第115話 夜は別の顔
笛の音が聞こえる。
どこからか。
すごく心が安らぐ音色だ。
将来への不安が、現状への不満が、過去への後悔が、まるで夜の闇へと溶けるように消えていく。
そうだよな。俺はなにを思い煩っていたのだろう。
平和ならそれが一番ではないか。
戦いの中に身を置く必要なんかない。
多くを求めるから人は争ってしまう。いまあるもので満足すればいい。いまの暮らしを続ければそれでいい。
なにかを変える必要なんてない。
今日は昨日の続き、明日は今日の繰り返し。
それでいいじゃないか。
「うりゃ~」
「ぎぃぃやぁぁぁぁ!?」
突然の激痛に、俺の意識は覚醒した。
というか、強制的に覚醒させられた。
見れば、左の二の腕にナイフが刺さっている。
「おきたぁ?」
「ちょ、おま、なにすんの? ちょとしゃれならんよ?」
ナイフと犯人のサリエリを交互に指さしながら、俺は言いつのった。
夜中に突然チームメイトから刺されるほど、俺は悪いことはしていないはずだよ。
「しかたないのん~ ネルネルが悪いのん~」
「俺が一体何をした!?」
「
「なに?」
それはどういう状況だ?
覚醒魔法で起きないなんて普通じゃない。そもそも冒険者なんて生き物は、急な変事に対応できるように、熟睡していてもぱっと目が覚めるように身体が慣れている。
だから、覚醒魔法なんか使わなくたって、軽く揺するか耳元で声をかけてくれるだけで起きるはずなんだ。
「太い血管は傷つけてないからぁ」
「ああ。大丈夫だ。ちゃんと手も動く。状況の説明を頼む。サリエリ」
俺の言葉にかるく頷き、サリエリがのへーっと解説を始める。
夜半すぎから笛の音が聞こえはじめた。
そこから、みんなおかしくなってしまったという。揺すっても声をかけても起きないし、身体からちょっとずつ生命力が漏れ出しているし。
普通の魔法でこんな現象は起きない。
であれば、サリエリにも判らない魔法か技術が介在しているということ。すなわち、悪魔の仕業だ。
「生命力の漏出量からみてぇ、すぐ死ぬとかぁ、明日いきなり体調不良になるとかぁ、そういうのはないと思うんだけどぉ」
しかし、対応を協議するなら一刻でも早いほうが良い。
夜明けまでの約四刻(八時間)を、ただ無駄にするというのは得策ではない。
「ナイス判断だ。サリエリ」
「痛かったでしょお。ごめんねぇ」
なでなでと頭を撫でてくれたが、傷はそのままだ。
というのも、精霊魔法で回復してしまった場合、俺はまた眠ってしまうかもしれないからである。
ようするに、腕にナイフが刺さっている激痛によって覚醒状態を保っているのだ。
まさに苦肉の策というやつで、他のメンバーに施すわけにはいかない。
「ところでサリエリはなんで平気なんだ?」
「うちはエルフだからぁ、精神系の魔法は効かないよぉ」
ダークエルフ便利だなぁ。
サリエリを伴って宿の外へ出る。
左腕は、さすがにナイフは抜いて止血の処置だけしておいた。ズキズキと痛んでいないと意識が持って行かれてしまうけど、ナイフが刺さったままだと立ち回りのときに邪魔だからね。
「すごいな。死んだように静まりかえってる」
本来、夜というのは静かなものだ。みんな寝てるから。
とくに農村などではそうだろう。夜明けとともに一日の仕事が始まるのだから、夜更かしなんてしていられない。
しかし、王都や郡都と呼ばれる都会は別だ。
飲み屋や娼館、賭場など、深夜どころか朝までやっている店も少なくないのである。
「ここまで誰もいないとぉ、大通りで裸になっても大丈夫かもぉ」
「ならなくていいからね?」
のへーっと異常な発言をするサリエリをたしなめておく。
その発想はどこから生えたんだよ。
「俺たちが動き回っていることは、悪魔には気づかれてるかな?」
「なんともいえないのん~」
このアスレイだけで数十万の人間が暮らしている。それをすべて把握するというのは、たとえ悪魔の力をもってしても不可能だろう。
だが同時に、何十万のなかで二人だけ起きて動き回っていたら、目立たないわけがない。
「うちらのデータは判らなくてぇ、でも動いているのは知られてるぅって感じぃ?」
「そのあたりが、一番筋が通りそうだな」
のへのへっと語るサリエリに頷いておく。
どこまでも間抜けくさい口調だけど内容は完璧だから、行動指針を立てる上での基準にしてもまったく問題ない。
「漏れ出している生命力、エナジーだっけか。それがどこに流れてるか確認しよう」
「確認だけぇ?」
「たった二人で、それ以上のことはできないだろうからな」
勇者の天賦を持った魔法剣士であるサリエリはとても強いが、ひとりでできることなど限られている。
そんなもんだ。
もちろん俺だってひとかどの剣士だと自負しているけど、まさか二人で悪魔の本拠地に乗り込むわけにもいかない。
サリエリが指さす方向へと歩き出す。
「二人でできることはぁ、愛の逃避行とかぁ」
「事態の解決に、小さじ一杯分も寄与しないだろ、それは」
手に手を取って逃げてどうするよ。
事件が起きたので二人で逃げましたって、ちょっと新機軸すぎるわ。
「あなたがいればぁ、つらくはないわぁ」
「へいへい。幸せな未来を築こうな」
冗談を飛ばしあいながらしばらく歩く。
そして見えてきたのは、闇の中に黒々とわだかまるシュモク大公の居城であった。
「やっぱりお城に向かってたねぇ。ひねりもなんにもなくぅ」
「まあ、ここで捻られても困るけどな」
のへーっとしたサリエリの言葉に、俺は肩をすくめてみせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます