お寿司を食べに行こう(1/2)

 天外市南部、天外湾。廃港地帯。


 湾内は黒い廃油の層に覆われた暗黒の海と化している。

 その一角に見捨てられた漁港があった。波止場に死魚めいて浮かんだ廃船が、ぼろぼろに錆びた船体をさらしている。


 埠頭に二つの人影があった。

 片方はニワトリの頭に背広姿の異形、もう片方はゴス風スーツにフード、ドクロのフェイスマスクで口元を覆った死神めいた衣装の女だ。フェイスマスクの右頬には真っ赤なキスマークが入っている。


 二つは激しくぶつかり合っていた。


「オラーッ!」


「ヤーッ!」


 ゴッ!

 リップショットの蹴りをブロイラーマンは片腕でブロック! 発生した衝撃波で汚染霧雨がぱっと散った。


 すかさずブロイラーマンは踏み込み右ストレートを放つ。

 リップショットは大きく仰け反ってブリッジでかわし、そのままバック転で距離を取った。


 ブロイラーマンは息を吐き、構えを解いて両手を腰に当てた。


「どうだ? お前が持ってる聖骨家の特殊能力ってヤツ、わかりそうか?」


「うーん……ぼんやりとは何か見える気がするんだけど」


 リップショットは眉根を寄せた。

 彼女の聖骨家は、聖骨の盾という他の血族の能力を封じる能力を持つらしいが、その使い方はわからないままだった。


「昨日見た夢を思い出そうとしてるみたい」


「わかるぜ、その感覚」


 二人は時間があるときはこうして組み手をしている。

 トレーニングのためでもあるが、もう一つ理由があった。血の記憶を呼び覚ます方法を探しているのだ。


 血族は人間に血を授けることで仲間を増やす。

 〝血を授ける〟というのは便宜的な言い方で、自らの骨を移植する、長年の修行を経るなど人間を血族化させる方法は家系によって様々だ。


 また血族化と同時に、血が持つ記憶や経験の一部を受け継ぐことも理解していた。血族になった時点で戦い方や自らの能力、家系を知っていたからだ。


 血は記憶している。


 つまり日与に血羽の血を授けた先代のスクリーマー、スクリーマーに血を授けた先々代、そのさらに先々々代……と家系を遡って、血羽家の膨大な記憶が眠っている。

 血羽が経験した戦法、特殊能力、他家の情報などだ。


 それを引き出せれば大きな戦力アップになるはずだが、二人ともその方法がわからない。


 リップショットは昴の姿に戻った。髪の長い十八才の少女だ。

 汗を拭い、上着をずらして中に風を入れる。


「今日はここまでにしよう」


「うーん……」


「焦ってもしょうがないよ。この方法で血の記憶が呼び覚ませるのかどうかもわからないのに」


 ブロイラーマンは不満げながら頷いた。

 こうしている間にも双子の兄、明来に残された寿命は霧雨病によって刻一刻と減っている。時間がないのだ。


 だが昴の言うことももっともだった。ブロイラーマンは腕を組んで顔をしかめた。


「何か引き金みたいなものがあるんじゃないかな。俺は他の血族と殺し合ってる時に何か見える気がする」


 ふと昴は真顔になった。


「ねえ、日与くん。聖代を殺したときのことだけど」


「あ? ああ」


「あのとき、私に黙って行ったでしょ。聖代の息の根を止めに」


 日与は視線を外して答えた。


「相談してる時間なんかなかっただろ」


「……」


 昴の視線には咎めるようなものがあった。

 ブロイラーマンは腕組みしたまま人間の姿に戻り、言った。


「昴。お前、夢あるか?」


 不意の質問にいぶかしむ昴に、日与は促した。

 昴は少し赤くなり、ずっと胸に秘めていた夢を口にした。


「……賞金稼ぎ」


 日与は笑いかけた。


「テレんなよ。カッコいいと思う」


「日与くんはどうなの?」


 日与は昴に背を向けると、真っ黒な海のほうを向いてしゃがみ込んだ。

 汚染霧雨が舞う海風の中を異態ウミネコがニャアニャアと鳴いている。


「俺は夢なんかねえ。だからいいんだ。将来のあるお前が罪を被るこたあねえよ」


「……」


 日与が振り返ると、すぐそこに怒りの形相の昴がいた。


「ざっけんなオラーッ!」


 すさまじい怒鳴り声に驚いて日与は堤防下の海に落下し、しばらくブクブクと泡を上げたあと、廃油にまみれた顔を水面から出した。

 戸惑いながら叫ぶ。


「ぶわっ! テメエ、何しやがる?!」


 昴は怒りに顔を真っ赤にしながら上から怒鳴った。


「私がイヤな思いをしないように守ったつもりなの?! 自分はどうなってもいいからって理由で? ふっ、ふざけんなバカ! 私よりチビのくせに!」


「せ……背は関係ないだろ!?」


「うん、背のことはごめんなさい! でも私は日与くんと永久さんが一緒に戦ってくれるって言うからついてきたの! 守ってもらうためじゃない!」


 日与は昴を睨み返した。彼女に向かって手を伸ばす。


「上げてくれよ」


「謝るのが先!」


「こんな腐れ油に浸かったままマジメな話なんかできるか!」


 昴の右手が青白い炎に包まれて燃え上がり、白骨になった。その手が背骨のように連結した骨のチェーンになり、日与を引っ張り上げた。


 日与はべたべたした廃油を髪から垂らしながら、怒りを込めて真っ直ぐに昴を睨んだ。


「デリケートな問題だから今まで黙ってたがな、この機会にハッキリ言っとくぞ。お前、本当に俺の仲間のつもりか?」


「そうだよ!」


「じゃあ竜骨を殺せるか? 〝リューちゃん〟を! お前にその罪を被る覚悟があんのかよ!」


 息を飲んで言葉に詰まる昴に、日与は怒鳴った。


「あいつは敵だ! お前の父親と、あの一家と、使用人まで皆殺しにした。今もどこかで誰かを殺してるぞ。俺は次あいつに会ったら殺す! お前はそのときどっちの味方だ!?」


 昴の口は開きかけたが、何の言葉も出て来なかった。

 しばらく目を伏せ、睫毛を震わせていたが、やがて言った。


「わ……わかんないんだもん。リューちゃんは……リューちゃんは小さいころからずっと友達で……本当の、本当のただ一人の友達で……」


 その目には涙が滲んでいる。


「わかんないよ……どうすればいいのか……」


 日与はばつが悪そうにため息をつき、髪をかき上げた。

 前々から昴に抱いていた疑念を、怒りにまかせてぶちまけてしまったのだ。


「銭湯行くけど、お前も行くか?」


「……うん」


 二人は隠れ家にしている喫茶店へ戻った。日与が永久から提供された空き家だ。


 長年放置されていた廃墟を、日与が解体工事現場や廃墟からかっぱらってきた建材で改装し、今ではちょっとしたものになっている。

 彼は工業高校出でこういった作業はひと通りできるのだ。


 二階が住居でそれぞれの部屋があり、一階の店内は共用スペースとして使われている。


 追われる身である二人は頻繁にねぐらを変えており、街中の廃墟や安ホテルなどを転々としているが、時々は「ホーム」と呼んでいるこの喫茶店に戻ってくる。

 二人とも今ではすっかり馴染んでいて、新たな家と言える場所になっていた。


 日与の部屋は物が多くなく、さっぱりと片付いている。

 彼は実用性を重んずる性格だ。飾りといえば壁に貼られた水着アイドルのポスターくらいである。


 対して昴の部屋は散らかり放題で、雑誌や化粧品、脱ぎ散らかした服、オタクグッズ、悪党から奪った銃器のコレクションなどが散乱している。


 彼女の部屋の壁には床から一七五センチのところにテープが貼ってある。

 日与にそれが何か聞かれたとき、昴は「ライオットの身長」と答えた。もうひとつ、やや低いところに貼ってあるテープはライオットが座ったときの高さだ。


 昴はそれを基準に自分の部屋でライオットが歩き回ったり、椅子に座って食事したりしている姿を空想するのだ。

 夢の同居生活である。


 以前、そのことを説明された日与は宇宙人を見るような目で昴を見たあと、「す……すげえアイデアだな。天才か?」とやや気圧されたように答えた。


 二人は各々着替えを取って蛟町みずちちょうへ向かった。


 汚染霧雨と海洋汚染でいったん死んだこの港町は、より薄汚くたくましい姿で甦った。

 この海域で希少な異態魚介が獲れるとわかり、それを求める人々が腐肉に群がるアリのように集まってきたのだ。


 得体の知れない連中ばかりの町だから、日与たちも目立たない。身を隠すには都合がいい場所であった。


 生臭くてぬるぬるした通りには生簀を並べた店が軒を連ね、漁師、異態生物ハンター、買い付け人などが行き交っている。


 ウシガエルのような手足を持つハゼ、透明で骨が透けて見えるタイ、肉吊りフックに吊るされた中型犬ほどもあるエビなどは、ここでしか手に入らない珍味や生薬だ。


 少し裏手に入ると漢方薬局がずらりと並んでおり不老長寿、子宝、媚薬、男性機能回復といった宣伝文句の看板がずらりと並んでいる。いずれも異態動植物の生薬だ。


 湾内を満たす廃油もまた資源の一つである。ここから遠くに見える、海上油田プラットフォームめいた施設で廃油を吸い上げ、再生廃油燃料にリサイクルしている。


 再生廃油は質こそ悪いが安価で、ガソリンが値上げする一方の現代では代替エネルギーとなりつつあった。


 寿司屋はどこも盛況で、ある店では店頭で異態マグロの解体ショーをしていた。昴が物欲しげな目を向ける。


「あれ、一度食べてみたいな」


「永久さんが小遣い増やしてくれねえとムリだなあ」

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