第37話 霧の中からなにかくる


 ガイリアの街からピラン廃城までは、徒歩で十二日もかかる。

 王都に行くより遠いのだ。


 まあ、そんだけガイリア地方が広大だってのもあるんだけどな。ドロス伯爵って人は、ようするに辺境伯なのである。

 マスル王国っていう魔族の国との国境を守る、重大な役割を担っている御仁なんだ。


 伯爵だけど、実力的には公爵や侯爵なんかともタメが張れる。

 それが辺境伯ってやつだね。


 まあ、だからこそドロス伯爵のお膝元であるガイリアの街は、交易都市なんていわれるくらい栄えてるわけだ。


「ミルトの宿場までは街道を使って、そこから二日くらい西進するって感じになるかな」


 四人娘に手書き地図を見せながら説明する。

『金糸蝶』時代に、俺が十年かけて作ったものだ。ちょっとした財産なんだぜ? 街道や宿場の情報だけでなく、攻略にいった遺跡とかの情報も書き込んでるからな。


 読み書きの勉強がてら、いまはメグに書き写させている。

 いずれは、斥候スカウトの彼女が、『希望』の行動計画を立てることになっていくだろう。

 その日がくるのが今から楽しみなんだよね。じつは。


「野営は二日! 思ったより少なかった! 良かった!」


 アスカが喜んでいる。

 気持ちは判るけどね。

 野営が大好きなんて冒険者はそんなにいないだろう。どんなにボロくてもいいからちゃんと室内で寝たいものさ。


「わたくしは宿場ごとの名物を堪能しますわ!」


 食いしん坊バンザイなことをいってるメイシャ。物見遊山じゃないんだけどなぁ。


 留守中のクラン小屋を守ってくれるのは、白猫の獅子王とその奥さんだ。

 一度出かけるとしばらく帰ってこれない俺たちより、よっぽど主人みたいである。


 出発する俺たちを小屋の屋根から見送ってくれた獅子王が、にゃあと鳴いた。

 武運長久を祈る、とでも言っているみたいで、みんな少しだけにやっとする。







 そして旅を続けること十日。

 宿場に泊まれる最後の夜のことである。


 かすかな気配を感じ、俺はベッドサイドに立てかけていたブロードソードを手に取った。


「誰だ」

「オレっス」


 応えの声はメグのものだった。

 女性たちの部屋から忍び込んできたらしい。


「夜這いなら間に合ってるぞ」


 冗談を飛ばしながら、俺は半身を起こす。

 この時点で肉体的には完全に活性化していた。冒険者なんてやっていると寝起きはものすごくよくなっていくものである。


 なにしろ、目が覚めた瞬間に行動しないといけない局面が多すぎるからね。

 夜襲とか。


「妙な気配がするス」


 メグは冗談に付き合う余裕がないらしく、すぐに状況の説明を開始した。

 敵意でも害意でもないが、なんだか見られているような。そういう気配を感じるというのだ。

 ちょっと要領を得ない話である。


「窓の外を確認したか? メグ」

「それが、霧が立ちこめてて何も見えないんスよ」


 なるほど。

 なら確定だ。


「アスカたちを起こしてくれ。戦闘準備を整えてこの部屋に集合。敵だよ」


 部屋の隅にたたずんでいたメグが息を呑む。

 ていうか、もうちょっと近くで話せば良いのに。

 襲ったりしないよ?


「こっちが辛抱たまらなくなるんスよ」

「なにが?」

「なんでもないス。それより敵ってのはなんスか?」

「夜半、何者かの気配、立ちこめる霧。ここまで揃ったら、疑いなくリッチだろうな」

「リリリリリッチ!? 不死の王スか!?」


 びびりまくりである。

 まあ、アンデッドモンスターってのは厄介だからね。なかでもリッチなんて、ヴァンパイアと並ぶ高位のアンデッドだし。

 けど、接近してるのが判ってるなら対処方法はある。


 気配を察知したメグが殊勲賞なんだよ?

 俺は元盗賊の少女に近づき、ぽんぽんと栗色の髪を撫でてやる。三人娘にするようにね。


「うなぁー! みんなを呼んでくるス!」


 なぜか謎の威嚇音を発して、メグが扉から飛び出していった。


 ちょっと子供扱いしすぎてしまったか?

 彼女は来年、数え十八(満十七)歳になる。大人の仲間入りだからね。

 頭をぽんぽんされるなんて屈辱かもしれない。


 もっと一人の淑女レディとして扱わないとだめかもな。


 戦闘態勢を整えた、アスカ、ミリアリア、メイシャ、メグを引き連れて外に出る。

 宿の人たちには、けっして外に出ないように申し伝えて。


 リッチに率いられたゾンビどもは、ヴァンパイアみたいに招かれてない家には入れないなんて縛りはない。

 けど、ドアを開けるとか窓を破るとか、そういうことをできる知性もないので、建物の中にいればある程度は安全だ。

 俺たちが外にいる限り、やつらはこっちを狙ってくるからね。


「さあ、お出ましだぞ」


 霧の彼方から、ひたひたと足音が近づいてくる。

 数十の亡者どもを引き連れて、不死の王が。


「なんなんスかね。この気配……敵意とか害意ならわかるんスが……」


 両手に油瓶を持ったメグが呟く。


「ただの恨みですわ。死者は生者が羨ましくて仕方がないのです。だから引き込もうとするのですわ。昏く冷たい沼の中へ」


 答えたのはメイシャだ。

 聖職者らしく聖印を切りながら。


 肩をすくめたメグが縄でできた火種を口にくわえる。

 そんなわけのわからない恨みで殺されちゃたまらない、と、赤い瞳が語っていた。


「ていうかゾンビきらい! 汚いし臭いし、倒してもコア手に入らないし!」


 敬虔さの欠片もないようなことをいうアスカだが、冒険者全体の意見としては、こちらが近いだろう。

 あいつらはリッチに操られてる死体に過ぎないので、体内にコアがない。

 仮にあったとしても、死体をさばいて取り出す気にはなかなかなれないだろうね。


「遠距離から先制攻撃して良いですか? ネル母さん」

「もちろんだ」

「では撃ちます。炎の槍フレイムランス!」


 ミリアリアの杖から生まれた炎の槍が飛ぶ。

 開戦を告げる鏑矢のように。


 

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