アンデッドワーカー(1/4)

*今回から更新時間が17:00ごろに変更になりました。ご了承ください。




 降りしきる汚染霧雨に滲んだヘッドライトが国道を行き交う。


 二十四時間休むことなく稼働する工場、血液めいて流れ続ける運搬トラックの群れ、防霧マスクで呼吸器を覆った顔のない労働者たち……


 何もかもが灰暗色に塗り潰されたまちには排ガスと溶鉄の臭いが立ち込めている。


「天外の未来はツバサとともに……ツバサ重工」


 こうこうと輝く巨大電子看板の光が、立風たちかぜ燐音りんねの物憂げな横顔に様々な色合いを与えた。

 その白い首筋には歯車を組み合わせた無骨な刺青が覗いている。


 燐音は歩道の街灯にもたれかかり、スマートフォンを手にしている。

 決心して恋人に電話をかけようとしたとき、車道で甲高いブレーキの音が上がった。


 キィィィイ!!!

 荷物を満載した大型トラックがこちらに突っ込んでくる! 運転手は合法麻薬エルの過剰使用で正気を失っていた!


 トラックは横滑りして歩道に突っ込み、通行人を薙ぎ倒しながら燐音に向かってくる。

 燐音は眼をいっぱいに見開き、悲鳴を上げるべく防霧マスク越しに息を吸い込んだ。

 ドゴォ! ガシャアアアアア!!


 トラックは街灯を倒し、雑居ビルに突っ込んでやっと停止した。


「ウワアアア!!」


「世界の終わりが来たぞ!」


 阿鼻叫喚の中、裏路地から這い出してきた失業者たちがわっと被害者に群がった。


 彼らがまず飛びつくのは防霧マスクフィルタだ。真っ黒に目詰まりした自身のマスクフィルタと交換し、死体をアリジゴクのように路地裏に引きずり込む。

 金品はもちろん、新鮮な死体は高く売れるのだ。


 急行した天外市警が追い散らすころには、被害者の血痕ばかりが点々とその場に残されていた。

 トラックが積んでいた金属部品まで持ち去られている。


 トラックによじ登った終末教徒が両手を広げ、朗々と声を張り上げている。


「見よ、これこそが天外! 雨ざらしの地獄だ! 終末は今こそ来たれり! 悔い改めよ、悔い改めよ……」



***



 一週間後、天外市警察中央署オフィス。


 ドアを乱暴に開けてオフィスに入ってきた新人刑事、鍵崎かぎざきは永久に詰め寄った。


「先輩! 捜査打ち切りってどういうことですか!」


 書類を書いていた永久とわは、ドーナツを手に取りながら答えた。


「先週トラックが歩道に突っ込んだやつ?」


「それは事故で片付いたでしょう! 放火殺人のほうです!」


 永久はコーヒー味のドーナツをかじって記憶を巡らせた。

 三日前、貧民街の住人ふたりが自宅で何者かに殺された上に火をかけられるという事件が起きているのだ。


「ああ……あれなら副署長が打ち切れって」


「〝B案件〟だからですか?」


「声が大きいわよ、バカ! これあげるから落ち着きなさい」


 鍵崎はドーナツを差し出す永久に一瞬目を奪われた。

 彼女は美しい。すらりとしたスーツ姿で、美しい銀色の髪をしている。目は研がれたカミソリのように鋭い。


 鍵崎は顔を振ってそれを振り払い、机をどんと拳で叩いた。


「こないだの廃車置場の火災もいつの間にかウヤムヤじゃないですか。Bが何の略だか、政治的だか何だかの配慮だか知りませんけどね、二人も焼け死んだんですよ! それを……」


 年配の刑事が新人の肩に手を置いた。


「新人、まあそうカッカすんなや。公務員は上の命令に従うもんだ」


「……!」


 鍵崎は肩を怒らせて早足にオフィスを出ていった。


 年配刑事がため息がてら言った。


「若いねえ。あの熱意が何年持つか」


「ちゃんと言い聞かせておきます」


 永久はドーナツを咥えて立ち上がると、トレンチコートを着込んだ。


「例のB案件の揉み消しに行ってきます」


「おい、言い方に気をつけろ」


「〝再捜査〟に行ってきます」


 署の地下駐車場へ向かう。防霧マスクを着け、マスクと無線通信で同期しているスマートウォッチでフィルタ使用期限をチェックしてから、車に乗った。


 汚染霧雨が止むことのないまちは今日も灰色に沈み、喧騒に溢れている。


 日与と待ち合わせをしている街中のバスターミナルへ向かった。


 車を一般駐車場に入れると、そこで若者数人が喧嘩をしていた。

 いや、喧嘩と言うには一方的だった。ひとりの少年が一方的に五人の相手をしているのだ。


 その少年は百七十センチに満たない小柄な体つきだが、狂犬じみた眼をしていた。


 永久はパワーウィンドウを下げて顔を出した。


「殺しちゃった?」


 日与は彼女を見たあと、足元にいた男の腹を蹴り上げた。悲鳴を上げさせ、生きていることを証明する。


 永久は彼に乗るように促し、車を出した。


「何してたの?」


 日与は防霧マスクを下げ、ふてくされたように応えた。


「別に。遊んでた」


「目立つことしないでちょうだい。血盟会は血眼であなたを探してるのよ」


 日与はふてくされたようにふんと鼻を鳴らし、腕組みしてシートに沈み込んだ。


「ところでどこへ行くんだ」


「反省してるの?」


「母親みたいなことを言うなよ! 用件は?」


 永久はうんざりしながら答えた。


「先日起きた放火殺人の現場。あなたの意見を聞きたい。ところで昴ちゃんの具合はどう?」


「熱出して寝込んでる。ケガは治ってんだけどな。友達に裏切られたのがよほど応えたみてえだ」


 日与は大して同情した様子もなく言った。彼はフォート育ちというだけで昴のことが気に入らないのだ。


 天外市は対岸まで二キロ半ある大きな川、奇子あやこ川によって北東と南西に二分されている。

 北東はオフィス街で、川沿いは大小の工場にびっしり覆われている。南西部は広大な工業地帯が広がっている。


 車は南西部郊外の寂れた住宅地へ向かい、狭い路地前で停まった。

 徒歩で奥にある団地の棟に入り、一階の部屋の玄関に張られた現場保持テープをくぐった。すでに市警は引き払って無人だ。


「被害者は二人、ここに住んでた男女の夫婦」


 永久の説明を聞きながら、日与は焼け跡になったリビングを歩き回った。焦げ臭さと消化剤の臭いがまだわずかに残っていた。


「あんたが血族犯罪B案件って確信した理由は?」


「二つあるわ。一つ、夫婦は何年も前に娘を霧雨病で失ってるの。原因はツバサ系列の工場にあると確信して、独自に証拠を集めていた」


「ツバサにとっては目障りだったわけだ」


「二つ目、被害者の死体が食い荒らされていたから。歯形は人間のものだった。おそらく被害者たちは複数の人間に生きたまま食われたんだろうって検視官は言ってる。びっくりでしょ」


 日与は面白そうな顔をした。


「そりゃびっくりだ」


「背広姿の男が五人、この部屋のドアを破るのを見た目撃者がいる。その五人は被害者ふたりをムシャムシャ食べて、放火して出ていったってわけ。しかも被害者はツバサのことを嗅ぎ回っていた。これって人間の仕業だと思う?」


 日与はしゃがみ込むと床の血痕に触れた。炎にあぶられて黒く変色している。

 その隣の床板にへばりついたゴムのようなものに眼をやり、指で引っ掻く。


「これは?」


「焼けた防霧マスクの跡。たぶん被害者のもの。襲われたときにそれを持って外に逃げようとしたんだと思う」


「マスクが犯人のものって可能性は?」


「鑑識の結果、そのマスクのフィルタからは唾液が検出されなかったの。まったくの新品。吐息には蒸発した唾液が含まれているから、使用された防霧マスクのフィルタなら付着してるはずでしょ」


「なるほど」


 日与は鼻をくんくんと鳴らした。


「何か臭う。昔、理科室で嗅いだぞ。化学薬品だ」


 永久には感じられないが、血族の嗅覚は超人的である。


 永久は言った。


「色々焼けたからその臭いでしょ?」


「う~ん……?」


 それから二人は二手に別れ、永久は団地内の聞き込み、日与は近所の工場を回ることになった。


 日与はあの化学薬品と同じ臭いを探すという。自分なりのやり方でやりたいのだろう。


 永久は一軒一軒回って団地住人に事件当日のことを聞いたが、冷たい敵意と無関心の壁にぶつかるばかりだった。


「あの夫婦はツバサに逆らってた」


 ある住人はそう言ったきり口を閉ざした。


 まちで頻発する不審死がツバサ絡みだとみな薄々感付いてはいても、それを正面切って批判する者はいない。

 まちの雇用の大半を担うツバサ重工の怒りを買うことを、彼らは何よりも恐れている。


 職を失ってまともな空気清浄機のない施設、あるいは雨ざらしの地獄に放り出されたら、霧雨病発病まで秒読み段階だ。霧雨病への恐怖が彼らを従順な奴隷にしている。

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