閑話 軍師な二人(1)


「シュクケイ。貴殿を放逐する」

「……御意」


 官服をまとった青年が頭を垂れた。

 返答の前に挿入された沈黙は、整合されない感情ゆえだろうか。


 十六の歳で出仕して、十年ずっと皇国に忠誠を尽くしてきた。とくにここ数年は軍監として皇国正規軍の綱紀粛正にあたり、それなりの結果も出してきたのである。


「だからこそ、か」


 内心でシュクケイは呟いた。

 組織が正常化することによって甘い汁が吸えなくなるものが存在する。そういう連中が手を回した結果なのだろう。


 左遷でも降格でもなく放逐。つまり追放という重い処分に、の影響力が如実に表れている。

 人事権を好きなように行使できる程度の相手なのだ。


 現段階で勝てるわけがない。


「いや。そもそも勝つ必要もない。忠勤の報酬が追放だというのなら、もう俺がセルリカに義理を通す理由もあるまい」


 床を見つめたまま思いを巡らす。

 出て行けというなら出て行こう。


 あとは知ったことではないので好きにすれば良い。

 これからは、セルリカ皇国のためではなく自分のために生きるのだ。


「いまより十日のうちにラキョーの都から退去せよ。そののち二度とこの地を踏むこと、まかりならん」

「御意」


 詔書を読み上げた使者が去ってゆく。

 靴音が完全に聞こえなくなってから、シュクケイは身体を起こした。


 なんだか肩の荷がおりた気がして腕を回す。

 すると、ボキベキと肩から景気の良い音が響いた。


「どんだけ凝っていたんだか」


 くすりと笑う。

 こうして、セルリカ皇国最年少の軍監であるシュクケイは、その地位を失った。


 典型的な『出る杭は打たれる』人事である。

 あやつは目立ちすぎたのだ、と、宮廷雀たちがしばらくは噂するだろう。





 十日というのは、長いようで短い時間である。

 屋敷や家財を処分したり、使用人たちの再就職を世話したりしている間に、あっという間に過ぎ、もう明日にはラキョーを離れなくてはならない頃合いになっていた。


「事務処理能力には自信があったんだが、本当にギリギリになってしまったな」


 沖天にかかる月を見上げ、やれやれと呟く。

 独身者ひとりみだから良かったものの、これで家族までいたら大変なことになっていただろう。


 軽く酒瓶を掲げた。

 なにもかもなくなった屋敷に、唯一のこされた銘酒である。

 最後に呑もうと、これだけは手放さずにいたのだ。


「ラキョーの月ともお別れだな」

「さむ! なに格好つけてんの! さむすぎる!」


 掲げた酒瓶をぐいっと奪われた。

 あわてて視線を巡らせば、黒髪黒瞳の美女がたたずんでいる。


「コウギョク……」

「がらんどうになった屋敷、渡り廊下の欄干に腰掛けて月を見上げ、よく判らない詩を捻って酒を飲む男」

「うわぁぁぁ! 解説するなぁぁぁぁ!」


 シュクケイは頭を抱えてのたうち回った。

 分析されてしまったら、恥ずかしいどころの騒ぎではない。


「いっそ俺を殺せぇぇぇっ!」

「助けるためにきてやったのに、なんで殺すのさ」


 コウギョクが笑い、酒瓶に直接口を付けた。

 ぐびぐびと高級酒を飲む。


 がぶ飲みするような酒じゃないんだぞ、と、シュクケイは思ったが口には出さなかった。

 怖いから。

 軍学校に通っていた時代から、口喧嘩でも取っ組み合いでも勝てたことがないので。


「助けるってなんだよ? コウギョク」

「ケイみたいな青びょうたんが都の外に出たら、三日もしないうちに追い剥ぎに殺されるか、魔物に食べられるかだろうからね」


 くすくすと笑う。

 月光に照らされた白い顔がわずかに上気しているのは、酒精のためだろうか。


「だから、あたしが一緒に行ってあげるよ!」

「いやいやいや! コウギョクお前、軍務はどうするんだよ!」

「辞表出したわよ。とっくに」

「まって。ちょっとまって。ギョクさん」


 シュクケイの記憶にある千騎長(騎兵一千名と歩兵五千名を率いる隊長)というのは、ほいほいと辞められるような役職ではないはずだ。

 後任人事とか、やらないといけないことがたくさんあるのである。


「そんなん知らないって。残った連中が勝手になんとかするでしょ」

「んな無責任な……」

「ケイをクビにするような国に、なんであたしが責任を感じないといけないのよ」


 そうでしょ親友、と付け加えて笑う。

 逆の立場だったなら君はどうするの、と。


 降参だとでもいうように、シュクケイは軽く両手を挙げた。

 もしコウギョクが追放されたなら、万に一つの疑いもなく彼女の元にはせ参じるだろう。

 そして、知略の限りを尽くして補佐するだろう。


 軍学校に通っていたころからの、十五年にも及ぶ友誼に応えるためだもの。躊躇うべきなにものもない。


「門出の杯。ケイも呑んで」

「ひどい。瓶の中身が半分以下になっている」

「ケイが呑んだんでしょ」

「違うよね? ギョクさんの仕業だよね。どう見ても」

「気のせいよ。邪推よ」


 ぐいと身体を寄せ、コウギョクが強引に肩を組んだ。


「何もかもなくしたって、あたしがそばにいてあげるから」

「ありがとう。百人力だ」


 シュクケイが微笑む。

 月が、そっと雲間に隠れた。

 まるで気を利かせる母親のように。






 後年、カコという学者がこのように記している。


 英雄コウギョクと軍師シュクケイの追放は、むしろ民たちにとって幸福なことであった。彼らが野に放たれたことによって民は忠誠の対象を見出すことができたし、千年の間に溜まってしまった澱みを吹き払う風が生まれたのだから、


 と。


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る