第105話 夜明け
「憎い! 憎い! 憎い! 憎いぃぃぃぃ!!」
レギオンが放つ声は、男だったり女だったり子供だったり老人だったり、重なり合って不気味に響いた。
「そりゃあ憎いだろうさ。国も王都も家族さえも全部失ったんだからな。けど」
俺は言葉を切り、焔断を突きつけた。
「けどな! アンタが道を誤らなければ、何万って人が死ぬこともなかったんだ!」
まるで自分一人の悲劇みたいに喚くんじゃねえ。
あんたが魔王イングラルの和平案に素直に頷いていたら、ガイリアに攻め込んだりしなかったら、こんなことにはなっていなかった。
たっと石畳を蹴り、俺は斬りかかる。
一息に焔断で切り裂いてやるつもりで。
「またぼくはころされるの? なんかいしねばいいの?」
しかし、刃の前に現れた幼子の顔に、思わず手を止めてしまった。
見たこともないが、たぶん王家の子供なんだろう。
余計なことを考えてしまう。
「しまっ!?」
こんな見え見えの罠に!
慌てて跳びさがろうとしたが遅かった。レギオンの手が何本も俺の身体に触れる。
「ぐぼぅ……」
たまらず跪き、両手を地面について嘔吐してしまう。
真っ黒く濁った血を。
呪詛をもらったか……。
「ネルダンさん!?」
「ネルネルぅ!」
追い打ちをかけようとするレギオンに、メグとサリエリが攻撃をしかけた。
矢継ぎ早に投げナイフが突き刺さり、炎剣エフリートから飛び出した火球が表面を焼く。
ごくわずかに怯むレギオン。
メグの武器に付与されている神聖魔法も、サリエリの炎も、アンデッドに対して特効があるから。
けど、ダメだろ陣形を崩したら。
俺は大丈夫だから自分の定位置に戻れって。
なんとか立ち上がろうと両足に力を込める。
と、そのとき、ふわりと身体が担ぎ上げられた。
「なっ!?」
「母ちゃんが子供を斬れるわけない。亡霊が相手でもね。最初から判ってたことだって!」
アスカの声だ。
かすむ視界に映るのは、鮮やかなまでの赤毛である。
「ばかおまえ……メイシャのまもりが……」
四人がこっちにきてしまったら、定位置にいるのはミリアリアだけになってしまう。
他にも亡霊はいるのに。
「問題ありません! マジックミサイル!
叫んだミリアリアの周囲に、大量の光弾が出現する。
五十にとどこうという数の。咄嗟に数えきることができなかったほどだ。
まさか、まさかそれを全部操るのか?
「いっけぇ!」
迫りくる亡霊たちを、一体も余さず葬っていく。
「アスカ! 今のうちに母さんをメイシャのところに!」
「わかってる!」
あっという間に俺の身体が運ばれていった。
物語のお姫様みたいだが、肩に担がれているだけなので、どちらかといえば荷物みたいな扱いである。
むしろ、事実としてお荷物だよ。
情けない!
足を引っ張ってしまうとは!
穴があったら入りたいというのは、こういう気分なんだろうな。
「メイ! よろしく!」
「完璧に癒やしますわ。お任せあれ」
「任せた! わたしはちょっと、あいつにオシオキしてくるよ!」
俺をメイシャに預け、アスカがレギオンへと向かう。
周囲は、ミリアリアによって撃ち落とされた亡霊どもが、音もなく爆散を続けていた。
「もろに怨霊の手を喰らいましたわね。ネルママ。下手をしたら一撃死でしたわよ」
メイシャの手が俺のブレストプレートを外す。
そうならなかったのは、それだけ俺の精神が強靱なのだと慰めながら。
服を脱がされれば、胸から腹にかけてどす黒く変色していた。
自分の身体なのにすごくキモい。
なんか生きている人間のモノとは思えないくらいだ。
「ネルママが怪我をするたびに脱がすことができるのは、役得ではあるのですが」
もう少し色っぽい状況で脱がせたいものだとか冗談を飛ばしながら、メイシャが聖印を切る。
それだけで、身体を蝕む痛みが和らいだような気がした。
聖句とともに患部を撫でられると、変色していた皮膚がどんどん元通りになっていく。
「子供だから斬れなかったのですわね」
「メイシャにも見えていたか。面目ない」
「見えておりませんわ。ただ、無数の怨念の手の中で、たった一本だけネルママの死を防ごうと頑張っていた小さな手があったのですわ」
「そうか……」
「意味もわからず祖父に殺され、悪霊の集合体に作り替えられても、一握の良心は残っていたようですわね。あなたの旅路が心安らかならんことを」
最後の言葉は、おそらく俺に向けたものではない。
俺の身体から何かが抜け、天へと昇っていった。
「これで大丈夫ですわ。ママ」
「助かった。すぐに前戦へ」
そういって立ち上がろうとすると、どんっとのしかかられた。
大きな胸が背中に当たる。
それ以前の問題として、重いって。
「ぐえぇ、なにをする」
「それはまだ無理ですわ。ここから指揮を執りなさいませ」
立ち上がるのに手を貸してくれる。
たしかにふらふらだ。
上半身裸で、娘に肩を貸してもらわないと立っていられないとは、なさけない軍師もいたものである。
「みんな! すまん! 前戦参加は無理なんでここから指示を出す!」
大声で叫ぶ。
無事だってことを仲間に報せるためにも。
『OK!』
娘たちの声が唱和する。
亡霊どもはミリアリアが片付けてくれた。
残る敵はレギオンだけ。
一気に片付けてしまおう。
「アスカ! 近づきすぎるなよ! 呪いをもらうぞ!」
「うん!」
速度で攪乱しながら、赤毛の剣士がヒットアンドアウェイを繰り返す。
「サリエリ! アスカとの連携を優先してくれ」
「りょ~」
アスカが下がれば、ダークエルフの勇者がタイミング良く前に出る。
この連携だ。
だから『希望』の前衛は強い。
「メグ! 無理に最前線に出るな。距離を置いて飛び道具を使え」
「わかってるスよ」
伸びてきたレギオンの手を二転三転ととんぼを切りながら回避し、中衛の位置まで栗毛のスカウトが後退した。
この位置からの遊撃こそが彼女の本領だ。
「ミリアリア。まだいけるか?」
「余裕です。母さん」
「なら援護射撃を頼む。敵の注意を前衛から逸らせるんだ」
「私が倒してしまっても良いんですけどね」
強がりをいいながら、次々とマジックミサイルを放つミリアリアである。
もうアイシクルランスを撃つ魔力も残ってないくせに。
けど、それで良い。
チームの頭脳はいつだって自信満々じゃないとな。
切り刻まれ、投げナイフと魔法とでさんざんに叩きのめされ、断末魔の悲鳴をあげるレギオン。
その醜悪な身体が崩れ始める。
東の空が白んでいく。
長い長い夜が終わり、夜明けが訪れたのだ。
「もう、迷う必要はありませんわ」
ちいさくメイシャが呟いた。
それはたぶん独り言の類で、べつに返答を期待してのものではなかっただろう。
だが俺は、
「そうだな」
と言って、軽く頷いたのだった。
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