第168話 暗殺者


 今日はゆっくりと温泉に浸かって旅の疲れを癒やし、会談は明日からである。


「さすがに俺もゆっくりしたいけどな」


 うん、と、伸びをする。

 一風呂浴びて旅の垢を落とし、与えられた個室でくつろぎ中だ。


 個室なのだが、ベッドで娘たちがだらだらしているのはいつものこと。ほんっとあんたたち、ちゃんと自分の部屋で寝なさいって。


「なに言ってんの母ちゃん! 夜はこれからだよ!」


 アスカさん元気一杯である。

 ルーベルシーからガイリアシティへ、そしてマルスコイを経由してリーサンサンへ。さらにアップルリバルへ。何ヶ月もかかるような行程を数日で移動したというのに。


「べつに自分の足で歩いたわけじゃありませんわ。キャビンで座っていたりゴロゴロしていたりしただけ。どこに疲れる要素があるというのです?」


 やれやれとメイシャが首を振る。

 |浴衣(ゆかた)に包まれた豊かな胸が、彼女の動きに合わせてぷるんぷるんと揺れた。

 また下着を着けてないな。こいつら。


 ランズフェローの部屋着で大変に着心地が良いため、娘たちもかなり気に入って購入し普段使いしている。

 じっさい、温泉と浴衣はよく似合うのだ。


「ちゃんと乳バンドをおつけなさいって。メイシャさんや」

「せっかく身体を締め付けない服をきているのに、なんでわざわざ胸を締め付けないといけませんの? ちゃんと下履きは履いていますわよ」


 言い換えされちゃったよ。

 まったくその通りだよ。


「目のやり場に困るんだって」

「つまりネルママは、浴衣の下の胸を想像してドキドキしてしまうわけですね」


 うふふふー、とメイシャが笑う。

 エッチですわね、と。


「なるほどス。ネルダンさんの性的嗜好がひとつあきらかになったスね」

「そういうことならぁ、うちもバンドをはずすのんー」


 ごぞごそとメグとサリエリが自分の浴衣に手を入れる。


「ちょ、まてってお前ら」


 だめだ。

 完全に悪ノリムードになってしまっている。

 俺は愛刀の月光だけをひっつかみ、ややあわてて部屋の外に出た。






「まったく……」


 扉を閉めて、ふうと息をつく。

 腰のベルトに刀を差し、広い廊下を歩き出した。


 あいつらの悪ノリはいつものことだ。むしろ俺が意識してしまっているのである。

 全員が成人(数え十八)に達したからね。


 もう結婚したってどこからも文句が出ない年齢だもの。


「考えてみたら、あいつらと出会って二年近くにもなるんだよな」


 ずっと同じではいられない。

 俺だって数え二十五(満二十四)になった。

 所帯を持ったって悪くない年齢ではあるのだ。


 クランに男は俺一人。あとは妙齢の女性しかいない。

 とんでもない状況だが、どういうわけか『葬儀屋フューネラル』のナザルも『固ゆで野郎ハードボイルド』のライノスもまったくうらやましがっておらず、むしろ同情の目でみてくる。


「気持ちは判るけどな」


 見目良い女たちだが、手を出すわけにはいかないのだ。

 みんな娘みたいなものだからね。


「それが当たり前だったんだから、あまり女性をアピールしないでほしいもんだぜ」


 苦笑しかかった俺だが、一瞬で表情が引き締まる。

 空気に混じる血の匂いに気づいたからだ。


「あっちか!」


 ひらりと廊下の欄干を飛び越える。

 音もなく内院なかにわを駆け、


「見つけた!」


 茂みの中、立木にもたれかかるように倒れこむ男を発見した。


 黒装束に浅黒い肌。そして長い耳。

 サリエリと同族。ダークエルフだ。

 おそらく火消しピースメイカーのひとりだろう。


「心臓を一突きか。かなりの手練れだな」


 見開かれたままの男の目を閉じさせ、俺は軽く息を吸い込む。


「敵襲! 侵入者だ!!」


 そして叫び声をあげた。

 にわかに宿舎が騒がしくなる。


 よし。これで潜入の法則のひとつは崩した。


 潜入作戦の理想とは、まず気づかれないことである。

 誰にも気づかれずに潜入し、暗殺でも窃盗でも良いが誰にも気取られることなく目的を達成し、そして誰にも知られることなく撤収する。

 これが理想だ。


 守っている方としては、それが最も困る。

 気づいたときには事が済んでいるというのは、初動において大きく後れを取ることになるから。


 だから、俺はまずそれを崩した。

 守備兵を一人倒したところで潜入に気づかれてしまった敵は、次に何を考えるか。


「手はふたつ。逃げるか、できるだけ現場を混乱させるか」


 混乱すればするほど守る側はしんどくなる。

 敵の数も把握できないし、どこを狙っているのかも判らないし。


「なので、そっちも封じさせてもらおうかな」


 俺はもときた道を駆け戻り、内院を見渡せる位置に立つ。


「防衛戦の指揮は『希望』のライオネルがとる! 臨時指揮所は中庭前の廊下! 『希望』は全員集合! 各防衛セクションは別命あるまで周辺警戒を継続!」


 矢継ぎ早な指示だ。

 じつはたいしたことは言ってない。

『希望』を俺の元に集合させるのと、護衛たちに現状を維持させただけである。


 しかしこれで良い。

 混乱していない、油断していない。この二点だけで襲撃者はかなりつらい状況なのだ。


 基本的に、奇襲ってのは油断しているときに仕掛けないと意味がないからね。


「がっくりと勝算が下がってしまった潜入作戦を継続するか、作戦失敗を認めて逃げるか。簡単に言うと追い込まれたわけだな」


 にっと俺は笑う。

 包囲するように現れた影たちを眺めながら。



 

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