可能なわけではありませんよ。邪神ダゴンの眷属であるディープワンズは、数を増やすために人間と交配するのです」

「ん? 人間との間でないと子孫は残せないのですか? バーナードさん」


 疑問に思い、ライオネルが訊ねた。

 それは種として弱すぎる。


 雄がいないでも雌がいないでも同じだが、異種族と異性としか子孫を残せないとしたら、とっくに滅びていたっておかしくないほどだ。

 そんな不完全な種族が繁栄できるほど、世界というのは優しくできていない。


「兵隊作りですよ。混ざり者など、彼らにしてみればいくら使い捨てても惜しくない駒ですからね」

「なるほど……」


 深沈とライオネルは頷く。

 そのディープワンとやらは、ものすごく優生思想が強いということだ。


 純血のディープワンは市民で混血は奴隷。奴隷を作り出すための道具として人間。

 非常にはっきりしている。


「ちなみに彼らはメイシャを狙いました。それ以外の者たちは、俺を含めて殺そうとしていましたね」


 奴隷を作る道具として捕まえようとはしなかった。

 さすがにメイシャだけいれば良い、という類いのものではないだろう。


「優先順位が違うのでしょう。聖女メイシャといえば、この西大陸まで名前が響いている徳の高い司祭様です。これを捧げることができれば、彼らの大望も叶うでしょうから」

「大望?」

「主神たるクトゥルフの復活です」


 その名を聞いたとき、ライオネルは背中を冷たい手が這い回るような感覚に襲われた。


 そしてこれは、いままで悪魔と戦っているときに何度も味わっている。

 慣れることはなく、快感に転じることもない。

 娘たちも同様で、一様に顔をしかめたり腕をさすったりしている。


 だからこそ、ライオネルは違和感をおぼえることができた。


「……名前に言霊が乗るほどの大悪魔か。バーナードさん、あんたそれを口にして平気なんだな」


 右手が、左腰のあたりを遊弋する。

 いつでも月光を抜けるように。





「ほう?」


 好々爺然とした仮面が外れ、悪意に満ちた嘲笑がバーナードの顔に浮かんだ。


「よくおれが人間の味方でないと見抜いたな。さすがは軍神ライオネルといったところか」

「いや、あんたがクトゥルフの名を出さなければ気づかなかったさ。考えてみれば最初からおかしなところはいくつもあったのにな」


 阿呆の知恵は後から出るってやつさ、と、ライオネルがうそぶく。


 インスマス面どもが敷地に入ってこなかったことは、最初に考えていたよりもずっと重い意味があった。

 彼らはバーナードを恐れていたのである。


 対するバーナードは、彼らのことを混ざり者と呼んで蔑んでいた。それはつまり、自分が上位者であるという確信がなければできないことだ。


 ただ単に嫌いだから侮蔑しているだけ、などと、最初考えてしまったのは、


「お花畑すぎて軍師を名乗れないよ。そう思わないか? 悪魔ダゴン」


 にやっと笑う。


「推理を構築するきっかけさえあけば一気に詰めてくる。やはり軍師は恐ろしいな。至高神とか名乗るクソが垂れ流しやかった才能の種の中じゃ最悪のひとつだ」


 すっと跳んで、ダゴンが『希望』との距離をとる。

 青っぽい服と同様に青っぽい髪を持つ若々しい姿に変わっていた。


「なんで俺たちを懐に入れた?」

「いやあ、混ざり者たちが勘違いしていたからよ。聖女メイシャ以外は殺して良いとか、バカじゃねえの? 何に使うのか考えろってのな」


 嘲笑を浮かべた瞬間だ。


「きゃ……っ!?」


 床から現れた触手がユウギリに巻き付き、黒髪の美女を抱えあげる。


「このっ! ユウを離せ!」


 七宝聖剣をかざしたアスカが斬りかかるが、うねうねと逃げ回る触手にほんの少し届かない。

 あれれあれよという間に、ユウギリはダゴンに抱きかかえられていた。


「く!」


 こうなると下手に斬りかかれない。

 ユウギリまでは斬ってしまうから。


「離しなさい! 無礼者!」

「神の器となるための存在、依代か。この天賦だけはクソ神にも感謝だな」


 ジタバタと暴れるユウギリと、どこ吹く風のダゴン。

 殴ろうが引っ掻こうがまったくダメージを与えることができない。

 もちろん弓士のユウギリは近接戦闘能力が高くないという側面もあるが。


「ダンタリオン」


 ダゴンが虚空に呼びかければ、すうっと姿が消える。


「まて!」


 ライオネルが手を伸ばすが、その手は風をつかんだだけだった。

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