第10章

第136話 東へ、ふたたび


 白波を蹴立てて魔導汽船が大海原を駆ける。

 併走するイルカたちが華麗なジャンプで乗客の目を楽しませる。

 はるか、東大陸を目指して。


「きんもちいいねー! 母ちゃん!」


 甲板に俺を引っ張り出したアスカが赤い髪を風になびかせながら大声を出した。


 ちょっと、およしなさいって。人前で母ちゃんとか呼ぶのは。

 なんか周りの人たち、ヒソヒソ話してるじゃん。


 あれきっと俺のことを、女に見えないけど、とか、そういう趣味の人? とか喋ってるんだぜ。

 勘弁してよ? 俺があちこちでお母さん扱いされているなんて一部の人しか知らないんだからさ。


「むしろその認識の方が誤っていますよ。母さん」


 俺がむっさい顔をしていると、フェンリルの杖をつきながら上がってきたミリアリアがやんわりと微笑んだ。

 つーか、こいつも表情から内心を読むってのが上手くなってきたなぁ。


 やばいね。俺の教育が間違っているのかもしれないね。


「母さんと呼ばれる男性なんて、大陸中を探したって何人もいませんよ。まして赤毛の女戦士にそう呼ばれる人は、母さん一人です」

「なんだその嬉しくない唯一無二は」

「証拠を見せましょうか? 『地獄耳ビッグイヤー』」


 ミリアリアが小声で魔法を使う。

 少し離れた場所にいる人たちの声が、俺の耳にも聞こえるようになった。


 曰く、


「軍神ライオネルじゃないのか? 一緒にいるのは闘神アスカだろ」

「間違いない。闘神が母と呼ぶのは軍神だけ。吟遊詩人が歌ってるのを聞いたことがある」


「サ、サインくれねえかな。話しかけちゃおうかな」

「バッカお前、軍神さまだぞ。無礼者って斬られちゃうぞ」


「俺たちの母さんになってくださいとか言えば大丈夫かも」


 などなど。

 とんでもなくしょーもない会話が耳に飛び込んでくる。


 いたたまれない。

 大変にいたたまれない。


 ひとつ首を振って、魔法の効果を打ち払う。


「船室に戻るわー」


 アスカとミリアリアに手を振り、俺は船室へ続く階段へと向かった。

 なにが悲しくて、見ず知らずの他人からまでお母さんと呼ばれないといけないのか。

 人生って不条理!


「もー! リリったらなんで邪魔すんのよ! 良い雰囲気になりそうだったのに!」

「はっはっはっ。簡単に二人きりになどさせませんよ。アスカ。あれが良い雰囲気だったかどうかべつにして」

「これから良くするつもりだったんだい!」


 後ろの方でアスカとミリアリアがきゃいきゃいと騒いでいるが、潮風に吹き散らされて内容までは聞き取れない。

 ビッグイヤーの魔法を消さなかったら判ったんだろうけど、まあ、聴いて楽しい話でもないだろうしな。


 どーせ俺の悪口でも言ってんだよ。

 上司のいないところで上司の悪口を言うってのは、古来からの伝統だからね。

 どうせダメ上司ですよーだ。






 俺だってひとかどの剣士のはずなんだが、もはやアスカにもサリエリにも遠く及ばない。

 下手したらメグにだって負けちゃうかもしれない。あいつの速度と柔軟性は、ちょっと筆舌に尽くしがたいから。


 もとより魔法は使えないから、ミリアリアともメイシャとも勝負にならないしね。


 ようするに冒険者クラン『希望ホープ』において、最も戦闘力が低いのがこの俺、クランリーダーたるライオネルというわけだ。

 つらいでしょ?

 かなしいでしょ?


 もちろん指揮とか作戦立案とか、軍師としての仕事はこなしてるよ。それは俺にしかできないことだってのも判ってるさ。


 けど、俺が守ってやらないとなって思っていた娘たちが、いつの間にか俺を追い抜き、反対に守られる立場になってしまったというのは、なかなかに複雑な気分なわけだ。

 老夫の感慨ってやつかもしれなけど、さすがにそこまで老け込むような歳じゃない。


 そこで、愛刀の『焔断』が生まれたランズフェローに行って修行し直そうと思ったのである。

 そもそも俺はカタナの使い方なんて知らないから、『焔断』の力を十全に発揮させてやっているとはいえないしね。


 どんな天才だって学んでないことはできない。まして凡才の俺ならできるようになるまで身体にたたき込まないとな。

 と、思っていたわけだけど、結局娘たちは全員ついてきてしまった。


 みんなで修行しちゃったら、いつまでたっても差が縮まらないじゃん。あいつらには、ぜひ怠けていてもらおう。


「ネルネルぅ。悪い顔してるよぉ」


 のへーっと近づいてきたサリエリが言った。

 うしろにはメイシャとメグもいる。紙袋いっぱいのお菓子を抱えて。


 また船内の売店を漁りにいってきたな。毎日毎日、お菓子パーティーばっかやってるから、すぐに手持ちの分がなくなるんだ。

 ふとるわよ? あなたたち。


「悪い顔とは失敬な。俺は生まれつきこういう顔なんだ。ひとの身体的な特徴を笑っちゃいけません」

「苦労したんだねぇ~」


 手を伸ばして、なでなでと頭を撫でてくれる。

 同情のまなざしで。


 やめろう。そんな目で俺を見るな。


 だいたい、俺の苦労の半分くらいはお前たちのせいじゃないか。

 手綱を放した瞬間、どこに暴走していくか判ったもんじゃない娘たちなんだから。


 いま俺の頭を撫でてくれてるサリエリだって、『火消しピースメイカー』っていう特殊部隊の出身だから、目的のためなら手段を選ばない怖さがある。

 いやまあ、そのへんは盗賊ギルド出身のメグも一緒だけどさ。


「お前ら、ランズフェローでは騒ぎを起こしてくれるなよ?」

「どうしたんですのネルママ。藪から棒に」


 妄想に基づいておこなった注意喚起に、メイシャがこてんと首をかしげた。

 あざといくらいの愛らしさで。


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