閑話 短慮の報酬


「いったいどうなっておるのか!」

 

 激昂したルナリウスが銀製の杯を投げつける。

 それは侍従の顔をかすめて壁と接吻し、数瞬の抱擁のあと床に落ちて非音楽的な音を立てた。

 

 侍従が恐怖で首をすくめる。

 その仕種すら腹立たしく、グリンウッド王はいらいらと足を組んだ。

 ここ数日、本当に本当に事が多すぎる。

 

 女王ピリムの脱走に始まり、遠征軍の敗北、極めつけは宰相メテウスが悪魔だったときた。

 

 豪奢なベッドで報告を聞いたとき、あまりのばかばかしさに彼は失笑したほどである。

 しかし、侍従は冗談口を叩くために王の眠りを妨げたりはしない。

 どうしても伝えなくてはいけなかったのだ。

 

 その事実に気がつき、ルナリウスは音程の狂った叫びとともに同衾していた寵姫をベッドから蹴り落とした。

 こんな時にのんきに眠りやがって、と、完全なる八つ当たりである。

 

 ただ寝ていただけなのに怒鳴られた寵姫は、裸のまま泣きながら寝室から追い出された。

 哀れな美女に一瞥もくれず、侍従は粛々と状況を説明する。

 

 そこから精神的な再建を果たしたルナリウスは、矢継ぎ早に命令を下した。

 

 まずは箝口令。

 メテウスの正体を知るものも知らないものも、等しく口外することを禁じた。

 

 同時に兵を動員して、宰相殺害の犯人を追わせる。

 王城に常駐している八千六百名の国王直属部隊が総動員され、王都フォリスタの六つの街門すべても固く閉ざされた。

 

 これで犯人は フォリスタの外には出られない。

 同時に外からの人や物資も入ってこられなくなり、物流や経済活動に著しい悪影響がある。

 あるが、宰相が悪魔だったなどと外部に知られるよりはマシだった。

 

 それに数日のうちに犯人は捕まるだろうという見込みもあった。城の兵を総動員しているし、必要ならまだまだ出すつもりだったから。

 

 しかし、メテウス殺害から三日が経過しても、未だに犯人の足取りは掴めていない。

 城から街壁までの血痕も発見されたが、やはりそこでぷっつりと途絶えてしまっているのである。

 

「陛下」

 

 いらいらと何度も足を組み替える王の前に、一人の老人が進み出た。

 宮廷魔導師のマーヴェルである。

 

「マーヴェル、戻ったか。どうであった?」

「メテウスめの屋敷は、もぬけの殻でした」

「家人はすべて逃げおおせたか……」

「然らず」

 

 舌打ちするルナリウスに、マーヴェルは絶望の表情で首を振った。

 メテウスの屋敷に生きた人間はいなかった。

 しかし、死体なら山ほどあったのである。

 

「奥方も息子も娘も使用人も皆殺しにされ、地下室に積み重ねられておりました」

「なんと……」

「しかも、全員臓物が抜かれておりました。おそらくメテウスめが食したのでしょう」

「本当に人間ではなかったのだな……」

 

 嘔吐寸前の表情をするルナリウスだった。

 妻子まで食うとはおぞましい話である。

 

「しかし、悪魔の栄養は肉ではなく人間の魔力です。その意味では、メテウスは悪魔とも違うようで」

 

 内院でおこなわれた『希望』とメテウスとの戦い。その一部始終を見ていた者が幾人もいる。

 そして悪魔を食ったというメテウスの言葉を聞いた者もいるのだ。

 にわかには信じられない話ではあるが。

 

「メテウスめの屋敷には火をかけ、すべて炎で浄化しました」

「それで良い」

 

 がっくりと肩を落とすルナリウス。

 一気に老人になってしまったような印象だ。

 

 さもありなん、と、マーヴェルは頷く。

 即位したときから信頼し、格別の待遇をもって遇してきたメテウスが外道に堕ちてしまったのだから。

 いったいなぜ、という思いが、ルナリウスの頭を占めていることだろう。

 

 結局、メテウスは国を愛しすぎたのだ。

 

 国土は北辺で生産力も小さく、人口も増えない。王国などと名乗っていても一貴族領に過ぎないスペンシル侯爵領すら攻略できないありさまである。

 かといって貿易に活路を見出そうとしても、隣国のインゴルスタは人間の国と友好的ではあっても積極的な交易をおこなおうとしない。

 

 八方塞がりの状況で、どうしても南の土地が欲しかったのだろう。

 それが結局、彼をして悪魔を呼び出すという愚挙に走らせることになった。

 

「ん? 悪魔は勝手にメテウスの前に現れたのではないか?」

 

 ルナリウスが首をかしげる。

 たしか証言ではそうだったはずだ。

 

「憶測に過ぎませんが、メテウスめはこれを使って悪魔を召喚したものと考えます」

 

 そう言い置いて、マーヴェルは懐中から一冊の本を取り出す。

 禍々しい気配を放つ本だ。

 

「それは?」

「魔導書です。題は無名祭祀書とあります。そのまま燃やしてはどんな災禍があるか判りませぬゆえ持ち帰りました」

 

 至高神教会に頼んで封印措置をしてもらうという。

 さすがに悪魔関連の魔導書ともなれば、魔術協会も至高神教会も縄張り争いをしている場合ではない。

 

「中は確認せぬのか?」

「それはやめておいた方がよろしいかと。さすがに読んだだけでどうにかなるとも思えませんが、メテウスめの例もありますので」

「なに、見るだけならば大丈夫だろう」

 

 そういって、渋るマーヴェルから魔導書を受け取るルナリウス。

 とくに警戒もせず、本を開いたその瞬間である。

 何処からか現れた蛸のような触腕が、王の身体を貫いた。

 

「ぐ……あ……」

 

 何が起きたか判らずに、視線をさまよわせる。

 その頭に象の鼻のようなものが巻き付き、首を引きちぎった。

 こうしてルナリウス王は、悪魔登用の責任も敗戦の責任も問われることのない世界へと旅立つ。

 

「陛下!」

 

 一瞬の自失から立ち直り、マーヴェルが杖を構えた。

 

「悪魔め!」

 

 魔導書から現れれつつある怪物と目が合う。

 ただそれだけ。

 

 魔法を使う暇もなかった。

 

 杖をかざした姿勢のまま、グリンウッド王国の宮廷魔導師は石像と化した。

 

 

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