第180話 メッサーラ峠の戦い


 戦闘開始から二刻(四時間)ほど、ついにダガン軍は攻勢を断念していったん後退した。

 峠の登り口に陣を張り、野営の構えである。


「ていうか撤退しないのか。こんなに損害を出してるのに」


 最初の激突から一連の戦闘で、おそらく千人近い犠牲を出しているだろう。

 対してこちらは戦死者ゼロ。重傷者は四人ほど出たがすでに後送を終えている。


 損害比率において比較にならないのは、地理的な条件もあるし、疲労度の差もあるし、防衛戦争だから戦意が高いというのもあるし、タティアナの指揮が巧みだというのもある。とくに最後の条件は大きく、彼女は兵士に無理をさせないのだ。


 常に余力を残す戦い方をし、一か八かという賭けをしない。


「脳みそまで筋肉が詰まっているって雰囲気なのに、慎重で手堅い戦術を使うんだよな。変わったお人だ」


 いささか失礼な感想は、さすがに心の中だけに留めておく。


 ともあれ、ダガン軍はこちらを一人も殺せていないのに、千人の犠牲を払っているのだ。

 一割が戦死したら、たとえ勝ったとしても喜べないってのは軍事上の常識である。一日にも満たない戦闘でその半分に迫るほどの損害を出しているのだから普通は退く。


「敵は逃げないな。銀仮面軍師よ」


 そのタティアナが、俺のいる本陣へやってきた。

 怪我などはしていないようだが、さすがに疲れが顔に出ている。


「いつもこんな感じなのか?」

「まさか。これほどの犠牲を出せば、普段だったら間違いなく撤退している。そして今頃は外交の使者が来ているはずだ」


 貴国の勇戦に敬意を表し、歳幣(みつぎもの)の額を三割免除してやる、とかね。

 自分から攻めてきておいてそういう論法を使うのがダガン帝国だ。


 だいたい攻めてくる理由だって、歳幣の増額を伝えたら断られたとか、そんな感じだろうしね。


「しかし今回は条件が違うからな。やつらも尻に火がついているのだろう」

「厄介だな」


 俺は腕を組む。


 開戦時期が予想よりはやかった。

 ということは、四ヶ国同盟軍が進軍を開始するまでの時間読みと間にズレが生じてしまうということだ。


 おそらく五日から六日ほど。

 たったそのくらいと思うなかれ、五日あれば俺たちは敗北してしまうのである。


 人間は魔法人形ゴーレムじゃないから永遠に戦い続けることなんかできない。もちろんそれは敵も同じなんだけど、そこで効いてくるのが数の差だ。


 相手はまだ一万九千も残っているのである。

 これを五百ずつに編成し直し、昼も夜も問わずに攻め立てれば、五日どころか三日で敗北するだろう。

 そういう、徹底的な消耗戦がやれちゃうのが数の差というものなのである。


「もし夜襲を仕掛けてくるようなら、陣をたたんで逃げるしかなかろうな」

「ああ」


 タティアナの言葉に頷く。


 夜襲みたいな奇策は数が劣る方がやることだ。

 万の大軍を擁している側が、そんななりふり構わないことをするとしたら、そこには絶対に退かないという不退転の意志がある。


 付き合っていたら、ルターニャの七百は完全に地上から消滅してしまう。


 いささか心許ないが、街壁に拠って戦うしかない。

 ようするに籠城戦だ。


 どこからも援軍のくるアテもない絶望的な戦いだが、時間を稼ぐという基本方針には合致する。


「まあ、奴らも撤退の契機をはかっているだけ、という可能性もある。あまり悲観的に考える必要はあるまい」


 タティアナが俺の肩を叩いた。

 慰撫するように。






 しかし、予測というのは悪い方が当たるものである。


 すっかり陽が落ちた夜半、やはり夜襲はあった。

 たいまつだけを頼りに峻険な峠道を上ってくるとか正気の沙汰ではないが、こちらもぼけっと見ていることはできない。


 俺たちは普通に迎撃し、ダガン軍は三百以上の遺体を残して敗走する。

 しかし全軍壊走とはならず、麓に敷いた陣に合流しただけだ。


 というより、やはり全軍で攻撃を仕掛けたわけではなく、五百から千の部隊を小出しにして間断のない攻めをおこなおうという腹である。

 で、こちらの消耗を誘う。


「次の部隊がもう待機しているな」

「ああ。こうなったら逃げるしかない」


 俺とタティアナは肩をすくめあい、撤退の準備にかかった。

 ずっと戦いをリードし、敵に損害を強いてきたが、結局はメッサーラ峠は一日で陥落してしまう。

 なかなかに苦しい展開だ。


 唯一の救いは、敗勢によって逃げるわけではなく、戦術的な撤退だということだろうか。


「よーし、全軍、街まで後退だ。速やかに、こっそりとな」


 冗談めかした指示は、いかにもこれが作戦なんだよって印象を与えるため。

 もちろん兵たちの士気を下げないためだ。


 そして暁暗の攻撃を仕掛けようとのぼってきた部隊がみたものは、空っぽの陣と、はるか遠くをルターニャの街まですたこらさっさと逃げる俺たちの姿だった。


 肩透かしを食ったことに戸惑い、罠ではないかと疑い、そして自分たちの目的がルターニャの占拠にあるのだと思いだしたダガン軍は猛然と進撃を開始する。

 すぐに後続部隊にも連絡が飛び、全軍が動き始めるだろう。


 一刻(二時間)くらいの差はつけているはずだけど、むこうは騎馬部隊もいるし、逃げ切れるかは微妙なラインだ。


「街に入る前に一回くらい戦わないといけないかな? 嫌だけど」


 平原での会戦はこちらにも損害がでるからね。

 けど、先頭部隊を潰すだけでも意味はある。


 軽く思い定め、全軍に停止と反転を命令しようとしたそのときだ。


 白み始めた空に警笛が響き渡る。


 驚いて視線を巡らせば、朝の空気を切り裂いて突進してくる白銀の車体を捉えた。


 ともに死線をくぐり抜けた機械の盟友。

 フロートトレイン、ジークフリート号である。


 登り始めた太陽の光を照り返し、ボディがきらりと輝いた。


 

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