第109話 悪徳の街(2)


 クソのような光景だった。

 日暮れとともにかがり火が焚かれた大通りの広場に何両もの馬車が入ってくる。


 普通の馬車でなく檻馬車だ。

 猛獣などを輸送するときに用いられるあれである。


 ただし、このとき入れられていたのは猛獣ではなく人間だった。しかも、年端もいかない子供や女性。


「人身売買……」

「しかも性奴隷スね。表じゃ取引できないスから」


 ぎり、と奥歯を噛みしめた俺の耳に、メグの声が酷薄に響く。

 ガイリアでは、というよりリントライト王国の時代ですら奴隷取引は禁止されていた。


「理屈ではそうスね。けど裏では取引されていたスよ」

「…………」

「借金が払えなくなった家の娘や、誘拐してきた子供。盗賊ギルドの収入源のひとつスから」

「……そんなバカな」


 ドロス伯爵は孤児院に対して充分な支援をおこなっていた。

 だから俺は読み書きや軍学を学ぶことができたし、ミリアリアやメイシャは魔法学院や神学校に通わせてもらえたのである。

 それだけのことをしても孤児院は儲かったからだ。


「禁止されているものだからこそ欲しいっていう物好きは、どこにだっているもんス」


 メグが肩をすくめてみせた。

 ご禁制のものだからこそ高値がつく。

 借金のかたに娼館で働かせるよりもずっと儲かるのだ。


「母さん……」


 爪が刺さるほど窓枠を握りしめ、ミリアリアが俺を呼ぶ。

 飲み込んだ言葉は、助けましょう、だろうか。


「……ここがガイリアなら人身売買は御法に触れる。だが……」


 冬バラ都市国家連合の一角、ガラングラン市国での話である。

 力が支配するこの都市国家では、奴隷取引は禁止されていないのかもしれない。

 俺たちの常識で押し通ることはできないのだ。


「本気で言ってる? 母ちゃん」


 アスカの青い瞳が、まっすぐに俺を睨み付けている。

 俺は大きく息を吸い、吐き出した。


「いいか、よく聞けよ。アスカ。ここであの人たちを助けたところで意味がない。やつらはまた別の場所から、別の人間をさらってくるだけだろう」


 取引される女性や子供がどういう素性なのか俺には判らない。


 あるいはリントライト王国が崩壊するときガラングランから逃げ遅れた人たちかもしれないし、近隣の村などから誘拐された人たちかもしれない。しかし、いずれにしても奴隷商人たちは補給路を持っているということだ。


 でなければ恒常的な商売にはなりえないのだから。


「母ちゃん!」

「だから、奴らを殺す」


 まっすぐに手を伸ばし、競りを始めた奴隷商人どもを指さす。

 決然と。


「これは俺の勝手な判断だ。日が暮れてから商売を始めるなど後ろ暗いことをしている証拠だ、なんてのはただの憶測にすぎないしな。この国のやり方に異を唱える資格を俺はなにひとつもっていない」


 一度、言葉を切る。


「『希望』の方針に沿わないと思うなら遠慮なく言ってくれ。俺はこのクランを抜け、一人で行くから」


 それが責任の取り方だ。

 リントライト王国を滅ぼすための、最後の一石を投じた人間としての。






「ルークと戦ったときですか。わたくしがいった言葉を憶えていますか? ネルママ。あなたと一緒なら喜んで汚れよう、と」


 メイシャが言う。

 ああ。たしかに言っていたな。

 あの言葉にどれほど救われたことか。


「母さんのことだから、リントライトを滅ぼした責任を取ろうとか思ってるんでしょうけどね」

「決め手になったのはうちとミリミリのフレアチックエクスプロージョンだしぃ。ぶっちゃけネルネルってなにもしてないよねぇ。あのときぃ」


 ミリアリアとサリエリに呆れられてしまった。

 たしかに作戦立案はしたが、俺は大将として馬を立てていただけ。

 戦場では彼女たちの魔法が、王都内ではナザルたちの工作が功を奏した。


「オレはずっとあっち側にいたんスよ」


 そういって窓の外を見るメグ。

 人が売られるのも、女子供が消耗品として扱われるのも、当たり前の世界に彼女は育った。


「そこから救い出してくれたのは、あんたスよ。ライオネルの旦那。そのあんたが、あれを見過ごすってんなら、オレはあんたを軽蔑するス」


 そういう行為を軽蔑できるようになったのだと感謝しながら、と、付け加える。


 なんとはなしに手を伸ばし、俺はメグの頭を撫でた。

 くすぐったそうに目を細める。


「みんな。ありがとう。バカなことに付き合わせて申し訳ない」


 そして俺は、なにも言わなかったアスカを見た。

 なんと彼女は、すでに準備運動ウォーミングアップを始めている。


「ん? わたしの意見必要? 母ちゃんが行かないなら一人で行くつもりだったけど?」


 俺と目が合うと、しれっと言うのだ。

 気が抜けてしまって、俺は肩をすくめる。


「アスカ。ちょっとは空気を読みましょうよ。ここは、母さんの悲壮な覚悟に、みんなが自分の決意を表明する場面じゃありませんか。芝居ならクライマックスですよ」


 半笑いでアスカに語りかけるミリアリアだった。

 そういう言い方をされると、たいへんに恥ずかしい。

 ぜひ勘弁してもらいたい。


「母ちゃんはやっぱり母ちゃんだった。弱い人や困ってる人を絶対に見捨てない。どんな英雄よりも英雄らしい軍師。それがわたしたちの母ちゃんじゃん」

「たしかに」


 深く深くミリアリアが頷く。

 他の三人も。


 く。恥ずかしいよう。

 いっそ殺してくれぇ。


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