第113話 次の国へ


「けど、悪魔の気配はなかったですね。母さん」


 街道を歩きながらミリアリアが言った。

 整備が行き届かなくなった道を、こつこつとフェンリルの杖が叩く。

 ガラングランを離れ、シュモク大公国を目指す旅路だ。


「だな。グラッドストン元首閣下の即位後も、とくに出てくることはなかったし」


 結局、俺たち『希望』は十日ほどガラングランに滞在した。

 悪徳の町を根城にしていた奴隷商人どもをいぶり出して殲滅するのに、どうしても時間がかかってしまったのである。


 救出できた奴隷は、なんと百人を超えた。

 ちょっとびっくりするくらいの数で、近隣の村や集落が野盗どもにどれほど荒らされていたのか判ろうというものだ。


 希望する者は故郷に帰し、そうでない者はグラッドストン新元首が保護して教育を与え、手に職を付けさせる。

 そんなことをやっているうちに十日が過ぎ去った訳だが、その間、悪魔が現れることはなかった。


「いまはねえ~ 新しいトップの登場にぃ、みんなが希望の光をみてるからねぇ」


 のへーっとサリエリが言う。ぽかぽかと降り注ぐ陽光を浴び、まるで眠りながら歩いているような雰囲気で。


 俺たちの話を聴いてたってことにまず驚きだが、付き合いが長くなってくると、ぼけーっとなにも考えていないように見えて、じつは彼女の脳細胞は活発に活動しているのだということが判るようになる。


 もちろん話だってきちんと聴いているし理解しているのだ。

 反対に、ちゃんと聴いているように見せかけて、まったく聴いてもいないし理解もしていないのがアスカである。


「悪魔が忍び寄ってくるとしたらぁ、グラッドストンの施政に不満が出はじめたときだよぉ」


 悪王を打倒せよ。助力してやるから、と。

 そうやってそそのかすのだ。


 どんな名君が治めたって、この世は理想郷アルカディアにはならない。民は多かれ少なかれ不満を持つ。

 これは当たり前である。


 個人レベルで考えたって、ラクで、余暇が多くて、収入が良いなんて仕事は存在しない。

 俺たちみたいな冒険者なんて一山当てればでかいけど、常に死の危険と隣り合わせだ。

 楽な仕事ってのは、えてして得られる報酬も小さい。


 そんなものなのだが人間ってのは不満を抱くし、そこに悪魔は忍び寄る。

 お前がつらいのは全部あいつのせいだ、あいつさえ殺せばすべてが上手くいく、とね。

 そうやって世界に混乱をばらまくのである。


「希望に燃えているいまだからこそ、たとえばグラッドストン新元首が暗殺されたら混乱の坩堝だとも思いますが」

「ミリミリの意見も一理あるぅ。けどぉ、失敗したら人間の結束が強くなるだけだからぁ」


 そこが悪魔どもの嫌らしいところだ。

 やつらは、一か八かの勝負をしない。失敗したら自分が不利になる、などというギャンブルはしないのである。


 悪魔フルーレティだってそうだ。幕の陰に隠れて笛を吹いていれば、俺たちは奴までたどり着けなかっただろう。

 ルークが一世一代の演技で無様さを装い、フルーレティの嗜虐心をくすぐったからこそ奴は姿を見せた。

 兄弟も同然の親友を二度も殺した俺の顔を見るために。


「つくづく嫌な相手だよな」

「けどネルダンさん。オレたちはガラングランの奴隷たちを救ったスよ」


 肩をすくめた俺の腰を、メグがとんとんと叩いてくれた。

 悪魔が出てこなかったことを嘆くのは筋違いだろうと。


「そうだな。充分な戦果だ」


 俺たちの行動によって、何十人か何百人かの人が救われた。それで満足すべきなのである。


「ミカサ湖畔市のご馳走がたのしみですわ。粗食には辟易していましたもの」


 しゃらんしゃらんと錫杖をならし、メイシャがはるか遠くにかすむ湖を見晴るかした。

 たしかにグラッドストン新元首の邸宅で饗された料理は質素なものだったけどさ。本当にブレないビショップだなぁ。






 ミカサ湖畔市でご馳走を食べ、マリダの宿場やアムルの宿場を食い倒しながら街道を進むこと六日。

 冬バラ都市国家連合の領域を抜け、俺たちはシュモク大公国に入った。


「リントライトの弱体化で、最初に独立するだろうと思われていた貴族領でしたっけ?」

「ああ。けど独立を宣言したのはガイリアよりも後だったんだ」


 ミリアリアの問いに応える。


 国名にもなっているシュモク大公というのは、リントライトの前の国、シュメーリアの王族が継承しているのだ。


 前王朝の血を残すってお題目で、名前ばかりの大公位をもらってはいるものの、政治にも軍事にも関わらせてもらえず、ずっと不遇を託ってきたわけだから、落日のリントライトに対して反旗を翻したってなんにも不思議じゃない。

 百二十年の冷遇だもの。


 けどそうならなかったのは、現シュモク大公のカールスという御仁の性格に拠るところが大らしい。

 争いごとをことのほか嫌い、前王朝を簒奪したリントライト王家に対してもまったく恨みを抱かず、飼い殺しの状態に甘んじている。


 モリスンによってつけられたあだ名が文弱公。


 学問や芸術にうつつを抜かす弱々しい大公だ、というほどの意味になるだろうか。

 なかなか失礼だ。

 学問や芸術に対してもね。


 そういう部分をまったく重視しないから、リントライトは滅びたんだぞ。

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