第135話 シュリーライの災厄(4)


 ごふりとメグがどす黒く変色した血の塊を吐き出す。


「呪いをもらいましたわね。わたくしがなんとかしますわ。ネルママは指揮に専念してくださいな」


 そういってメグの横に跪いたメイシャが手早くソフトレザーを脱がし、アンダーシャツを引き裂く。

 露わになった裸身には、黒い蛇がのたうつような不気味な呪詛が刻まれていた。


「神の慈愛をもって、この者の身に降りかかりし悪意を取り除きたまえ」


 ディスペルカースの詠唱を聴きながら、俺は戦域を睨む。


 一人が戦闘不能、一人が武器喪失、対するナイアーラトテップは脇腹にダメージ。

 差し引きすればイーブンといったところだが、これで『希望』の近接戦闘組はアスカのみになってしまった。


「……キャスト。スリーウェイアイシクルランス。キャスト。スリーウェイアイシクルランス。キャスト。スリーウェイアイシクルランス。キャスト。スリーウェイアイシクルランス。キャスト……」


 左後方からブツブツと響く詠唱に驚いて振り向けば、目に映ったのはもっと驚くべき光景である。

 完全に目が据わってるミリアリアのうえに、三十近い氷の槍が遊弋していた。

 こいつ……メグがやられてブチ切れやがったな。


「私の友達をこんな目に遭わせたんですからね。悪魔だか邪神だか知りませんが、ラクに死ねるなんて、まさか思ってませんよね」


 びしっとフェンリルの杖をナイアーラトテップに向ける。


「くたばりなさい。悪魔野郎」


 次の瞬間、すべてのアイシクルランスが放たれた。


 直線軌道ではない。

 避ければ避けた方へ、迎撃すれば生まれた隙を突いて。


 ナイアーラトテップの動きに対応して、追いつめにかかる。オーガを一発で殺せるほどの威力があるアイシクルランスだ。いかな悪魔といえども何発もは受けられない。


「ちょこまかと逃げ回りますね」


 くくく、と笑いながら。

 回避を続けるナイアーラトテップも非常識だけど、この数の魔法をすべて操るミリアリアも、たいがい頭おかしいよね。

 あと、笑い方が怖いよね。


「にげちゃ~ らめぇ~」


 のへーとふざけた声とともに、ナイアーラトテップががくりとバランスを崩す。

 サリエリの精霊魔法、スネアだ。


 大地の精霊に足首を掴まれ、ほんの一瞬、悪魔が動きを止めたのである。

 そしてこの局面で一瞬を失うことは、永遠を失うのに等しい。


 十発以上のアイシクルランスが着弾する。

 真っ白い氷像と化す悪魔。


「よし。決まった」

「まだです。母さん」


 構えを解かず、ミリアリアが俺の楽観を蹴り飛ばした。

 ぴしりと氷像にひびが入り、氷が砕け散る。

 現れたのは、ほぼ無傷のナイアーラトテップであった。


「まじかよ……」


 俺の頬を冷たい汗が伝う。

 目視で十二、三発は命中しているのだ。悪魔どころかドラゴンだって殺せるほどのダメージである。


「……さすがは『希望』だね。僕がここまで追いつめられたのは四千年ぶりくらいだよ」


 ふうと息を吐き、ナイアーラトテップが首を振った。


「咄嗟に身体を作り替えたわけですか。ずいぶんと無茶な回避方法ですね」


 ミリアリアが薄く笑う。

 この娘には、悪魔がどうやって滅びを免れたのか判っているようだ。


「仕方ないだろ。死ぬか、消耗するけど生き残るかって二択なんだから」


 悪魔が両手を広げてみせる。

 前者を選べるわけがない、と。


「それに、君ももう魔力がすっからかんだよね。同じ手は使えないのだから、生き残った僕の勝ちだ」

「私に打つ手がなくなったからあなたの勝ち、という理論展開が意味不明ですが」


 こてんとミリアリアが小首をかしげた。


「せい!」


 同時に、アスカが斬りかかる。


「ぐううう……っ!?」


 かろうじて受けたナイアーラトテップ。

 本当にぎりぎりだ。

 さきほどまでの余裕は、まったくなくなっている。


「身体を作り替えて、能力が半分以下になってしまった今のあなたが、アスカに勝てますか?」


 傲然と胸を反らし、ミリアリアが嘯いた。

 たちまちのうちにナイアーラトテップは防戦一方に追い込まれていく。


「わるいねぇ。『希望うち』のエースは、とっても強いのん~」


 のへーっとした笑みを浮かべるサリエリだった。






 一閃ごとにアスカの太刀筋が鋭くなっていく。


『アスカ! アスカ!! 闘神アスカ!!!』


 街壁の上からの声援もアスカ一色だ。


 ナイアーラトテップの顔に焦りが浮かぶ。

 彼の手に触れられれば人間は呪いをもらってしまうが、そもそもアスカの動きについて行けていない。


 そしてアスカの持つオラシオンは、祈りの名を冠した聖剣である。

 悪魔にとっては致命的な毒となるのだ。


「ばかな……! こんなバカなことが!?」

「バカなのはそっち! わたし一人だったら勝てなかったけど、みんながたすきを繋いでくれたんだから! 負けるわけがない!」


 掬いあげるような一撃がナイアーラトテップの剣を上にはじく。


「ぐぅぅぅぅっ!」


 こんな小娘に力負けし、悔しげに悪魔が奥歯を噛みしめた。


「はっ!」

「ぐあ!?」


 横を駆け抜けざま鋭く胴を払う。

 胴体を半ばから切断され、傷口からはげしく黒い粒子が噴き出す。


 それでも鬼の形相で振り向き、通過したアスカに魔法を浴びせようと手を伸ばす。

 とんでもない執念だ。


「ところがぁ。フィールドにはまだうちが残ってたりしてぇ」

「はぐ!?」


 間の抜けた声とともに、炎の槍が連続してナイアーラトテップの背中に突き立った。

 サリエリの仕業である。


 いつの間にかアスカの後ろに位置取っていたのだ。悪魔からブラインドになるように。

 そしてアスカを追尾してサリエリに背を向けた瞬間にサラマンダージャベリンを撃ち込んだ。


 種を明かせば複雑でもなんでもないが、ここに至るまでに彼女はいくつも布石を打っている。


 ミリアリアのセリフに便乗して、戦えるのがアスカ一人であるように印象づけたりとか、スネアの魔法を使って派手な攻撃魔法は打ち止めなように見せかけたりとかだ。

 なにしろ油断を誘うのは、サリエリの得意技だから。


「これで! 終わり!」


 背後からの魔法攻撃にのけぞったナイアーラトテップにアスカが躍りかかり、脳天から股下までを一息に切り裂く。


「たかがにんげんに……? 僕が……?」


 なにかを求めるように手を伸ばしながら、ナイアーラトテップの身体が黒い塵となり、風の中に溶けていった。

 

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