血を授かるとき(1/3)

*2021/02/10にちょっとだけ書き直しました。内容は変わってません。


 車が燃えている。


 車体を包む地獄の業火めいた炎の舌先は、空まで届きそうな勢いだった。


 ドゴォ!


 突然、車のドアが外れて吹っ飛んだ。


 車を出たその男は、炎に巻かれたまま地に降り立った。

 男が勢いよく片手を振ると、炎は水しぶきのように飛び散って消えた。


 それは異形の姿であった。黒い背広に赤いネクタイの男だが、その頭部は人間のものではなかった。


 ニワトリの頭だ。

 血のように赤い真っ赤な鶏冠トサカを持つ、雄鶏おんどりの頭なのである。


 その目には圧倒的な怒りを称えていた。


 彼の名は石音いしね日与ひよ

 後にブロイラーマンと呼ばれ、悪の組織・血盟会と血みどろの殺戮劇を繰り広げる男である。


 ただの男子高校生であった日与が、なぜそうなったかと言うと――









B R O I L E R M A N










 石音日与は狂犬と呼ばれている。


 市内の高校に通う二年生で、あだ名の通り狂犬のような目をしている。実際彼は何も恐れない少年で、誰にでも食ってかかることから校内外で恐れられていた。


 その日の下校中、彼は他校の生徒グループとすれ違った。


 不幸にも彼らは日与が〝狂犬〟だと気付かなかった。

 というのもこの重工業都市、天外てんげでは公害汚染された霧雨が降り続けているから、外出時はみな防霧マスクを着けている。だからこういった人違いや勘違いがよく起きる。


 他校グループはすれ違いざまに日与に「コジキ野郎」と囁いた。そして仲間内でゲラゲラと笑った。


 そのグループは金持ちしか通えない私立高校の生徒たちで、洒落た制服を着ていた。

 日与は工業高校の生徒で、制服もダサいデザインだ。


 ともかく、日与はどうしたか。

 くるりと振り返ってつかつかと来た道を戻ると、他校生徒たちに真っ直ぐに殴りかかっていった。一体五だったが、お構いなしだった。


 日与は最初の一人を蹴り倒すと、馬乗りになってめちゃくちゃに殴りまくった。

 まさかこの一人ぼっちでいた小柄な少年が食ってかかってくるとは思ってもみなかったらしく、その生徒は呆気に取られたままボコボコにされた。


 それから乱闘になった。数分後、最後まで立っていたのは日与一人だった。


「テメエ、〝狂犬〟……」


 やっとグループの一人が日与に気付いた。

 狂犬の目をした日与は、その言葉を口にした生徒の顔面を繰り返し踏みつけた。


「コジキ野郎の靴の味はどうだ? ア? オラ、もっと味わえ!」


 日与は何も恐れない。


 しばらくすると息を切らし、日与は殴られて切れた口元を拭った。


 防霧マスクを付け直すと、遠巻きに見ている通行人の輪を押しのけ、日与は帰路に戻った。日与はいつも怒っているが、今日は特にそうだった。怒り狂っていた。


 日与の家は工業地区の団地だ。


 自宅がある棟に入り、防霧マスクを外した。棟内は大型の空気清浄機によって清浄な空気に満たされている。


 日与はエレベーターに乗って自宅がある階層のボタンを押すと、それからポケットから封筒を取り出した。その封筒には病院の名前が入っている。


 中の書類は医者が書いた紹介状だ。つまり、今まで通っていた病院では手の打ちようがないので、転院するしかないと言われたのだ。


 日与は封筒を開いて中の書状を見た。帰り道に寄った病院でこれを受け取ってから、もう何度も見ている。そのたびに間違いであってくれと祈っているが、書類の内容は変わらない。


「〝霧雨病〟」


 日与はその病名を搾り出すように呟いた。不治の病の名を。


 エレベーターが五階で止まった。

 日与がエレベーターを出て廊下を歩いていると、自宅前に少年少女の姿が見えた。


 三人の少女が一人の少年を囲んでいる。少女たちがうっとりした視線を向けているその少年――日与の兄、明来あきはパジャマ姿で、ニヤけていた。


 日与は封筒をポケットに押し込み、憤慨しながらそちらに走っていった。


「明来! 寝てなきゃダメだろ!」


「あ? あぁ」


 明来は少女たちに何事か囁いて行かせると、悪びれた様子もなく日与に向き直った。


「全身で重力を感じてるのにも飽きてさぁ。おい、またケンカしてきたのか?」


 日与は殴られた頬を憮然として撫でた。


「私立の連中とちょっとな」


「そんなのほっとけって。相手すんな」


「コジキ野郎って言われたんだぞ!」


「実際貧乏人だろ、俺たちはさぁ」


 明来は双子の兄だが、日与とは何もかも違っていた。日与が狂犬なら明来は盲導犬のようにおっとりとした、優しい目をしている。


 二人は内廊下の窓越しに外を見た。


 天外市は見渡す限り工場ばかりで、ほとんどは翼を意匠化した社章がついている。天外市を事実上支配している大企業、ツバサ重工のものだ。


 工場から排出される煙は空の暗雲に溶け、汚染物質をたっぷり含んだ霧雨となってまちに降り続ける。


 この霧雨がまちに蔓延する不治の病、霧雨病の原因と言われている。


 双子が小学生のとき、母親が霧雨病で死んだ。父親はツバサ重工に責任ありとして裁判を起こしたが、判決は「両者に因果関係はない」だった。


 それでも父親は諦めず証拠を集め続け、そしてある日、自殺した。明らかに不審死だったが、天外市警はずさんな捜査をしただけでこの事件を終わらせた。


 父親の葬式で親戚が囁いていた言葉を日与は覚えている。


(((バカなヤツだ。警察も裁判所もツバサの手先なんだぞ)))


(((俺たちまで疑われたらどうするんだ。ツバサに目を付けられたら生きて行けないんだぞ……)))


 父親を失い、双子の生活は困窮した。


 明来のほうが勉強ができるんだから学校に行け、自分が働くからと言う日与の主張を、明来は頑として受け入れなかった。


(((いいからお前は学校に行け。俺が働くから。言うことを聞けよ、俺のほうが先に生まれたんだから。三十秒くらいは……)))


 明来は「あそこに行くくらいな地獄のほうがマシ」と言われる海上廃油再生プラントで一年働き、そして両親と同じく霧雨病に倒れたのだった。


「ケンカしてる暇あんなら彼女作れよ。ナンパ教えてやる」


 明来の言葉に日与は笑った。


「さっき逃げられてたじゃねーか」


「あのコたち? ありゃ引っかけようとしてたんじゃねえ。勉強を教えてもらってた」


「ハハハ……何の勉強だよ」


「あのコたち、看護士になりたいんだって」


「お前に看護士になるのか?」


「いや、医者」


 日与は驚いた。

 明来は口が軽く気まぐれな男だ。テレビや漫画にすぐ影響され、「俺はレーサーになる」「建築家になる」としょっちゅう言うことが変わった。

 だが霧雨病を患って以来は、将来のことを口にしなくなっていたのだ。今日たった今、この瞬間までは。


 明来はにんまりとした。


「医者はモテるんだぜ。医者になって本も書けば、印税でもっと儲かる」


「『女体のエキスパートになるには』とかか?」


「あぁ、そうさ。お前みたいな永遠のアマチュアが買うんだ」


 双子は笑い合った。


 そのとき明来が咳き込み始めた。日与はあわててその背中をさすってやった。


 明来は笑い、手にしていた参考書に眼を落とした。


「努力がムダにならねえといいけどな」


 日与は言葉に詰まった。霧雨病は治らない。誰もが知っていることだ。


 明来は気楽そうに言った。


「で、病院は何だって?」


 日与はポケットの中で封筒を握り締めた。そしてややあってから言った。


「ウチじゃどうにもならないから、転院しろって」


「ハハ。そんなカネねえんだよなあ……どうせどこ行ったってどうにもならねえし。霧雨病じゃな」


 日与には何も言えなかった。ただひたすらに無力感と、やり場のない怒りが沸くのを感じていた。

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