第174話 誘われた
タティアナの言い分は理解できるし、頭から否定するつもりはない。
兵数七百ってのは、平時に都市国家が用意できるぎりぎりのラインだろう。
なにしろ軍隊ってのは生産にまったく寄与しないのだ。専門的な兵士など、いるだけで金がかかる。
我が祖国ガイリアだって兵の八割は農民兵で、戦争が終われば家に帰るのだ。
常備軍として存在しているのは二万程度である。
これだって大国だからできること。
畑を耕すわけでも魚を獲るわけでも獣を狩るわけでものなく、ただ戦うだけの存在を二万人も養うってのは、口で言うほど簡単なことじゃない。
もちろん彼らの装備品だって、空から降ってくるわけじゃないしね。
ルターニャを守るたった七百人を食わせ、装備を調えるために、一万人以上の人が汗水流して働いているわけだ。
だからこそ兵士は精鋭でなければ意味がなく、精鋭を育てるには厳しい訓練が必要。
「判ってはいるんだけどな」
俺は軽く首を振った。
与えられた客間である。
調度品の
「お母ちゃんは納得できないか?」
正面に座ってカップをもったタティアナが笑う。
「好みじゃないってだけで、有用性は理解してるよ。ただ、俺は軍人じゃなくて冒険者だからさ」
過度に厳しい訓練には忌避感を憶えでしまうのだと、俺は肩をすくめた。
虐待に近いような訓練なんかしなくたって人材は育つと思ってる。
アスカもミリアリアもメイシャも、いまじゃいっぱしの英雄だ。
ただし、それはあくまでも冒険者としてで、兵隊として優秀かどうかはべつの話である。
「たしかにお母ちゃんの率いていた『希望』は強かったな。統制も取れていたし、それぞれが自分の役割をきちんと認識していた」
タティアナさんべた褒めだ。
悪い気はしない。
手塩にかけて育ててきた娘たちですもの。
メグやサリエリは元々実力者ではあったけど、大切に大切に才能を伸ばしてきた。
「シシリーが倒されたのにも驚いたぞ。何を隠そう、我が軍としては四年ぶりの戦死者だ」
「前も言ったけど謝罪はしねーよ? けど四年ってのはすごいな」
どことも戦っていないなら戦死者なんかでるわけがないけど、ルターニャは何度も何度もダガン帝国から攻められているからね。
それを撃退し続けて損害ゼロってのはにわかに信じがたい数字だ。
もちろんダガンが本気でルターニャの街を攻略するつもりはないだろうってのもあるだろうけどね。
第七次マスル・ダガン戦争のときもそうだったけど、あいつらは権益や金銭が欲しいのであって、首都まで攻め上って城下の盟を誓わせたいわけではない。
宿主が死んでしまうと自分も死ぬ寄生虫みたいなもんだ。
金や物を搾り取れる程度に、隣国には栄えていてほしいのである。
だから、ダガンはある程度の損害を与えると交渉を持ちかけてくる。軍を退いてやるから金を出せ、ってね。
ようするに、ルターニャにとってはこの条件を引き出すための戦いである。
ダガンが本気で消耗戦なんか始めてしまったら、勝ち筋はなくなってしまうからね。
ただ、損害ゼロでそこまで辿り着けるってのはすごい。
普通に感心してしまう。
それだけルターニャ兵が精強ってことなんだろうけどね。
軍師リチューを貧弱扱いするのも頷けるってもんだ。
「あのまま戦い続けていたらどうなっていたと思う? 最後までやりたかったって気持ちも、私にはあるのだ」
「不毛だな。タティアナ。双方ともに大損害で終わるだけじゃないか」
簡単にシミュレートしてみる。
アスカはあそこで死亡、駆け寄ろうとしたメイシャもやられる。けどそのときにはミリアリアのスリーウェイアイシクルランスが放たれ、タティアナたちも三人を失う。
これで損耗比は、二対四。
魔法使いがいると知ったタティアナ陣営は、残り二人を分けないといけない。
ミリアリアを倒そうとする一人と、俺とサリエリの相手をする一人に。
で、ミリアリアに向かった敵を、メグは止められない。おそらく一合にも及ばず斬り伏せられるだろうけど、タダでは転ばないのが『希望』の斥候だ。
なんらかの形で、数瞬程度は足止めするだろう。
そしたらミリアリアの魔法が完成して、そちらに向かった一人は殺される。
残り一人の方は、二対一だ。
俺を倒したとしても、サリエリに殺されて終わり。
「最終的に『希望』が二人残る感じだけど、これを勝利というのは無理があるだろうな」
敵を全滅させたけど、味方はほぼ全滅。
もう再建できない。
冒険者クラン『希望』はおしまいだ。
クランハウスに帰って、米でも育てながら暮らすしかない。
ユウギリだって、ガイリアにとどまる理由がなくなってしまう。
「そして我がルターニャは盟主を失ってバラバラになる。ダガンの侵攻に耐えられないだろう」
骨の髄までしゃぶり尽くされるとタティアナが苦笑した。
「お母ちゃんが戦闘を終了させてくれて良かった」
「俺としても娘たちが死ぬのは耐えられないし」
肩をすくめてみせる。
いま話したことを未来図として予想していたから降伏したわけじゃない。
セルリカのショクケイに降参したときもそうだけど、俺はただの冒険者なんで、勝利か仲間の命かという選択ならためらいなく後者をとるというだけなんだ。
「娘思いだな。あ、そうだ。それならちょっと遊ばないか?」
にやりとタティアナが笑う。
それは、女が男を誘うというには好戦的すぎる笑顔だった。
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