閑話 悪意の王国


「インゴルスタが裏切った」

「女王ピリムが脱走した」

「遠征軍五万が敗北した」

「総司令官イノールが戦死した」

「スペンシルとインゴルスタが共闘連合を結んだ」

「その連合には、蓋世の英雄集団である『希望』が力を貸している」

 

 これらすべての報告は、なんと一日のうちにもたらされた。

 あまりの情報量の多さにグリンウッド王ルナリウスも宰相メテウスも、めまいをおぼえたほどである。

 

 そもそもピリム脱走自体が寝耳に水だった。

 

 すぐに事実確認がおこなわれ、監禁されていた塔から忽然と姿を消したということが判明する。

 処罰を怖れた監視の責任者が、報告を怠ったのだ。

 

 怒り狂った王の命令で、その責任者は即刻処刑されるが、仮に報告してもすぐに処刑されていただろうから、少しは寿命が延びたということになる。

 

 ともあれ、五日前に誰の目にとまることもなく脱走した女王ピリムが、インゴルスタ軍と合流し、スペンシルとの修好も成立させ、そしてあっという間にグリンウッド軍を叩きのめした。

 

「何の冗談だ、という話だな」

 

 ルナリウスが嘆息する。

 普通に考えたら不可能だ。王城に潜入することも、女王を助け出すことも、たったの三日で軍と合流することも、一日でグリンウッド軍を破ることも。

 

 敗戦の報が一日で届いたことすら、奇跡に近い速度なのだ。

 何頭もの早馬を乗り潰して、何人もの伝令が疲労で倒れながらも運んだ貴重な報告である。

 

 それと同じ時間で五万の大軍を撃滅するなど、不可能という言葉だって追いつかない。

 

「奇跡の裏にいるのは、やはり『希望』でしょう」

「宰相もそう思うか」

 

 メテウスの言葉に、ルナリウスが髭を撫でた。

 

 今日の報告は、むしろスペンシル軍を討ち果たしたというものだと思って聴き始めたのである。 

 精強なインゴルスタ兵たちを十全に活かせば、もう勝っていてもおかしくないはずだったから。

 

 なのに敗報だった。 

 しかも奇跡としか思えない事柄の連続の上に敗北だ。

 

「ピリムの監禁から、すべて上手くいっていたのだがな」

 

 インゴルスタは従順になり、多くの権益を奪うことができた。スペンシル攻略にも引き出すことに成功した。

 あとは向こうの王家にグリンウッドの血を入れ、じわじわと併呑してしまおうと思っていたところである。

 

「さすがは数々の伝説を打ち立てた冒険者、というところですか」

 

 ふうとため息を漏らすメテウス。

 

 策は破れた。

 これはもう起こってしまったことだから仕方がない。

 大事なのは善後策だ。

 

「メテウスよ。どう受ける?」

「この策はゴルツクが考えたこと、と、なっておりますし、奴もそう吹聴しております。まずはあやつに詰め腹を切らせましょう」

 

「王国政府は知らなかったということで押し通すのだな」

「御意。奪った権益に関しては段階的に返す、ということにしましょうか」

 

「時間をかけてうやむやにしてしまう手か」

「囚われていたのが女王ピリムだった、ということを知っているものも消しましょう。いらぬ情報が漏れても面倒です」

 

 見張りをしていた兵、世話役だった下働き。そのあたりの口を塞いでしまえば、王国政府も誰が囚われていたのか知らなかったで押し通せる。

 

 もちろん事実は誰の目にもあきらかであるが、国が公式見解として出したものに対して、簡単に異を唱えることはできないのである。






 隊長が連行されていったとき、べつにニーニャは危機感を抱かなかった。

 

 ピリム女王が脱走したらしいというのはなんとなく判っている。

 彼女は世話係として女王の身体を拭いたり、下の世話までもしていたのに、ここ数日はまったく仕事がなかったのだ。

 

 監視部隊の連中も、なんとなくそわそわしていたし。

 ただ、それが自分に関係ある話だとは思えなかったのである。

 

 しかし、そんな考えはすぐに打ち砕かれた。

 隊長が連れて行かれた数刻後には、下働きたちの部屋に兵隊が押しかけてきたのである。

 そして抵抗する暇もなく仕置き部屋に連れてこられた。

 

「ひ……」

 

 そこでニーニャが見たものは、次々と運び出されていく監視部隊の兵士の死体だった。

 殴られ、切り刻まれ、無惨な姿である。

 

「本当にな。こいつらがもう少ししっかりしていればなあ」

 

 ニーニャを昏い目で見つめながら言うのは、宰相のメテウスだ。

 

「さ……宰相さま……?」

 

 目を見開く。

 もちろん顔は知っているが、話したことなどない。

 まさに雲の上の存在だ。

 

 そんな人物が血のついた鉄鞭を片手に立っていれば、彼女でなくても驚くだろう。

 

「お前がニーニャだな?」

「は、はい」

 

 一歩二歩と近づいてくる。

 得体の知れない恐怖を感じ、ニーニャはメテウスが進んだ分の距離を後退した。

 

「さっき殺した馬鹿が言っていたよ。お前が亜人女に服を与えたそうだな」

 

 下目で睨み付けられた。

 

「あ、あれは……っ!?」

 

 申し開きをしようとした瞬間、鞭が飛んできた。

 非音楽的な響きを上げてニーニャの服が引き裂かれる。

 

「お、お許しください! 宰相様!」

 

 言い訳どころではない。

 異様な迫力に萎縮して平伏する。

 その背に、二度三度と鞭が叩きつけられた。

 

「なんなんだよお前。亜人に服を与えてやるとか。頭おかしいのか?」

「お許しくださいっ! お許しください!」

 

 悲鳴と哄笑が地下の仕置き部屋に響き渡る。

 肉の裂ける音ともに。

 

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