第134話 シュリーライの災厄(3)


 一撃のもとに殺される自分を、俺は幻視した。

 防御も回避もできない。そういう間合いだったのである。

 しかしナイアーラトテップは攻撃を中断して大きく跳びさがった。


「……僕の名を聞いて平然と動ける人間が存在するんだね。驚きだよ」


 視線は、聖剣オラシオンを構えて俺をかばうように立ったアスカへと。

 彼女だけが動けたのだ。


 他のメンバーは俺と同じ状態で、いまようやく首を振ったり息を吐いたりしながら立ち上がりつつある。


「母ちゃんは下がっていて。危ないから」


 振り返りもせずアスカが言った。

 いやいや。ちょっとお待ちなさいって。そんなに危険な相手なら俺も一緒に戦わないとダメでしょ。


「アスカ」

「母ちゃんお願い。ちょっと他の人を守りながら戦える相手じゃないの」


 ここまで断固とした拒絶は初めてだ。

 アスカの中では、もう俺は守るべきものって扱いなんだな。

 背中を預けて戦う相棒ではなくて。


 娘の成長が嬉しいような、ちょっと寂しいような、複雑な気分だよ……て、ちょっと待て。俺はまだ二十三だぞ。なんで老父みたいなことを考えてるんだ。


 俺だってまだまだ伸び代がある。

 ふざけんなよアスカ。ちゃんと修行してすぐに追い越してやるからな。


 けど、今はダメだ。

 ナイアーラトテップの言霊で膝を屈してしまった俺と、怖れずに立ち向かったアスカでは差が大きすぎる。

 無理に前線に出たら足を引っ張ってしまう。


「わかった。俺はザックラントさんとシュイナを守る。けど一人で戦ったらダメだ。ちゃんとみんなと連携するんだ」

「判ってる。後ろから指示を出して」


 オラシオンを構えたまま、アスカはナイアーラトテップから目を離さない。

 そして悪魔も同様だ。

 よほどアスカを警戒しているのか、禍々しい形の剣を提げ、じっと様子をうかがっている。


「……なるほど。闘神アスラに認められた少女か。強い心を持っている道理だね」

「そんなの知らない。わたしは母ちゃんの娘だから強いんだ!」


 ぐんと踏み込むアスカと迎え撃つナイアーラトテップ。

 速い。

 まったく動きが目で追えない。


 剣戟の音だけが響く。

 二度三度と。


 と、感心している場合じゃないな。


「みんな。動けるか?」

「ここは神前ですわ。頭を垂れなさい。ナイアーラトテップ」


 俺の問いに、メイシャが行動をもって応える。

 アスカとナイアーラトテップが戦うフィールドに聖印が描かれ、ごくわずかに悪魔の動きが鈍った。


「さすがだな。もう詠唱を終えていたのか」

「当然ですわ。わたくしもネルママの娘ですもの」


 くすりと笑い、メイシャは俺の斜め後方の位置につく。


「八つ裂きリング! ダブル!」


 そして、やはり斜め後ろ、メイシャと三人で三角形が描ける場所に陣取ったミリアリアが、二つの氷輪を操ってアスカを援護する。


 この魔法は悪魔の身体でも簡単に切り裂いてしまうのだ。

 ナイアーラトテップといえども、まともに受けるわけにはいかない。

 禍々しい剣を振るって対応する。


 そしてそれは至難の業だ。アスカの攻撃を捌きながらだから。


 しかもシュリーライの街からは絶えることなく『希望』コールが続いている。

 ホーリーフィールドにプラスして人々の希望の叫びだ。

 悪魔にとっては継続的なダメージである。


「うっとうしい!」


 ナイアーラトテップが感情を露わにして叩きつけるようにリングを破壊した。そして返す刀でアスカに斬りかかる。


 ここだ。このタイミング。


「アスカ。バック。サリエリ。ゴー」


 すっとアスカが下がったため、肩透かしをくらったような格好でナイアーラトテップの剣が流れる。

 体勢が崩れた。


 そこにサリエリが斬り込んだ。必殺の間合いである。


 しかし、なんと悪魔は流れた身体をくるりと回転させて炎剣エフリートをかわしたのだ。

 そればかりでなく不完全な体勢から蹴りを放つ。


「にゃっ!?」


 サリエリが咄嗟に剣を手放して後ろに跳ばなければ、腹部にしたたかな打撃をもらってしまったことだろう。

 ただの蹴りでも、悪魔の一撃は容易に命を刈る。


 愛剣か命かという二択だったから、サリエリとしてはエフリートを捨てるしかなかった。


「あぁぁん。うちの剣がぁ」


 たーんたーんとバックステップを刻みながら、サリエリが嘆く。

 それでも、彼女は充分な戦果をあげた。


 蹴りまで放ってしまったため、完全にナイアーラトテップの身体は宙に浮いてしまったのである。

 その隙をメグが見逃すはずはなかった。


 滑りこむようにナイアーラトテップの真下に現れ、マジックナイフを鋭く突き上げる。


「ぐあ!?」


 まったく予測できない位置から攻撃され、さしもの悪魔も対応できなかった。

 ふたたび隠形するメグ。


 そして、また斬りかかってきたアスカの剣を、片膝をついてナイアーラトテップが受ける。

 瞬きを数度するほどの間におきた攻防だ。


「ふーふー……」

「はぁはぁ……」


 悪魔を挟む位置に立ったサリエリとアスカが呼吸を整える。

 そしてナイアーラトテップも、荒い息を吐いていた。


 脇腹からは黒い粒子がこぼれ続けている。瞬時に回復していないところをみるとかなりのダメージが入ったっぽい。

 サリエリが武器を失ってしまったが、戦闘はこちらが有利に展開している。


 と、思った瞬間、隠形を解いた、というより解けてしまったメグが、どさりと俺の前に崩れ落ちた。

 顔色が土気色になっている。


「メグ!?」

「しくじったス。刺してから消えるまでに触られて……」


 まじか。

 あの一瞬でナイアーラトテップは、メグに一撃を入れていたのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る