呪われた血と偽りの救済(7/7)

「ここにいるのはみな良き父であり母である。家族を第一に考える善良な民ぞ!」


 聖代は演説のように芝居がかった態度で言った。


「私の行いを否定しに来たのかね? お門違いもいいところだ! ここにいる人々と、宿無しのゴロツキどもの命の価値など天秤にかけるまでもあるまい! ブロイラーマン、お前は己の身勝手な行動がどのような結果をもたらすのか考えたことがあるのか!」


 ブロイラーマンは鼻で笑った。


「説教の続きは地獄でやりな」


「貴様には理解できまい! 家族を思うがゆえに背負った罪など!」


 聖代の全身が波立つようにざわめいた。

 たちまち灰色の毛皮に覆われ、人狼の姿に変わって行く。筋肉で盛り上がったその体は他のものと比べるとひと回り大きい!


 信者が悲鳴を上げた。


「ああ、聖代様!」


「グルルァアア!!」


 バナナほどもある大きな爪がブロイラーマンに襲いかかる!

 ブロイラーマンは身を伏せてかわし、突進しながら聖代の顔面にオーバーハンドパンチを叩き込んだ。


「オラアア!」


 ドゴォ!

 渾身の怒りを込めたその一撃は確実に聖代の顔面を叩き潰した感触があった。


 聖代の巨体は派手に吹っ飛び、テーブルの上に落ちてそれを押し潰した。

 バガァン!


 だが聖代は何事もなかったように起き上がった。潰れた顔面の骨肉が盛り上がり、たちまち元通りになって行く。


 聖代は壊れたテーブルをブロイラーマンに投げつけた。


 ブロイラーマンはこれを拳で粉砕!

 ガシャアア!


 すかさず駆け寄った聖代が両手の爪を振り下ろす。速い!


 ブロイラーマンはステップバックしてかわしたが、爪先がかすめた胸から血が噴き出した。


 ブロイラーマンはすでに人狼の相手で体力を失っている。だが彼は呼吸を整え、果敢にも相手に殴りかかった。


 壁際に寄り添った信者たちが悲鳴のような声を上げる!


「聖代様! そいつを殺してください!」


「我々の家族をお救いください!」


 ドゴォ! ドゴォ! ドゴォ!

 ブロイラーマンの拳が次々に聖代をとらえた。

 並みの血族ならノックアウトさせるその猛攻も、聖代の再生があっという間になかったことにしてしまう。


 ブロイラーマンは聖代の横殴りの一撃をかわし、その腕を踏み台にして相手の肩の上に立った。

 脳天へ瓦割りパンチを振り下ろす!


「オラアア!」


 グシャア!

 頭部がスイカのように潰れる。


 聖代はがっくりとひざまずき、床に倒れた。だがすぐに首無しのまま立ち上がった。

 聖代はブロイラーマンに丸太じみた両腕で抱きつき、締め上げた!


 ブロイラーマンの内臓が雑巾めいて絞られ、背骨と肋骨がミシミシと軋み始める!


「ぐぐぐ……!」


 再生しかけの聖代の頭部が声を発した。


「善き人々から家族を奪うことは正義の行いか、ブロイラーマン!?」


「テメエは! その善き人々の家族を人質に取ってやがったんだ! 家族を元の病人に戻したくなきゃ何があっても目をつぶれってな!」


 ブロイラーマンは絶叫した。


「テメエだけは許さねえぞ! ブッ殺してやる!」


 思い切り身を仰け反らせ、くちばしで聖代の眼球を突く。

 ズブッ!


「グッ!?」


 聖代が苦痛に身をよじると、ブロイラーマンはその腕から逃れ、両手で相手を壁際へ突き飛ばした。

 そこにいた信者たちがあわてて逃げ惑い、場所を空ける。


「ハアアア……!」


 ブロイラーマンは怒気の篭もった息を吐き出した。


 怒りで膨張したその姿は、もはや人型の激怒とでも言うべき存在であった! 家族を心から思う人々に歪んだ救済を押し付けた聖代への怒りだ!


「オオオオオオオオオ!」


 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!

 パンチの連打! 連打! 連打! 聖代の全身すべてをならすように、発動機じみて拳を叩き込む!


「……ラアアアアアアアアアア!」


 肺が空気を求めて悲鳴を上げ、心臓が早鐘のように激しく波打つが、己を強いて連打を続ける!


 聖代の肉体から激しく血肉が飛び散り、傷が再生することがないまま更にその上に傷が開いて行く。

 怒涛の連打によるダメージが再生速度を上回っているのだ!


「うおおおお……!?」


 聖代は悲痛な叫びを上げた。


「や……やめろ! 何でも言うからやめろォォ!」


 ブロイラーマンはいったん拳を止めた。


「血盟会の会長はどこにいる!」


「私は知らぬ! だが九楼くろうなら!」


「どこのどいつだ!」


鞍馬くらま家の九楼! 血盟会のナンバーツーで滅却課の課長だ。あいつは何でも知っている。すべて話した! もうやめろ!」


「『NO』だ」


 ブロイラーマンはラッシュを再開した。

 その連打速度は更に勢いを増している!


「やめろ! やめてくれ、ブロイラーマン! 私が死んだら……棄助が……棄助……棄助……」


 連打は果てしなく続き、やがてとうとう息を切らせたブロイラーマンはがっくりと両腕を下げた。肺が爆発しそうだった。


「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……」


 息がある程度整うと、くるりと踵を返して歩き出す。


 壁には聖代だった赤黒い肉が張り付いていた。べりべりと音を立てて剥がれ落ち、べちゃりと床に広がる。


 その場の信者たちは絶望に涙を流し、その場に崩れ落ちた。


「ああ、そんな……聖代様!」


 ブロイラーマンは塔を出た。


 人狼たちは苦しみ悶え、血を吐きながら転げ回っていた。


 彼らは血族ではない。


 ブロイラーマンに家系を名乗り返さなかったし、血を授かるのはどの家系であっても例外なくまれな現象だから、聖代に奇跡を授かった全員が変異することはありえない。

 アンデッドワーカーと同じ、血族によって作られた下等種族だ。


 彼らは元の人間の姿に戻っていった。聖代が死に、授かった奇跡を失ったのだ。

 そのほとんどは人間に戻ると同時に死んだ。呪われた生命力が抑えていた病が急速に進行して命を奪ったのだ。


 労働者たちの死体は、子どもが菓子を奪い合ったようにしてずたずたに引き裂かれ、食い荒らされている。


 若い女が呆然とひざまずき、再度失われた自分の顔を撫で回していた。


 折り重なった死体の中から、ブロイラーマンはその少年を見つけ出した。

 棄助はこちらが誰なのかすぐにわかったようで、それを自然に受け入れた。


「やっぱりあなただったんですね。あの沼のときの……」


「……」


 ブロイラーマンは棄助を見下ろしている。自分がしたことから目を反らさないように。


「聖代は殺した」


 棄助は悲痛な表情で目を閉じた。涙が押し出されるようにしてこぼれた。


 棄助はもうすぐ死ぬ。


 ブロイラーマンは日与の姿に戻ると、棄助の頭のそばに腰を下ろした。眠りにつく弟を見守るように。


「お前に同情はしねえ。お前も悪行に加担してたことには違いない。けど、まあ……それはそれとしてだ。あのとき、俺の手を離さないでくれてありがとな」


 日与は棄助の手を握った。少しずつ冷たくなっていくその手を。


「家族が……! ああ!」


 塔から出てきた信者たちが、家族の死体を見つけて悲痛な声を上げた。

 彼らは日与とリップショットに対し、怒りと悲しみがない交ぜになった眼を向け、叫び始めた。


「息子を殺したな! お前たちが! お前たちさえ来なければ!」


「娘が……あんなに元気だったのに、自分の足で歩いて……ああ!」


「聖代様ァア! お助けください!」


 昴は日与を促し、村を出た。


 日与はついてきた空中のヘリドローンに手を振った。

 ヘリドローンはライトを数度点滅させて応じ、飛び去った。後は永久と市警が何とかしてくれるだろう。


 怨嗟と悲鳴と泣き声は、ずっと二人の背を追って来た。



***



 汚染霧雨は降り続けている。


 長いあいだ補修が行われていない、ひび割れたアスファルトの夜道を、昴と日与はまちに向かって歩き続けた。


 昴は考えていた。ここへ来るべきではなかったのだろうか、と。


 だがその未来があったのならば、聖代は期間労働者を人狼の餌に使い続けていただろう。

 孫と信者の命を繋ぐため、そして孫の将来を奪った宿無しのゴロツキすべてへの復讐心のために。


 それでも、これが本当に正しいことだったのだろうか?


 日与の言う通り、確かに聖代は信者の家族を人質に取っていたも同然だが、自分たちはその人質ごとすべて殺した。


 昴は隣の日与を見て、慰めを言おうとして口を開きかけた。


 日与は手の甲で何度も目元を拭っていた。泣いているのだと昴は気付き、言葉を飲み込んだ。


 昴は無言のまま視線を地面に戻し、考えた。


(日与くんは何度も辛い目に遭ってきたんだろうな。この外界で)


 昴が彼についていくと決断させたのは、日与の存在だった。

 日与はこれまでに昴が出会ったどんな人とも違う。怖そうに見えて意外と気さくだし、紳士的なところもあるが、同時にこんなに凶暴な男を見たことがない。


(日与くんの旅に最後まで付き合いたい。日与くんが何と戦って、どんな決断をするのか……)


 昴は顔を上げた。道端の廃墟に、スプレーで大きく落書きがしてあった。


〝ここは雨ざらしの地獄〟



(続く……)

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