第193話 お断りします


 想像していた以上に美味かった。

 馬肉のカレーも美味かったが、鶏肉のカレーはそれ以上にいける。そしてサニーサイドアップの目玉焼きがさらに良い。


 とろりと崩れる黄身がカレーの辛さを和らげ、味に深みを与えるのだ。

 さすが至高神の宣託、ハズレがないぜ。


「至高神は、わたくしの口を通してこの世の美味を味わっているのですわ」

「そうなのか」


 だから美味いものをメイシャに教えているということか。

 肉体を持たない神というのもなかなか大変だな。


「あ、もしかしてメイシャがいくら食べても太らないのって、至高神がかわりに食ってるからなのか?」

「そうですわ」


「まったく違いますよ。この子のはただの特異体質です」


 息をするように嘘をついたメイシャの頭に、てい、とアカシア司祭様がチョップを決めた。


「あいた!」

「素人さんに適当なことを教えない」

「適当じゃありませんわ。わたくしなりの聖典の解釈ですのよ」

「そんな都合の良い解釈がありますか。いくら食べても太らないなんてうらやま……いえ、罰当たりな体質、こっちでお説教です」


 メイシャの腕を持ち、ずるずると引きずっていってしまう。


 なんだか私怨っぽいものが入っていた気もするけど、たぶん気のせいだろう。ガイリアの教会でも五本の指に入るような徳の高い司祭様が、太るとか太らないとか、そんなことを気にするはずもない。


「ライオネル。みんなあなたのおかげね」


 アスカの手を借りながら近づいてきたメアリー夫人が、にこにこと話しかけてくれる。


「俺の力などたかが知れたものです。三人が良い娘だったから、すくすく成長できたんですよ」


 手振りで椅子を進めた。

 だいぶ足が悪くなってきているらしい。


 悪魔フルーレティが作ったレギオンに呪詛をかけられたからね。その後遺症だ。

 もともと高齢なのもあるから、アスカやミリアリア、メイシャはすごく心配している。


 孤児院を出た後の三人を、優しく厳しく見守ってくれたお人だもの。

 母親といってもそう言い過ぎじゃない。

 比べたら、俺を母ちゃんと呼ぶのなんて冗談口の範囲さ。


「楽しんでくれていますか? メアリー夫人」

「ええ。もちろんよ。ライオネル。汗も掻くし、精が付きそうな食べ物ね。カレーライスというのは」


「東大陸のランズフェローでは、戦勝を祝う料理ということに決まりましたよ」

「それは勇ましいわね」


 くつくつと夫人が笑う。


「それでね! 母ちゃんにお願いがあるんだよ!」


 しゅたっとアスカが右手を挙げた。


「お願い?」

「メアリーさんのお孫さんが、スペンシルにいるんだって! 手紙を届けて欲しいそうなんだ!」

「スペンシルか」


 ふうむと俺は腕を組んだ。


 スペンシル侯爵領というのは、旧リントライト王国においてもかなり栄えていた地域である。


 リントライト動乱に際しては、我関せずという態度を取り続けたため、完全に蚊帳の外に置かれた。

 まあ、もともと蚊帳の外っぽい地域ではあるんだけどね。


 というのも、北西のグリンウッド王国と国境を接しているからだ。

 マスルと接しているガイリアみたいなポジションだけど、グリンウッドはマスルよりもずっと危険な相手である。


 隙あらば侵攻してやる、みたいな感じだね。

 だから北西国境はいつでも緊張状態だったし、何度も小競り合いは起きている。

 マスルとの間にあったような、本気の侵攻に繋げるつもりはない小競り合いではなく、大侵攻のとっかかりにするための小競り合いだ。


 そのグリンウッド王国がリントライト王国崩壊というチャンスに侵攻してこなかったのは、当然のようにスペンシル侯爵がにらみを利かせていたからである。


 もちろん俺は会ったことがないけど、カイトス将軍の言葉を借りれば「愛すべき頑固ジジイ」なんだそうだ。

 一度義があると見定めたらテコでも動かず、どんだけ利益をちらつかせたって鼻息で吹き飛ばされるだけ。


 歩く花崗岩だ、というのはロスカンドロス王の弁である。


 だいたい、リントライト王国はもうないのに、いまだにスペンシル侯爵って名乗ってるのがすごいよね。

 はるか父祖の代より預かりしスペンシルの地、主家が変わろうと守り続けるが我らの義。ということらしいよ。


 で、そのスペンシルの都に、メアリー夫人の四番目の娘夫婦が住んでいて孫もいるんだそうだ。

 商売をやっている人のところに嫁いだんだってさ。


 とくに美男子なわけでも、才気溢れているわけでもないけれど、実直で驕りがない好漢らしい。

 まあ、メアリー夫人ほどのお人が、娘を託すに足りると思った男性だもんな。間違いのない人物だろう。


「定期的に手紙のやりとりとかしてたらしいんだけど、リントライト王国がなくなっちゃって途絶えがちなんだって」

「なるほどな」


 たくさんの国に分裂してしまったからね。

 治安の悪いところだって多いし、行商に手紙を託したってちゃんと届かない可能性の方が高い。


「それで、高名な『希望』にこんな子供のおつかいみたいなことを頼むのは心苦しいのだけれど、孫と娘夫婦に手紙を届けて、元気な顔を見てきてくれないかしら」


 丁寧に頭を下げるメアリー夫人。


「お断りします」

「母ちゃん!?」


 笑いながら断った俺に、アスカが食ってかかろうとする。

 お待ちなさいって。話にはまだ続きがあるんだから。


「お孫さんの元気な顔を見るのは、俺たちじゃなくてメアリー夫人の方が絶対に良いでしょうからね。手紙の輸送ではなく夫人の護衛なら、喜んでお引き受けしますよ」


 赤い頭を左手で押し戻しつつ言った。

 メアリー夫人はきょとんとし、やっと正解に思い至ったアスカが、ぽんと手を拍く。


『希望』には、移動手段があるのだ。

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