血を授かるとき(2/3)

* * *



 翌日、学校の帰り道。


 日与が駅のホームで電車を待っていると、特別電車が滑り込んできた。通過待ちの一時停車で、ドアは開かない。


 あの電車に乗れる乗客は特別料金を払っている金持ちだけだ。

 汚染霧雨が入らないよう天蓋がついた城塞フォートと呼ばれる高級住宅街に住んでいて、そこから外部の勤め先や学校に通っている人々である。


 車内に私立高校の生徒たちがいた。

 手にした大学のパンフレットを交換しながら話している。医大、美大、海洋大、海外留学。お互いの進学先を語り合っているのだろう。


(あいつらには将来の夢を見る自由があった……あいつらにはあったものが、明来にはなかった)


 日与の胸にやり場のない怒りが沸き上がった。

 明来は日与のこの世でただ一人の味方だった。自分の将来すら捨てて日与を学校に行かせてくれた。

 その兄の現状を思うと、日与の胸は押し潰されそうだった。


(明来はもう助からないのか? 俺に出来ることは何にもないのかよ……)


 電車を降り、商店街を抜けて自宅へと続く裏路地に入った。


 そのとき突然、曲がり角の暗がりからバットが飛び出してきた。

 ドゴォ!


 それをもろに頭に食らい、日与は仰向けに倒れた。

 薄れ行く意識の中で見えたものは、私立高校の制服を着た生徒だった。昨日さんざんに殴ったグループのうちの二人だ。


 そのうちの一人が日与を踏みにじり、血走った目で叫んだ。


「イキりやがって! 地面這いずり回ってやがる家畜の貧乏人がよォ! うちの親はツバサの重役なんだぞ!」


 日与は狂犬の目となった。

 怒りが苦痛を吹き飛ばす。日与は飛び起き、目の前の生徒に飛びかかった。


 だが再び頭部にバットの一撃を食らった。


「ハハハ……! 殺処分してやるよ、家畜!」


 日与の意識はそこまでだった。





* * *


 日与は眼を覚ました。


 ガムテープを全身にぐるぐると巻くように貼り付けられている。


 廃車の中だ。気絶しているあいだにあの私立高校の生徒たちに運び込まれたらしい。


(どこだ、ここは? どうなってんだ、クソッ!)


 窓の外を見ると、どこかの廃車置場であった。


 日与がいる廃車の周囲にも、十台ほど同じものがあった。

 自分と同じように拘束された人々が一人ずつ閉じ込められた車が散らばっているのだ。


 彼らは日与と同じく、何が起こっているのかわからない様子だった。さかんに助けを求めて叫んだり、暴れたりしている。


(何だ? どうするつもりだ?)


 しばらくすると、車が一台やってきた。


 男が降りた。高級なスーツ姿で、気取ったフェドラハットを被っている。口元はマフラーを巻いて覆っていた。


 日与はそのスーツの胸元に目を凝らした。翼を意匠化した銅色のバッヂを着けている。ツバサ重工の関係者だ。


 男は周囲の廃車とそれに閉じ込められた男たちを見回し、驚くほどの大声を上げた。


「えー、皆様、はじめまして。私はツバサ重工本社から来ました、血羽ちばね家のスクリーマーという者です。よろしくお願いします」


 男は奇妙な名を名乗り、続けた。


「皆様は健康上問題がある、または反社会、反ツバサ的だということでして、今日現時点をもって我が社にとって不要とさせていただきます……」


「ふざけるな! 俺はツバサの工場で三十年も働いたんだぞ! 今さらクビなんて!」


 老いた男が声を張り上げた。


 スクリーマーはそちらを見た。そして自分の車のトランクから大きな缶を取り出し、キャップを開いた。

 自分の親指を小さなナイフで切りつけ、したたる血を缶の中の液体に数滴落としている。


 日与はその様子に目を凝らした。


(何やってんだ?)


 スクリーマーは自分の血を混ぜた液体入りの缶を抱え、抗議した男の廃車に向かった。

 そして車内に中身を注ぎ込むと、マッチに火を灯し、煙草に火をつけるような気安さで車に投げ込んだ。


 ドォン!

 直後、廃車が爆発的に燃え上がった! 缶の中身はガソリンだったのだ!


「ギャアアアアアアア!!」


 聞く者のはらわたを凍りつかせるようなすさまじい悲鳴が上がった。


「説明は最後まで聞きなさい」


 そう言ったスクリーマーの帽子が炎の熱気に煽られて飛んだ。


 あちこちで悲鳴が上がった。


 露わになったスクリーマーの頭部は、人間のものではなかった。白い羽毛に赤い鶏冠とさかを持つ、ニワトリのものだったのだ!

 とても特殊メイクなどには見えない。


 日与は目を見開いた。


(何だあれ……?! 人間じゃない!)


「つまり、あなた方はツバサにとって用済みですが、最期にもう一度だけ役立ててあげようと、そういうわけです。これはまあ、社の何と言うか……えーと、慈悲? ハハハ……そう、慈悲ですね!」


 スクリーマーはガソリン缶を抱え、次の廃車に向かった。


 集められた男たちは完全にパニックとなった。悲鳴を上げ、助けを懇願し、狂ったように暴れた。しかし誰も逃げられない!


 次の廃車に炎が放たれた。

 ドォン!


「ギャアアアアアアアアアアア!」


「アハハハハ! アハハ、アハハハハ! 私は悲鳴を聞くのが大好きなんだ! そのせいでねぇ、悲鳴屋スクリーマーなんて名前がついてしまったんですよ!」


 おぞましい愉悦に身をよじり、狂ったように笑うスクリーマーのその姿は正気のものではない! まさに怪物そのものであった。


「皆さんはねぇ、仕事中の事故で焼け死んでしまったと! そうご家族にはお伝えしておきますので!」


 ガソリン缶が空になると、スクリーマーは次のガソリン缶を自分の車から持ち出した。

 そのたびにガソリンに自分の血を溶かしているが、その行動に何の意味があるのかは日与にはわからない。


 日与がわかっているのは、このままでは確実に死ぬということだけだ。

 焦りに腹の底を焼かれながら、何とか拘束を逃れようとした。


(死ぬもんか! 俺は明来に恩を返さなきゃいけねえんだ! 俺が明来の夢を叶えてやるんだ!)


 ドォン!

 またひとつ廃車が爆発炎上した。すさまじい悲鳴が上がり、それを聞いたスクリーマーは腹を抱えて笑い転げた。


「ハハハハ! ハハハ! やっぱり人間の悲鳴はいいなあ! 絶望の声をもっと聞かせてくださいよォ!」


 死に物狂いで暴れる日与の元に、コツコツという足音が近付いてくる。


 スクリーマーであった。窓越しに日与に目をやり、逃れようと暴れる姿を見てテレビで芸人のリアクションを見るように笑いをこぼした。


「あなたは芹沢のガキが連れて来たヤツですね……急遽追加ぶんの」


「芹沢!? 俺をバットで殴ったあいつらか?」


「その通り。本来なら予定にないことは困るんですが、あのガキどものご両親はツバサの重役ですからねェ。あなたは特例ですよ! よーし、せっかくだから余ったガソリンをみんなプレゼントしちゃいましょう」


 スクリーマーはうきうきした様子で、残ったガソリンをありったけ日与の廃車に流し込んだ。

 車内の床が水浸しになり、ガソリンの放つ臭気が漂い始めた。


 日与は悟った。一巻の終わりだと。


 絶望的な思いで彼は叫んだ。


「テメエェ! ブッ殺してやる――――!」


 車内がガソリンで満たされると、スクリーマーは少し下がった。火をつけたマッチを放り込む。


 ドォン!

 廃車が爆発炎上し、すさまじい炎と熱が日与を包み込んだ。


(熱い! 息が出来ない!)


 皮膚が焼かれて剥げ落ち、肺に吸い込んだ炎が体を内側から焼き尽くす。


(((お前の夢を見つけろよ、日与)))


 絶対に自分が働くと言って聞かなかったときの明来の声がした。


(((お前もいつかきっと見つけられるさ……俺の夢をかなえるのは、そのあとでいいって……)))


 そのとき、日与の中で何かが爆発した。それは自らを焼く炎の熱をも上回る、ビッグバンめいた怒りであった。


 芹沢! 目の前の怪人! ツバサ重工! 踏みにじられた家族! 理不尽な社会! 無力な自分自身!


 すべてに対する怒りだ! 死の恐怖も絶望すらも塗り潰す、すさまじい熱を伴う怒りだ!


 日与は焼けた喉で絶叫した。


「ああああああああ! 殺す! 殺す! 殺す! テメエを! 殺す!」


 炎の中で日与の全身の細胞が別の生命体へと作り変えられて行く。肉が、骨が、すべてが形を変えて行く。


 今、石音日与は新しい血を授った。

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