閑話 忠烈


 二回目のディーシア会戦から九日。

 インゴルスタ軍が進軍を開始した。


 二万余の全軍で進むドワーフ戦士たちを、アレクサンドラは唇を引き結んで見つめる。

 まるで葬列のようだ、と。


 これからインゴルスタ軍はスペンシル軍との決戦に挑む。

 縁もゆかりもない、恨みすらない、そんな相手とだ。


 こんな馬鹿な話があるだろうか。


 兵たちに命をかけさせ、他国人の命を奪い、よしんば勝ったとしても一町歩(一ヘクタール)の領土も得られるわけではない。

 土地も財貨も、すべてグリンウッドのものにされるだろう。


 まあ、カタチばかりの協力費がもらえるかもしれないが。


 女王ピリムが囚われているのだ。どんな屈辱的な条件だろうと飲まなくてはならない。


 もちろん女王はアレクサンドラたちの行動を是としないだろう。

 我をもって念と成すなというメッセージを送っているほどだ。


 しかし、だからといって女王を見捨てるなどという選択肢は最初からない。


「……けど、間に合わなかったな……」


 小さく独りごちる。

 女王が監禁されて三ヶ月。


 辣腕マイオールが総指揮を執る救出作戦の成功を信じて、ここまで時間を稼ぎながら戦ってきた。


 しかし、グリンウッド軍総司令官イノールから、全軍をあげて動くよう「依頼」されてしまったのである。

 なるべくゆっくりと準備していたのだが、毎日矢のように催促され、ついにアレクサンドラは進発を命じるしかなかった。


「ったく……なにやってんだろうな。あたしは」


 内心に呟く。

 かくなる上は、自軍の損害を少なく完勝するしかないが、それも難しいだろう。


 なにしろ相手の指揮官は、あの軍神ライオネルだ。 

 二度のディーシア会戦で思い知らされたが、彼女の戦歴においてあれほどの用兵巧者いくさじょうずは見たことがない。

 そして闘神アスカの驍勇。


「こんな陰気な戦いでなく、正々堂々と雌雄を決したいものさね」


 埒もないことを考えてしまうのは、戦人の常だろうか。


 陰鬱とした行軍の先に、二度干戈を交えたディーシア平原が見えてきた。

 おそらく、というか疑いなくここが決戦場となるだろう。


 守る側はここを抜かれたら後がない。スペンシルの街の街壁に拠って戦うしかないのだ。

 援軍のアテのない籠城戦になるだけである。


 他方、攻める側もディーシア平原をおさえないと橋頭堡を築けない。

 ようするに、どちらの側にとっても絶対に確保したいポイントなのだ。


 軍が進むにつれ、布陣するスペンシル軍が見えてくる。


楼車ろうしゃが出てるね。やっぱりあいつらもここが勝負時だと読んだみたいだね」


 楼車というのはかなり背の高い車で、牛や馬が曳航する。

 指揮官は車の上に乗り、戦場全体を俯瞰しながら指揮を執るのだ。


 ただ、指揮はしやすいが鈍重で小回りも利かないため、よほどの大会戦でなければ登場しない。


「軍神ライオネルも本気ってこと……んん? あれは……?」


 楼車の上を見はるかして、アレクサンドラは首をかしげる。

 ライオネルにしてはずいぶんと小柄なのだ。


「そんな……いや……まさか……」


 よく知っている顔だ。

 ここにいるはずのない人だ。


「ピリム様……ピリム様! ピリム様!!」


 気づいたとき、もう彼女は走り出していた。


 戦うためではなく。

 敬愛する主君の顔を、少しでも近くで見るために。






 美々しい戦装束を身にまとい、インゴルスタ王国女王ピリムがすっくと楼車の上に立つ。

 横に控えるは忠勇の女戦士リリエンだ。


 行きに三日、救出に二日、帰るのに三日という、ライオネルの立てたスケジュール通りに作戦は進行し、インゴルスタ軍の進軍にぎりぎり間に合った。


 ただ、間に合ったのは女王の身柄だけで、衣装の作成までする時間はなかったため、ピリムのまとっている戦装束は見た目だけのもので、実戦にはとうてい耐えない。


「インゴルスタの勇士たちよ!」


 大音声で、女王は呼びかける。


「不甲斐なくも敵中に囚われていたわたくしですが、ここにあるリリエンと『希望ホープ』の手によって救出されました!!」


 そういって自らリリエンの右手をとり、高々と振り上げた。


「温王ピリムには二つの過ぎたるものがあるといいます。しかし今日、それは三つとなりました! 豪腕アレクサンドラ、辣腕マイオール、そして! 忠烈ちゅうれつリリエンです!!」


 それは、極めて厚い忠義の心を持った士という意味である。

 敵将に土下座までして女王救出を依頼した彼女に相応しい異称だろう。


 スペンシル軍の将兵が、口々にリリエンの名を叫ぶ。

 足を踏みならし、剣を振り上げ。


 駆け寄ってきたインゴルスタの戦士たちを歓呼の声で迎え入れる。

 スペンシルとインゴルスタは、もう敵同士ではない。


「勇者たちよ! 我らの敵はただひとつです!!」


 女王は指さす。

 インゴルスタ軍がやってきた方向を。


「グリンウッドの餓狼どもを蹴散らします! 全軍、進軍してください!!」


 湧き上がる歓声。

 人間の軍勢とドワーフの軍勢が渾然一体となり、四万人の巨大な凸形陣が形成されていく。

 再編成の指揮を執るのはライオネルとアレクサンドラだ。


「軍神ライオネル! この恩は忘れないからね!」

「俺たちは仕事をこなしただけだ。報酬以上のことを求めるつもりはないよ」

「あたしらの国を救っておいて、なんて言い草だい!」


 大笑いする。

 こんなに笑ったのはいつぶりだろうと思いながら。


「まだ勝ってないぞ」


 ライオネルは苦笑だ。

 スペンシル軍とインゴルスタ軍が合流しただけ。五万のグリンウッド軍はいまだに健在なのである。

 雌雄を決するのはこれからなのだ。




 


 

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