閑話 魔王さまの憂鬱 1


 豪壮というには無機質で、おそらくどれも高級なのだろう調度品も、ただ置かているだけという印象である。

 まるで人の息吹を感じず、誰も住んでいないといわれても違和感なく頷けるような、そんな部屋だ。


「星が流れたようにございます」


 水晶玉を見つめたまま老婆が言った。

 しわがれた、聞くものに不安と不快感を与える声で。


「吉兆か?」


 問う声は若い。

 堂々たる体躯と鋭い眼光をもった青年のものだ。


「人間たちには凶兆でござりましょう。英雄の星を持つ人間が減るというのは」

「ならば我らにとっては吉兆ということだな」


 ふ、と青年が笑う。


「ところでおばばよ」

「なんでしょうか。魔王イングラル陛下」

「占いのたびに、この演出ってやらないといけないのか?」


 すごく嫌そうに言って右手を振る。

 どこからともなく現れた侍従たちが、暗幕を片付けたり、変な煙を出し続ける香炉を運び出したりする。あと、窓を開けて換気とか。


 一気に明るさを取り戻した魔王イングラルの執務室は、つい先ほどまでの爆発的な怪しさが払拭され、ごく自然に機能的で小洒落たものだった。


「なにをいわれます! 魔王陛下! そもそも陛下は伝統の重みというものをなんと心得ているのですか!」


 老婆が怒り出す。

 すごくすごく辟易した顔を魔王がした。


「ていうかさ。人間の国の動向なんかいちいち占う必要ないだろ」

「なげかわしや! 先代魔王様も先々代も! いつでも攻め入れるように牙を研いでいらっしゃったというのに」

「また血圧があがるぞ。おばば」

「どなたのせいですか! どなたの!」


 むっきー、と、老婆が地団駄を踏む。


 たぶんさ、とイングラルは内心で呟いた。

 父も祖父も人間と戦うつもりなどなかったのだろう。戦うぞっていうポーズを取っていただけ。

 人間どもに奪われた父祖の地を取り戻せ、というのが魔族の悲願だから。


 しかし、実際のところ、いまの魔王国の暮らしに不満を持っているものは少ないと思う。

 五百年以上も昔に住んでいたという土地に比べたら、気候は温暖だし作物だって良く育つ。飢えや寒さで死ぬ者などほとんどいない。


 そんな暮らしを捨ててまで、寒くて貧乏な人間の国に攻め込んでどうするんだって話だ。

 得るものなんかほとんどない。

 わざわざそんな土地に移り住むバカはいないだろうから、奴隷として人間を連れてくるくらい?


「意味ねー」


 奴隷ったって食べるものや寝るところが必要なのである。そんなもんを用意してまで生産力を増やしてどうする。

 いまですら、毎年毎年余った分を、人間の国に密かに輸出してやってるのに。


「なにかおっしゃいましたかな? 陛下」

「べつになにも? 空耳ではないか?」


 さらっと流しておく。

 年なのだから無理をするなよ、とか、余計な一言を添えて。







「あんまりからかいすぎてると、本当に血圧が上がって死んでしまいますよ。オババ様が」


 ぷりぷりと怒りながら帰って行った最長老を見送り、秘書官のミレーヌが肩をすくめた。

 浅黒い肌と白銀の髪、顔の両側にある大きくて長い耳は、ダークエルフ族の種族的特徴である。

 もちろん、輝くような美貌も。


「毎度毎度うるさいからな。つい嫌味のひとつも言いたくなってしまうのだ。老人たちには」


 執務机に戻り、イングラルが苦笑する。

 頭を掻いてるのは多少なりとも反省しているからだろうか。


 彼も彼女も、人間たちに土地を追われた者たちから数えると第三世代にあたる。

 正直、人間族への恨みなんて実感としてはまったく判らない。


 しかし老人たちは違うのだ。

 五百年前の大戦で、土地も文化もすべて奪われて命からがら南へ南へと逃げた。

 その記憶を鮮明に持っている。

 最長老なんて当事者世代だし。


 数百年の時を生きる魔族やダークエルフ族にとっても、五百年というのは短い時間ではない。

 戦争を知らない世代のイングラルと、はっきりと人間たちへの恨みを抱いて生きる老人たちとでは、かなり温度差があるのだ。


「難しいところだとは思いますけどね。戦争はもうおしまい。明日から仲良くしましょうねなんて言われて、はい判りましたなんて頷ける人ばっかりじゃないですから」

「頷いてもらわねば、いつまでも戦争は終わらないんだけどな」


 いま現在でも人間の国……リントライト王国とは、戦争状態ということになっている。

 何年かに一度の割合で国境紛争は起きているし。


 ただ、イングラルとしては侵攻なんかするつもりはない。

 もちろん攻め込まれたら全力で叩き潰すが、わざわざこちらから攻める理由がないのだ。

 老人たちの恨みつらみ以外に。


 生産力でいえば、彼らマスル王国の方がはるかに勝っている。工業力も軍事力も上。土地だってこちらの方がずっと豊かだ。

 もし攻めたなら、十中八九勝てるだろう。


 しかし勝ったからといって、戦争はそこで終わりではない。

 支配しないといけないのだ。人間たちを。


「考えただけでめんどくせぇ」

「恨みから始まりますからね。老人たちと同じように」


 被支配者が支配者を恨んでいる。そして彼らは貧しい。

 当然のようにマスルから食料だの物資だのを持って行かなくてはならないだろう。

 自分たちを恨んでいる者を食わせるために。

 これを馬鹿馬鹿しく感じないとすれば、その人はむしろ大変な慈善家だろう。


「予は慈善家ではなく吝嗇ケチなので、金にもならないことはやりたくないのだよ。ミレーヌ」

「ええ。存じてますとも。国で余った食料や物資を密輸してあげた方がずっと儲かりますもんね。あっちの孤児とかも救えますし」


 くすくすとミレーヌが笑う。

 彼女の訳知り顔に、微妙な顔をする魔王だった。

 と、そのときである。


「た、大変です! 宝物庫から!」


 侍従の一人が血相を変えて飛び込んできた。

 なんと魔王城の宝物庫より、ある魔導具が盗まれたというのである。


 支配の宝珠。


 それは、モンスターどもを意のままに操るという、危険なアイテムであった。

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