アンデッドワーカー(2/4)

 昼過ぎになり、日与と永久は近所の喫茶店で落ち合った。成果を報告しあったが、どちらも空振りであった。


 店内ではレインコート姿の労働者たちが防霧マスクを外し、粗末な食事を口に運んでいる。

 そのうちの何人かは、明来と似た苦しげな咳をしていた。霧雨病の初期の兆候だ。


 こういった店の一角にはたいてい合法麻薬エルドリンクのサーバーが置かれている。


 雨雲が晴れることのないこの時代、日照不足が引き起こす市民の不安やうつを取り除くという名目で薬事法の規制が大幅に緩和された。

 そうして生まれたのがタブレット菓子やジュース感覚で手軽に摂取できる抵うつ剤、合法麻薬エルである。


 メーカーは完全合法・絶対安全を謳い文句にしているが、実際は過剰使用によるショック死や依存症になる者が後を絶たない。


 おんぼろの空気清浄機がゴウンゴウンとやかましい音を立てる中、永久は合法麻薬エルの合成カフェインドリンクを口にして言った。


「手がかりは背広の男たちと、あなたが言う薬品の臭いだけか」


「今回の件、霧雨病をバラまいてる血族に繋がると思う?」


「どうかしらね。まだ何とも言えないわ」


「ところでさ、永久さん……」


 日与はあんこトーストを食べている。彼の好物なのだ。


「アンタのことは、まあ信じてるよ。市警にナイショで俺を助けてくれたし、スカリーの情報も正確だった。だけどさ」


「〝正義のために血族と戦ってる〟なんて言われても信じられない?」


 日与は頷いた。


「まあね」


「それを話さなきゃいけないわね」


 彼女は電子煙草を口にし、煙を吐き出してから言った。


「わたしは常盤ときわ花切かぎりって刑事とコンビを組んでた。その人は何かしらツバサの不興を買った人が次々に消される件を追っていた。知っての通り市警はツバサと癒着してるんだけど、花切さんは秘密裏に捜査を続けた。そしてある日、自殺した。自分の車の中で、自分の頭を撃って」


 彼女は眼を細めた。


「自殺なんて。わたしは信じていない。だって……この事件が片付いたら結婚しようってわたしに言った次の日だったのよ。消されたに違いない」


「……」


「わたしは花切さんの残したデータの断片を繋ぎ合わせて血族や、その製造工場……あなたが血族にされたあの場所や、血盟会のことを知った。簡単に言うとそんなところ」


「復讐か」


「ええ。あの人を殺した奴を必ず見つけ出す。連中が垂れ流したクソを掻き集めて口に詰め込んでやる」


 彼女の口汚さに日与は笑ったが、眼にはある種の同意が込められていた。

 永久の中には激烈な怒りがあり、彼女はそれに突き動かされている。


 日与は永久の言葉ではなく、永久の中に秘められた怒りを信じた。


 日与は眼を伏せた。


「その……いい男だったんだろ。永久さんの彼氏って」


 彼の不器用な慰めを嬉しく思いながら、永久は首を振って言い換えた。


「そうね、いい女だった」


 日与は数秒の間を置いてから意味を理解し、気まずげに口を拭った。


「あー……? あ、ああ……」


 永久は笑った。


「別に普通でしょ」


「うん、普通……だと思う」


「これを渡しておく」


 永久はスマートフォンを取り出して彼に渡した。


「持ち主をたどられないスマホ。ゴースト端末って言うんだけど」


「へえ。アンタの電話番号はもう入ってる?」


「入ってるけど、わたしよりお兄さんと話したいでしょ。向こうの電話が使える時間は昼十二時から一時まで。伝えておいたからもうすぐかかってくるわよ」


「マジで?! ありがとう、永久さん!」


 日与は大喜びで受け取り、店の玄関前に出た。

 すぐに電話がかかってきて、日与はスマートフォンに向かって話しかけた。年相応にはしゃいだ笑顔を見せている。

 相手は身元を偽って市外の医療施設に匿われている双子の兄、明来だ。


 永久はガラス戸越しにその姿を見ていた。


(日与くんの中身は普通の男の子。普通の……)


 永久の胸は若干の罪悪感にうずいた。

 自分はその普通の男の子を、復讐のために利用している。


(わたしは悪い大人。花切さんならなんて言うだろう)


 会話を終え、日与が戻ってきた。


 永久は封筒に入った現金を渡した。


「これはあなたたちの生活費。昴ちゃんと半分に分けて。くすねるんじゃないわよ」


「刑事って薄給なんだろ? 俺たち二人も養えるのか?」


「ナマイキ言うんじゃないわよ。花切さんの遺してくれたお金があるの。大事に使ってね」


「わかった」


 二人が席を立とうとしたとき、どかどかと四人の男たちが喫茶店に入ってきた。


 全員ボルトやネジといった工業部品のアクセサリを着け、髪をメタルカラーに染めている。

 作業服から覗く首筋や腕には歯車の刺青が入っていた。


 工業地区を縄張りにするギャング、デッドファクトリーだ。


「例の五人を嗅ぎ回ってる連中ってのは?」


 リーダー格らしい大男が防霧マスク越しに押し殺した声を発した。大きなパイプレンチを両手に抱えている。


 彼らと同じ刺青をいれた喫茶店の店主が、永久たちに顎をしゃくった。店主もデッドファクトリーの一員だったのだ。


 デッドファクトリーは永久たちのいるテーブルを取り囲み、威圧を込めてこちらを睨んだ。それぞれ凶器を手にしている。


 リーダー格が永久、日与双方を見ながら言った。


「背広の五人に何の用だ」


 永久が静かに緊張感をみなぎらせて答えた。


「善良な市民のみなさん。こっちが市警だってわかってるのよね」


「ツバサの犬だろうが、テメエらは」


 他の客たちがトラブルを察知し、いそいそと店を出ていく。

 喫茶店の店主はこちらを見ながら、カウンター下にある何かを手で掴んでいる様子だった。銃か?


 永久は両者に油断なく目をやりつつ、一歩も引かずにリーダーを睨み返した。


「背広の五人のことを何か知ってるなら教えてちょうだい。捜査中なの」


「質問すんのはこっちだ、銀髪のビッチ!」


 日与が背もたれに腕をかけ、振り返って言った。


「俺らは背広の五人に聞きたいことがあるんだ」


「何をだ」


「テメエのタマの行方だよ。まあ、五人がかりでも見つかんねえだろうがな」


 永久が日与に「挑発しないで」と目で訴えたが、彼は取り合わなかった。完全に狂犬の眼になっていた。


 日与の後ろに立ったギャングが、いきなり日与の頭に木製バットを振り下ろした。殺さない程度には手加減していたが、かなりの勢いだった。

 バキッ!


「え……」


 バットは真ん中から真っ二つに折れた。

 折れたバットを見て呆気に取られているギャングに、日与は平然と振り返り、髪についた木屑を手で払った。


「痛えな、このヤロ」


 日与は猛然と立ち上がり、ギャングたちに殴りかかった。


 永久も立ち上がった。

 とたんに近くのギャングに羽交い絞めにされた。永久は後頭部でそのギャングの顔面に頭突きを入れた

 ガッ!


「?!」


 相手の手が緩むと素早く片腕を抱え、背負い投げをかけた。投げ落とした直後に即座に腕をねじり、肩関節を外す。

 ゴキョ!


「ああああ!」


 ギャングが悲鳴を上げた。


 店主がカウンターの裏から拳銃を取り出し、永久に向けている。

 永久から仲間が離れ、誤射の心配がなくなった瞬間、店主は発砲した。

 バン! バン!


 永久はとっさにテーブルを蹴倒して盾にした。

 バスッ! バスッ!


 テーブルの天板に銃弾が当たり、木屑が飛び散る。


 そのとき、店主の銃が弾詰まりを起こした。

 店主があわてふためいているあいだに永久はそちらに走り、カウンターを滑るように飛び越えながら店主の胸板に蹴りを入れた。

 ドゴォ!


「ぐえ!?」


 店主は吹っ飛んで後ろの食器棚に突っ込み、倒れた。

 永久はさっとその手から拳銃を奪い取った。

 ひと目で粗製濫造品とわかる密造銃ジップガンであった。彼らが自作したのだろう。弾詰まりが起きるのも当然だ。


 永久はその銃で店主の顔を思い切り殴った。

 ドゴォ!

 天外最強の暴力団と揶揄される天外市警は犯罪者に一切容赦しない!


 店主が気絶して動かなくなると、うつ伏せにして手錠をかけた。

 自分の拳銃を抜いてカウンターから身を乗り出し、銃口を向ける。そのとたん、日与に投げられたギャングの一人がこちらに飛んできた。


「きゃっ!」


 永久が思わず悲鳴を上げて頭を引っ込めると、ギャングの体はその頭上を飛び越え、壁にぶつかって床に落ちた。


 ガシャア!

 そのギャングは店長の上に落ち、両者は同時に「「グエッ!?」」と悲鳴を上げた。


(ああ、もう! こんな悲鳴、花切さんの前でしか上げたことなかったのに!)


 改めて顔を上げる。傷一つない日与と、その足元に倒れたリーダーの姿が見えた。


「メチャクチャやるわね」


 日与はふんと鼻を鳴らして応えた。


 永久に背負い投げをかけられた女ギャングが、関節を外れた腕を抱えながら悲鳴を上げた。


「やめて! もうやめてよぉ! 仁郎ジンロウ、言っちゃおうよ!」


「お前は黙ってろ!」


 リーダー格が言い返すが、女ギャングは永久たちに向かって叫んだ。


「その五人なら見たよ! 放火があった日に! り、燐音ちゃんがその中にいて……!」


 永久は両者に交互に眼をやった。


 日与が凄む。


「話せ!」


 リーダー格が諦めように言った。


「……クソ! 俺から話す!」

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