閑話 悪魔の飽食


 翌朝のことである。

 昨夜の出来事をライオネルが仲間たちに説明し終えたころ、宿に客があった。

 シュモク大公の使いだという。


「良いタイミングで現れたな」


 不敵な笑みを浮かべ、ライオネルは席を立った。

 相手から動いてくれるならありがたい、と。


 この大胆不敵さが『希望』のリーダーである。どんな強敵が相手でも、どんな難題を目の前にしても怯むことがない。

 とびきり有能で、最短距離で最適解へと突っ走るのだ。


「だからこそ私たちで支えないと」


 声に出さず呟き、ミリアリアが後に続く。


 いつの頃からだろう。ライオネルの有能さや大胆さを、危ういと思うようになったのは。

 彼は、自分の命を軽く扱いすぎている。


 アスカ、ミリアリア、メイシャ、メグ、サリエリのことはとても大切にしているのに、まるで自分はいつ死んでも良いような、そんな印象があるのだ。

 だから彼自身の持っている経験や知識を、娘たちに継承させようとしているような。


 それではいけない、と、ミリアリアは考えている。

 ちゃんとライオネルには、リーダーとして君臨していてもらいたい。


「日ごと夜ごとに身体を要求するような鬼畜でも私たちは受け入れますのに、母さんは絶対にそういうことをしませんからね」


 紳士的というより、女心が判らない唐変木だから。


「アスカ。母さんのガードをしっかりお願いしますね」

「まかせて! 悪魔なんか、母ちゃんには指一本触れさせないよ!」


 どんと胸を叩くアスカ。

 先頭を歩いていたライオネルが振り返って嫌な顔をした。


「そのセリフは納得いかん。俺は物語のお姫様か?」

「いやあ、母ちゃんと呼ばれるお姫様はいないスよ。ネルダンさん」


 すかさずメグがつっこみ、一行は笑いに包まれる。






『希望』が案内されたのは、城の大広間である。

 謁見などがおこなわれる豪壮な場所だ。


 だが、玉座の上にあったのはシュモク大公カールスではなかった。もちろんライオネルも他のメンバーも、カールスと面識があるわけではないが、その人物が彼ではないことだけはすぐに判ったのである。


 なにしろ女性だったから。

 妖艶な。


「フルーレティを倒したニンゲンだな? 妾はアルラトゥじゃ。取引せぬか?」


 そしてその美女が、最初に口にしたこれだ。

 すっとライオネルたちが身構える。


 悪魔というのは取引を持ちかける存在だ。そしてその内容というのは、いっけんすると人間にとってたいへんに都合の良いものなのである。


「どんな取引だ?」


 正面から睨み付けたままライオネルが訊ねた。

 頭ごなしに断らなかったのは、彼は軍師として交渉の大切さを知っているからだろう。


「なぁに。難しい話ではないよ。このままこの国を立ち去ってほしいというだけじゃ。そうすれば妾は、汝らの命を取らぬと約束しよう」


 本当に難しい要求ではなかった。

 ただシュモク大公国から去れというだけなのだから。


「ふたつばかり質問がある」

「歌ってみよ」

「ひとつめ、シュモク大公カールスをどうした? ふたつめ、お前がエナジーを吸い続けたらこの国の人たちはどうなる?」


 ライオネルが問う。

 この二つに答えることが交渉成立の条件だといわんばかりに。


 くすりとアルラトゥが笑った。

 彼女を悪魔だと知らない男ならば、一瞬で虜になってしまうような危険な微笑である。


「この世界を貴様らの思い通りにはさせん、とかいって斬りかかってきたデブなら、生皮を剥いで殺してやったわ。最後は泣いて許しを請うていたのう」


 悪魔が嗜虐的にくつくつと笑う。

 ライオネルは、小さくそうかと応えた。


 握りしめた拳に力が籠もったのに、アルラトゥは気づいただろうか。


「もうひとつの問いじゃが、五年くらいは保つのではないか? なにしろ数が多いからのう。毎日満腹まで食っても、全員が死ぬまでそのくらいはかかりそうじゃ」


 確とした数字ではないが、と付け加える。

 それに対し、ライオネルが笑顔を浮かべた。

 怒りよりもなお凄みのある笑みがあるとすれば、まさにこれがそうだろう。


「いま、色々考えてみたんだが」

「なにをじゃ?」

「お前を殺さない理由だよ。けど、やっぱり無理だ。地平の彼方まで探しても見つかりそうにない」


 右手を愛刀の柄に置く。

 アルラトゥは心から意外そうな顔をした。


「汝らはガイリア王国の人間であろう? シュモク大公国がどうなろうと知ったことではないのではないか? それが人間の力学であろうに」


 面倒そうにアルラトゥが立ち上がれば、右手に死神の鎌デスサイズのような形をした禍々しい武器が現れる。


 きざはしの上と下、二十歩ほどの距離を置いて悪魔と人間が対峙した。

 一触即発の危機をはらんで。


「敵国の人間なんてどうなってもいい、なんて思うほど腐っていないからさ。ましてシュモクは敵国でもなんでもない」


 しゅっと焔断を鞘走らせるライオネル。

 目に怒りの炎を灯して。


 文弱公などとモリスン王に馬鹿にされていたカールスである。武芸が得意なはずがない。

 それでも剣を取って悪魔に立ち向かった。


 自らの国と民を守るために。

 ひいては、世界を守るために。


「荒事を生業とする冒険者が、我が身可愛さで立ち去るわけにはいかんだろう」


 宣言し、切っ先をアルラトゥに突きつける。


「ようほざいた。死にゆく汝らの絶望を喰ろうてやろう」


 悪魔が鎌を振りかぶった。


 

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