第173話 都市国家ルターニャ


 十日ばかりの馬車の旅を終え、俺はルターニャに入った。

 べつに目隠しもされなかったし、手足を拘束もされなかい快適な旅だったが、ペンと紙はさすがに与えてもらえなかったよ。


「軍師というイキモノに筆記用具は与えないだろう。さすがにな」


 タティアナが笑っている。


「べつにアップルリバルからここまでの地形情報とか書き込まないって」

「そうだな。そんな判りやすい真似はしないだろう。暗号を紙に書いて通ってきた宿場に預けておく程度か」

「まさかまさか。そんなそんな」


 はっはっはっ、と、わざとらしく笑いあう。


 地図っていうのは軍事機密のひとつだ。だから普通は売っていないし、売っていたとしても故意に不正確につくられている。

 だから、基本的には自分で作るもので、俺も各地の情報を書き込んだ手製の地図を使っているんだ。


 タティアナとしては地形や街道の情報を記録されたくないだろう。というのが俺の言葉の意味。

 対して、ラクガキや書き損じを装って追いかけてきた者に情報を渡すって手を考えていただろ、ってのがタティアナの言葉の意味だ。

 じつに心温まる会話ですね。


「でもまあ、真面目に言うとそんなことをするつもりはなかったさ」

「ほう? そのこころは?」

「状況がどう転ぶか判らないときに自ら振りを抱え込むべきではないってのが俺の持論でね」


 肩をすくめてみせた。

 筆記用具ひとつで、俺がつかまっているというこの状況をひっくり返せるわけがない。

 何かたくらんでいると思われれば、むしろその分だけ不利になる。


 生殺与奪の権を握られているときに、わざわざ疑われるような真似をするべきじゃない。


「面白い考え方だ。軍神ライオネル」

「ちなみに、おもしろいと思ってくれる人にしか通用しない手だけどね。あるいはまったく興味がないか」


「そうなのか?」

「ああ。俺が息をすることすら何か裏があるはずって考えちゃうような人には、そもそも信頼を得ようとしても無理だよ」


「たしかに。それは道理だな」


 大笑するタティアナ。


「逆に、こいつたいして役に立たなそうだから殺してしまうかって考える近視眼もいそうだな」

「そうだろうけど、さすがにそんな連中に捕まってしまうほど、俺は無能じゃないと思いたい」


 げんに捕まっている身分でいっても、説得力は皆無だが。


「そうやって、さりげなく私たちを持ち上げているわけか。さすが軍師だな。ちょっと機嫌を良くしたぞ」

「軍師の言葉には必ず裏があると思うなよ。他意なんかないって」


「いやいや。俺を捕まえたんだからお前らはすごいって意味だろう? やはり軍神と呼ばれる男は度量がでかいな」

「ちがうって! そんな自信過剰なこといってないじゃん!」


 真っ赤になって袖で顔を隠してしまった。

 ほんっとに勘弁してくれって。

 こういうのには弱いんだからさ。


「ふふふ。照れおって。可愛らしい母ちゃんだな」


 オイマテ。

 アンタまで俺を母ちゃんと呼ぶつもりか。





 都市国家ルターニャは、まあ普通に小さかった。

 政庁はピラン城より小さいくらい。街を囲んでいる壁もガイリアシティの半分ほどの厚さしかなく、人間一人が立つのがやっと。

 これでは街壁の上に弓箭兵部隊を上げて迎撃するってこともできないだろう。


 それ以前の問題として、破城槌とかで突撃されたら崩されてしまいそうだな。


「うむ。普通に崩れる。こんなものは形ばかりの守りだからな」


 俺の顔色を読んだのか、タティアナが笑った。

 街まで攻め込まれた時点でもう終わりなのだから、守りを固めても仕方がないと。


 国にたったひとつの街しかないルターニャだ。

 城市に籠もって戦うというのは意味がない。

 どこからも援軍はこないからね。


 なので、戦は基本的に野戦である。といっても、ルターニャに兵士は七百人しかいない。

 平原での大会戦とかは不可能で、山岳地帯とか利用した遊撃ゲリラ戦がメインだろうけどね。


 アップルリバルの宿を襲った連中と同程度の腕のやつらが岩陰や林に潜んでいるような山道を通るのは、俺だって遠慮したいよ。


 馬車は誰何されることもなく政庁へと向かって進む。

 途中、練兵場のような場所の通ったのは、おそらく故意にだろう。

 ルターニャの盟主として、俺に兵の練度を見せるために。


「おいおい……」


 そして俺は訓練風景にぞっとした。

 ていうか、本当にこれって訓練なのか?


 新米だろうか、若い兵士を五人ほどが囲んで攻撃している。もう殴る蹴るだ。

 周囲は止めるでもなく、むしろ新米を怒鳴っている。

 喰らいすぎたとか、隙が多いとか、もっと小さく避けろとか。


「ひどいな……まるで袋叩きだ」

「私たちの兵は少ないからな。常に多人数を相手にした戦いを想定しなくてはならんのだ」


 この厳しい訓練に耐え、五、六人を平気で叩きのめせるようになって、やっと一人前なのだそうだ。


「あんたたちが一騎当千の強さだった理由がわかったよ。けど、こんな鍛錬方法じゃ、かえって人材はスポイルされてしまうんじゃないか?」


 一人前になるまで何人が脱落することか。

 半分も残れば御の字じゃないかな。


「もっと少ない。一割程度だ」


 真剣な顔でタティアナが言う。

 ルターニャに兵士になりたいと願う少年少女は多いが、なれるのはほんの一握りだ。

 ほとんどは途中で脱落し、普通の商人になったり農民になったり、あるいは役人になったりする。


「ルターニャの民一万六千人を守るというのは、それほどの重責なのだ。なまなかな覚悟と実力で務まることではない」


 若き盟主の表情は、まるで花崗岩のように堅く峻険だった。


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