お寿司を食べに行こう(2/2)
日与と昴は行き着けの銭湯に入り、男湯と女湯に別れた。
私室のコンテナにもそれぞれシャワーボックスがあるが、狭いのでフォートの大きな風呂に慣れた昴には不評だった。
まだ早い時間で他の客の姿はない。
日与は髪にへばりついた廃油を洗い落とし、湯船に浸かった。久々にゆったりした気分だった。
その全身は余すことなく傷跡に覆われ、酷使した両拳は岩石のようになっている。
実家の風呂を思い出し、明来の病状に思いが至ると、じりじりとした焦りが胃の底に染み出してくる。
日与は自分に言い聞かせた。
(焦っちゃダメだ。俺はいつもブチギレて自分を追い込んじまうからな……)
壁の向こうの女湯からは、昴の鼻歌が聞こえてくる。アニメ版『ライオットボーイ』の初代エンディングテーマ、〝THE RIOT〟だ。
向こうも貸し切り状態なのだろう。
日与は昴に申し訳なく思った。
(さっきもそうだ。あいつにあんな言い方するんじゃなかった)
早風呂の日与は一足先に上がった。
番台の老人は新聞を手にしたままうつらうつらと船を漕いでいる。
日与は冷蔵庫から牛乳を取ると、黙って老人の目の前に代金を置いた。老人の耳が遠いのを知っているから起こしたりはしない。
「ヒエッ?!」
日与が牛乳を飲んでいると突然、女湯から昴の悲鳴がした。
「な……何?! 何、あなた! どっから入ってた来たの!?」
「昴? どうした?!」
返事はなく、湯が飛沫を上げる音や何かを投げつける音だけがする。
日与は女湯に飛び込もうとして、躊躇った。仲間と言えどもそれは……
再びガシャンという音と共に昴の怒号!
「この! ナメんな!」
***
女湯の昴は裸のまま見知らぬ血族と相対していた。
八本の触手を持つ人型のタコといった姿で、その生白い体には青く光る輪の模様がいくつもある。
昴が湯船に浸かって真上を見上げたとき、突然、何もない空間から滲み出すようにして現れたのだ。
天井に張りついたタコ型血族は熱に浮かされたような口調で言った。
「お前を! この触手で……お前を……抱き締めたいんだ! ハァーッ、ハァーッ……! し、絞め殺すまで抱き締めたいんだ!」
「何で?!」
「しょうがないんだよ、それが俺だから! ゴボゴボゴボ!」
黒い墨を吹き出しながら、タコ型血族は湯船へと飛び込んだ!
昴はとっさに飛び出してそれをかわす。
バシャーン!
湯船から素早く触手が伸びてきて、昴の足首に巻きついた。
昴は近くにあったシャンプーを掴み、相手の顔に向かって投げつけた!
「この! ナメんな!」
「ウググ?!」
シャンプーが目に染みタコ型血族は悶絶! 思わず昴を離し、触手をうねうねとくねらせ苦悶した。
「待て! ……痛ってえ!?」
ドシン!
そのとき、脱衣所に続くガラス戸に誰かがぶつかった。
昴がそちらを見ると、ガラス戸越しにニワトリ頭に黒い背広姿が見えた。
「え……ちょっと!?」
昴はあわてて洗面器で裸体を隠した。
だがその必要がないことがすぐにわかった。ブロイラーマンは自分のネクタイを巻いて目隠しをしていたのだ!
手探りでガラス戸を開けたブロイラーマンは高らかに名乗りを上げた!
「血羽家のブロイラーマン! テメエの氏姓を名乗れ!」
「グオオ……
ブロイラーマンは体の向きを変えた。
「うん!? そっちにいるのか? 血盟会の手下か!?」
喜能会は触手を悶えさせながら答えた。
「そいつらとは手を切ったわ! 俺がある銀バッヂの愛人を絞め殺しちまったからな!」
「そうかい、お前を殺せばそれっきりか。安心したぜ! オラアアアーッ!」
目隠しをしたブロイラーマンは声がした方向にパンチを放つ!
だが風呂場では音が反響するため、正確な位置はわからない!
「ゴボボーッ?! く、来るなーッ!」
シャンプーに目を潰された喜能会は触手を振り回す!
めくらめっぽう暴れる二人から離れようとした昴は石鹸を踏んでその場で転倒!
「痛い!?」
鼻血!
ブロイラーマンが叫んだ。
「昴、変身しろ! スーツを生成するんだ!」
「あ、そうか!」
昴の裸身がたちまち黒いゴス風スーツで覆われて行く。
ブロイラーマンは顔に巻いたネクタイに手をかけた。
「外すぞ! いいか?」
「いいよ!」
「ホントにいいよな?」
「いいってば!」
同時に喜能会はやっと視界を取り戻した。
その姿は絵の具が水に溶けるようにして周囲の風景に溶け込み、消えた。恐海家の能力、ステルススキンである。
「ゴボッ! せっかくの女体は惜しいが……!」
ネクタイを取ったブロイラーマンは何もない空間にさっと手を伸ばした。そこには確かに手応えがあり、触手を掴んでいた!
「ウオオオラァーッ!」
「グワアアーッ?! バカな!」
ブロイラーマンが壁に足をかけて両腕に力を込めると、吸盤がめりめりと音を立てて剥がれ、喜能会はそのままタイルの床に投げつけられた。
ドゴォ!
鳥人の血を引く血羽はあらゆる血族の中でもとりわけ目がいい。例え姿が見えなくとも、立ち込めた湯気の動きから喜能会の位置を察することなど朝飯前だ。
「待ってくれ! 待っ……アババーッ!」
すかさずリップショットが骨の腕をカマキリの鎌状に変形させ、怒りをもって振り下ろした。
ブシューッ!
何もない空間から血が噴き出す!
刺身めいて捌かれた喜能会が滲み出すように実体を取り戻し、下劣な本性にふさわしい無残な最期を晒した。
ブロイラーマンはリップショットから目をそらし、ぼそぼそと言った。
「あー、その。無事でよかった」
「えーと……あの……ありがと……」
ブロイラーマンは逃げるように男湯に戻り、リップショットはそれを見送った。
お互いにひどく気まずかった。
***
銭湯の店主は喜能会には賞金がかかっているから、死体を賞金稼ぎの事務所へ持って行ったらどうだと提言した。
喜能会は女性ばかりを狙って殺していた異常性癖の連続殺人犯で、賞金がかかっていたのだ。
天外市警は血族犯罪を野放しにしているので、こういう場合は遺族が金を出してインターネットの闇サイトで賞金をかけるのである。
日与自身が血盟会に追われる身であったためそれは断り、死体は店主にくれてやった。
店主は感謝し、二人に結構な金額の謝礼を払った。
日与と昴は永久を呼び、三人で寿司屋に行って異態マグロを好きなだけ食べた。
「うーん……トロケちゃう! タコでマグロを釣ったわけね」
言葉にも出来ない美味を味わった永久が感慨深げに呟く。
昴が日与に言った。
「日与くん、このおスシって誰のおかげで食べられたと思う?」
「俺とお前じゃないのか?」
「そう。一緒に戦った」
昴は聖代を殺した帰り道の日与の姿を思い出していた。
「だから聖代と聖代の使徒たちもそう。私と、日与くんと、永久さんの〝私たち〟がやっつけたんだよ」
永久が昴の言わんとすることを察し、日与に微笑んだ。
「そうよ。私たちはチームでしょ。手柄も罪も、みんな一緒」
「みーんな〝私たち〟だからね?」
強調して念を押す昴に、日与は笑った。
「そうだな。〝俺たち〟の手柄だ」
「そうですとも」
昴が茶の入った湯のみを差し出す。
日与と永久は自分の湯のみをそれにぶつけて乾杯した。
カチン!
(続く……)
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