外伝 ラブイズオーバー
パーティーというのは、どうにも苦手だ。
次々に話しかけらるせいで満足に食事や銘酒を楽しむことももできない。
とは、騎士カイトスの正直な感想だが、数え二十(満十九)歳でそれだけ出世していれば目立たないわけがないし、何人もの将軍を輩出している家の嫡男だ。
娘を売りつけようと寄ってくる貴族や富豪だけでもすごい数になってしまうのである。
社交辞令に疲れ果て、カイトスが視線を彷徨わせる。
一瞬の交錯。
壁際から、こちらを見ている少女と目があった。
青い瞳が真っ直ぐにこちらを見ている。
好意的な眼差し、ではなかった。
軽く首をかしげた青年が、歓談の輪から抜け出して少女に歩み寄る。
「失礼……」
「立派な眉毛ね」
話しかけた瞬間、相手から投げかけられた言葉に苦笑が浮かんだ。
用兵や才能を褒められることはよくある。容姿も、そう悪くない方なんじゃないかな、という自負もあったりする。
けど、眉毛だけをピンポイントに褒められたのははじめてだ。
「俺はカイトス。君は?」
「壁の花よ」
「名前を聞いたんだが‥‥」
「名乗れるような身分じゃないわ」
おかしなことを言う。
リントライト王家主催のパーティーに出席している以上、身分卑しいもののはずがない。
重ねて問われ、少女はレティシアと名乗った。
クァーリフという家名とともに。
「なんだ、クァーリフ伯爵のご息女か。どうして伯爵令嬢が名乗れない身分なんだ?」
「妾腹だからよ」
あっさりと答えるレティシア。
表情の選択に困るというのはよくあるが、女性の出自でははじめてだ。なんにしても無神経な質問をしたカイトスが悪い。
「よしないことを訊いてしまった。許してくれるとありがたい」
頭をさげる。
気にした風もなく少女が笑った。
安心しかかったところへ、
「カイトスどの、おさがししましたぞ」
背後から声がかかる。
振り向いた先に立っていたのは、そのクァーリフ伯爵だった。
「私の娘たちを紹介しようと思いましてな。長女のメヌエラと次女のシャリーンです」
曖昧に頷く青年に、若い娘がふたり優雅な礼をする。
「ご息女は三人ではないのですか? クァーリフ卿」
「え!? いやまあ、それは……」
口ごもっているのが罪の証だ。
とはいえ、レティシアが父の姓を名乗ったということは一応、認知はされているのだろう。
なんとなく振り返る。
案の定、少女はもういなくなっていた。
赤い髪と青い瞳が、なぜがいつまでもカイトスの心に残っていた。
カイトスとレティシアの再会は、まったく情緒のない場所だった。
妻も恋人もいない青年騎士は、高級な妓館で時を過ごすことがある。
そしてその日も、なんとはなしに入った店であの少女と出会ってしまったのだ。
そりゃもう幾重にもばつが悪い。
ただ、レティシアの方は悪びれなかった。
「お金がいるのよ。母が病気だから」
「クァーリフ卿からの援助してもらえば良いじゃないか」
「父からの送金なんて、とっくに本妻がストップさせてるわ。ま、女としては当然の感情でしょうけどね」
つまり、少女がもらったのはクァーリフの姓だけだ。
ほかのものは何ももらっていない。
金銭も、愛情も。
「ひどい話だな……」
「べつに。援助してもらいたいとも思わないしね」
「なあ、もし良ければ俺が……」
「ストップ。母はお金で人生を男に売ったけど、あたしはそんな気はないから。お客さんとしてくるなら歓迎するけど、男からの援助なんてまっぴらよ」
ぴしゃりと言い切る。
カイトスの厚意は不発に終わった。
彼としてはレティシアを愛人にしようというつもりはなかったが、たしかに金で解決しようとしていたのは事実である。
「どうも君には痛いところを突かれてばかりだな」
「あたしが鋭いんじゃなくて、騎士さまが甘いんでしょ」
「そうかもしれないなぁ」
「でもまあ、せっかく来たんだからサービスは受けていくでしょ」
女の表情を青い瞳に浮かべ、レティシアが言う。
ふたりの逢瀬は、その後幾度か繰り返された。
奇妙な関係ではあるが、それなりに充実した日々だった。
口ではなんやかやといいつつ、結局は互いに惹かれあっていたのかもしれない。
だが、それも唐突に終わる。
レティシアの母親が亡くなったのだ。
葬儀に参列したのは、娘とカイトスと数人だけ。
クァーリフ伯爵はついに姿を見せず、弔文も送られず、使者も訪れなかった。
「やっぱり日陰者だったのよね。母は」
ぽつりと漏れたレティシアの言葉。
答える術をもたず、カイトスはただ彼女の肩を抱くだけだった。
しかも、不幸はまだ終わらない。
今度はレティシア自身が病に倒れたのである。
不特定多数の男に身体を売ってきたツケ。死に至る病を
「哀しいけど、これで終わりね」
「レティ……」
「そんな顔しないでよ。それよりアンタには感染ってないでしょうね」
「他人の心配をしている場合かよ」
「だって、もしそうだったら死んでも死に切れないじゃない。好きな男を病気にしたのだけが、あたしの生きた証なんて」
「レティ。頼みがある」
やせ衰えた少女の手を握り、カイトスが切り出す。
「俺と結婚してくれ」
いまさらの告白。
それは彼の愚かさの証明。
こんな、こんな事態になってはじめて、大切なものに気づいた。
さっさと攫ってしまうべきだったのだ。
家柄なんか関係ない。
あるいは、がたとえそれでレティシアに嫌われようと、死よりはマシだったはずだ。
「ばかね……結婚なんかしたら経歴に傷が付いちゃうじゃない。こんな日陰者と……」
弱々しい笑い。
痩せて弾力を失った唇に、青年のそれが重なった。
窓の外で、冷たい雨が降り続いていた。
かつてリントライト王国の王都だったガラングラン。
その一角にあるカイトス家の陵墓のひとつに、レティシアなる人物の墓が存在する。
墓碑銘は『我が最愛の妻、ここに眠る』である。
撰したものの名は記されていない。
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