海の精霊4

 わたしは闇に包まれていた。

 真っ暗で、とても怖ろしい闇だ。

 ここは海の精霊の中……だと思う。


『イタイ……クルシイ……タスケテ』


 悲痛な声が反響して、わたしの頭を揺さぶってくる。

 わたしはかぶりを振った。


「大丈夫だよ、わたしが治すから」


 海の精霊に、わたしはきっぱりと告げる。


『……ウソダ』


 海の精霊が怨嗟のこもった声をぶつけてくる。


『……ワレヲ、コノヨウナスガタニシタノハ、オマエトオナジニンゲンダ』


 人間が海の精霊を?


「どういうこと?」


『……ニンゲンハ、シンヨウ、デキナイ』


 海の精霊は、わたしの疑問を無視してそう続けた。


「あ、そう」


 わたしは短く返す。


『……エ?』


 戸惑う海の精霊に構わず、わたしは腰のポーチから浄化薬が入った瓶を出した。


「別に信じなくてもいいよ。わたしのやることは変わらないし」


 瓶の栓を抜いて、わたしはフワラに呼びかける。


「万物を司る大いなるマナよ! その恵みを分け与えください!」


「ミミー!」


 フワラがいつものように、いや、いつもより激しくマナの光を放つ。


『ヌウ……オマエ、ナニヲ……!』


 フワラの放ったマナに、わたしは浄化薬を振りまく。


 マナと浄化薬がひとつになり、黒い闇――マナの穢れを光に変えていく。

 よかった、うまくいってる。

 ひとつ計算が違うのは、わたしも海の精霊の中にいるってこと。


「どうなるのかな、これ」


 ひとりごちたわたしを、眩い光が呑み込んだ。



 ――――目を開くと、目の前に大きな魚がいた。


『まったく……無茶をする人間だ』


 白くて綺麗な大きい魚が、わたしに言う。


「もしかして貴方、海の精霊?」


『いかにも』


 つまり……成功した?


「クロ!」


「クロさぁぁぁん!」


「クロちゃんっ!」


 ロゼ、チコ、ミュウがわたしの元に泳いでくる。


「無事でよかった!」


「どうなるかと思いましたよぅ!」


「クロちゃんクロちゃんクロちゃんっ!」


「うわっと」


 ミュウがわたしに抱きついてくる。


「あー! このハレンチ人魚はまーたどさくさにまぎれてぇ!」


「おいチコくん、落ち着け」


「うううう心配したよーっ!」


「あ、あはは……ごめんねミュウ。ロゼにチコも」


 ロゼとチコがキョロキョロと周りに視線をやる。


「それで……海の精霊はどうなったんだ?」


「急に消えちゃったんで、びっくりしましたよぅ」


 ああ、そうか。

 マナの穢れが浄化されたから、二人には精霊が消えたように感じるのか。

 実際は見えなくなっただけで、眼前にいるんだけどね。


「大丈夫だよっ」


 ミュウがロゼとチコに笑いかける。

 精霊が見えるミュウは、白い大きな魚がいるのだと二人に説明した。


「では……これですべて元通りになるのだろうか」


「不漁問題も解決するんですかねぇ」


「ママはもう平気……なのかな」


「そこらへん、どうなの?」


 わたしは代表して海の精霊に問いかける。


『環境の回復には、しばらく時間が掛かるであろうな……すまぬ』


 そうか、すぐに元通りというわけにはいかないのか。


「あの、ワタシのママは?」


『む、お前はアクアフィリス女王の娘か。今回は悪いことをした……だが、お前の母親はもう心配いらない』


「本当にっ?」


『うむ』


 ミュウが弾かれたように、わたしを振り向く。

 その顔には満面の笑顔を浮かべて。


「クロちゃん、ありがとうっ!」


「よかったね」


 本当に、よかった。


『さて、お前は錬金術師だったな』


「わたし?」


『その……我を救ってくれて感謝する』


「人間は信じないんじゃなかった?」


『ぐぬ……それはなんというか撤回しよう』


 切り替え早いなぁ。


『お前、名はクロ……でよいのか?』


「そうだけど」


『ふむ……ではクロよ、我と「契約」を結ぶ気はないか?』


「ない」


『もうちょっと驚いたりとか考えたりとかして!?』


 威厳があるんだかないんだか、よくわからない精霊だなぁ。


「どうしてもって言うなら『契約』してもいいよ」


『ど、どうしても……』


 なんか流れで精霊との『契約』が増えたのだった。


「よかったねフワラ、後輩だよ」


 わたしはフワラを呼び出して言った。


「ミミっ」


『あの……我、一応、偉めの精霊なんだけど……』


 なんかぼやいてる海の精霊は置いといて、わたしはみんなに向き直り一言。


「それじゃあ、帰ろうか」


「あーあ、失敗か……つまらないわ」


 不意に、そんな声が頭の中に響いてきた。感覚的には、精霊の声に近い。

 でも……これは、この声はなにか違う。精霊じゃない。


「誰……?」


 周囲に目を走らせる。不審な存在の姿は……特に見当たらない。


「おいクロ……どうした?」


 わたしの様子を訝って、ロゼが問いかけてくる。


「クロちゃん?」


 ミュウも心配そうに、わたしの様子をうかがう。

 どうやら、さっきの声はわたしにしか聞こえていないようだ。


 ……誰?


 わたしは心の中で、その問いを繰り返す。

 だけど、もう声は聞こえなかった。

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