第252話 夜を待つ


 宿はガラガラだったよ。

 たぶん、俺たち以外に客はいないんじゃないかな。予想の範囲内だけど。

 チップをはずんだせいか、案内係の青年が部屋まで先導してくれる。


 みんな、なんとか声にも表情にも出さなかったけど、驚いただろうな。もちろん俺もね。

 あきらかに人間っぽくないんだもん。


 これがいわゆる、インスマス顔ってやつか。

 異相なんてレベルじゃないな。


 ぎょろりと目が飛び出し、ほとんど瞬きもせず、首の皮膚がエラみたいにだぶついている。

 かなり半魚人に近い感じだ。

 それが普通に大陸公用語を話してくるんだもん。驚くなっていう方が無理だ。


 さらにもう一つ驚く点がある。

 この宿、なんと扉に鍵がないのだ。


 侵入し放題である。まあ、宿の人間はマスターキーを持ってるだろうから、そこが共犯だったりすると鍵なんてあってもなくても一緒なんだけどね。


「いやあ、びっくりだったねー!」


 ちゃんと足音が聞こえなくなってから、アスカが驚嘆の声をあげた。


 いつも通り、全員で大部屋である。

 この状況でシングルルームを七つとか、正気の沙汰ではない。


 他人の容姿をあげつらっちゃいけません、と、普段なら注意するところだけどな。


「人の言葉を話すモンスターだとして、斬れるか? アスカ」


 いまは状況が状況なので、基本的な事項を確認したのみである。


「斬れるんじゃない? むしろためらう理由がないよ!」

「そりゃそうか」


 俺たちの中に人を殺した経験のないものはいない。

 戦場に出てるんだから当たり前だ。


 後衛のミリアリアだって魔法で殺してるし、メイシャもメイスで敵の頭を叩き潰したりしてる。

 いまさら殺しにビビるやつはいない。


 けど、人を殺すのとモンスターを殺すのって、ちょっと感覚が違うからね。

 いざとなったとき剣が鈍らないか、確認したかったのである。


「でぇ~、このあとどうするのぉ?」

「このあたりの情報を集めて、中央大陸に渡る船を探す感じだな」


「朝を待ってぇ?」

「いや、夜を待ってかな」


「ネルネルもインスマスは夜行性だと読むんだねぇ」

「さすがに俺たちを警戒してみんな隠れている、というのはない話だろうからな」


 肩をすくめる。

 夜になったら住民たちが現れるのではないか、とくに根拠はないけれど俺はそう読んだ。


「つまり、夜になったらレストランも開くということですわね」


 むふー、と、メイシャが鼻息を荒くする。


 いや、やめとけって。この町で何か食べるのは。

 インスマウスは奇病だって説もあるんだからさ。なにか感染したらどうするんだよ。






 とりあえず、日が暮れるまで交代で眠ることにした。

 陽の傾きから考えて、二刻(四時間)くらいはあるかな。


「メイシャとミリアリアは先に休めよ。ちょっとでも魔力を回復させておいてくれ」


 俺の言葉に二人が頷く。

 とにもかくにも、魔力や神力は寝ないと回復しないから。


「うちはぁ?」

「もちろんサリエリもだ」


 つまり、この三人は交代せずに最初から最後まで寝ていてもらわないといけない。


「ネルネルも少しは寝るんだよぉ。ネルだけにぃ」

「なにがなんでも名前ネタでちょさなくて良いんだよ」


 しっしっ、と、サリエリをベッドに追い払い、俺は木窓をあけて外を眺める。

 死んだような町並みを。


 かつては隆盛を誇ったらしい。

 年間、何十隻もの貿易船が入港して賑わっていたのだと俺は軍学の学校で習った。


 たぶんほかの町との中継点だったろう。ガイリア王国の感覚でいうと新ミルト市が近い。


 ピラン城から徒歩一日で、マスル国境もほど近く、フロートトレインの駅と、リアクターシップの発着場ある。栄えないわけがなくて、まずここにガイリア、マスル、ピラン城、ロンデン、という四ヶ国の富が集まり、そしてあちこちへと散っていくのだ。

 もちろん富だけでなく、人もね。


 まあ、一口にいって人種のるつぼだよ。

 人間、魔族、獣人に亜人、ありとあらゆる人々が町を闊歩してるんだもの。


 だからこそ、代官のアイザックさんは疫病の蔓延に留意しなくてはいけないといっていた。

 外からいろんな人がくるってことは、同じ数の病気が持ち込まれるってことなんだと。


 交易都市の宿命みたいなもんだよね。

 で、インスマスというのはそのあたりのコントロールがうまくできなかったんだろう。


 二百年くらい前に、謎の奇病が流行ってしまったんだそうだ。

 それで町の人たちのほとんどが死に絶え、生き残った人々も異形になったという。


 どこまで本当かは判らないよ?

 別の大陸の話だし、ミリアリアが言ったように悪魔の呪いだという説もあるし。


「ただ、そんな町に俺たちが放り込まれたのは、ただの偶然。なんて考えるのはちょっとお花畑すぎるよな」


 悪魔ダンタリオンには、なにか思惑があるはずだ。

 それがなにか読めれば現状の打破につながる。


「西大陸のインスマスに、ほとんど使えなくなったメイシャの神聖魔法……さて、どう切り抜けるか……」


 声に出さずに呟いた。

 状況は、なかなか予断を許さないな。


「母ちゃん。交代。少しやすんで」


 不意に後ろから声がかかる。

 振り向けば、ちょっと心配そうなアスカの顔だ。


 もうそんな時間だったか。

 そしてそれ以上にダメだろ、俺。娘にこんな顔をさせたら。


 無言のまま手を伸ばし、赤い頭をぽんぽんと叩いてやる。

 安心させるようにね。

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